54年前の国会で既に指摘されていた原発の問題点
福島原発で、日本の原発については多くの重大な問題があることが露呈したが、これらの問題点については今から54年前の国会で、既にある程度論じられていた。
ここでは当時右派社会党の佐々木良作と、国務大臣科学技術庁長官兼原子力委員会委員長であった正力松太郎との論戦をを紹介する。
佐々木良作は1939年に京都帝大法学部卒業後、日本発送電に入社。電産労組(後の電力総連)初代書記長などを経て47年に参議院議員初当選。52年には一旦政界を退いて電源開発の総務部長を務めた後、55年には右派社会党から衆議院議員に初当選していた。後に民社党結党に参加し、委員長も務めた。労組出身者が政府系法人の幹部になっていることに違和感を覚える方もいるかもしれないが、当時は若手エリートが組合トップを務めることもよく見られた。同じく47年に社会党から衆議院議員に初当選した鈴木善幸も同じようなタイプである。
日本発送電は国家総動員体制構築の一環として1939年に民間電力会社を吸収して発足した国策企業であった。戦後9分割されることにより、現在の電力会社の基となった会社である。また電源開発は政府が2/3出資する発電所開発・運営を行なう特殊法人で、「正力-河野論争」における河野の主張である政府主導の原発推進を唱えていた。佐々木が電源開発の幹部であったことから、以下で展開している主張も河野の主張に近いと思われる。
以下に国会図書館が運営している国会会議録検索システム で検索した議事内容を引用する。長文になるので、お時間のない方は太字の部分だけでも読んでいただいて結構だが、できれば全文読んでいただきたい。
(以下引用)
【昭和32(1957)年8月10日 衆議院科学技術振興対策特別委員会】
○佐々木(良)委員 正力さんが前に同じこの担当の大臣をしておられましたときに、私は、あまりあわてなさるな、年寄りの冷水というようなことを言っておきましたが、だんだんとあせっておられるように思いますので、もう少し私は自重されるように特に要望いたしたいと思います。
今の話を聞いておりますと、閣僚懇談会が云々の性格はありますけれども、今、正力さんの、新設会社で発電用原子炉を輸入しなければならないという結論に達した理由は、一つは、あくまでも電力需給並びに電力の原価から早急に原子力発電をやらなければならない。このことが最大の理由らしい。そうして二番目には、わが国の国産炉を発展させるために、技術的な研究を、これを通じて十分やりたい、このことが第二番目の理由になっておる。大体この二つが理由だと先ほどからの質疑応答から感じましたが、よろしゅうございますか
○正力国務大臣 もちろん原子力に対する長期計画という根本計画は貫いていくわけですが、その計画は計画として、とりあえずこれを今の二点によってやるというわけです。
○佐々木(良)委員 長期計画は、御承知のように、国産炉から発展していく、それを長期的な計画を立てていこうということでありますので、技術的な発展計画ということでいいのではなかろうかと思います。そうすると、結局のところ、正力さんが張り切って言っておられるのは、電力需給の面に心配しておられるからだ、先ほどからのお話では、こういうふうに思って差しつかえないと思います。ところが、電力需給を心配される責任者は、先ほどからたびたびお話がありましたように、経済企画庁長官であり、通産大臣であって、原子力委員長は、電力需給血の担当者ではないと思いますけれども、繰り返して言いますが、その点はよろしいでしょうな
○正力国務大臣 その通りです。電力の問題は通産大臣がやります。ただ私の今度導入しようというのは、これはただ電力が足らぬからだけの理由でなしに、むろんその手助けもしたいが、それと同時に早く原子力の技術を修得させたい、そうして国産炉を早く作りたいというのが主意であります。
○佐々木(良)委員 そうすると、先ほどからのお話と違って、第一番目の理由が最大の理由のように承われます。従って、第二番目の技術の修得ということが最大の目的で、ありまするならば、なぜ民間の会社にやらせるかということは、単に金が集まりやすいということ以外に、私は理由は考えられないと思いますけれども、そう考えてよろしゅうございますか。
○正力国務大臣 私の入れる理由が、前のとあとのと違うじゃないかと言われますが、私が二つあげたことは決して変りません。そこで民間の会社にやらしたいということは、幸い経済べースに合うから、そして民間の会社もやると言うから、それならそれでやらしたらよかろうというだけです。
○佐々木(良)委員 こうなると、やはり五、六分と言ったけれども、もう少しもらわなくちゃ困るのです。電力需給のバランスの責任者はあなたでないことは、先ほど確認されたでしょう。従って、あなたが今こういう方式で強引に原子炉を入れなければならないという理由にはならない。それは担当大臣か担当責任者が言うべき問題です。担当大臣か担当責任者が、そういうのは同感だからなるべく早くやりたいというのならいいが……。なおその問題を言われるならば、少くともエネルギー需給なら、正力さんよりも私の方がよく知っているつもりだ。今言われたところによると、十四万キロなり二十万キロが、当面の暫定措置として輸入の対象になっている。将来の問題は別ですよ。将来技術的な発展をしていって、どういう会社でどういう機構で受け入れていくかということは別問題で、今受け入れようとしているのは、暫定的に十四万キロ程度のものを入れようというのでしょう。従って、これを今やらせるかやらせないかという問題は、この十四万キロ自身が電力需給にどれだけ影響を持つかということです。それ以降の、昭和四十年なり四十五年に関する電力需給あるいはエネルギー・バランスのために原子力発電が必要たという場合には、それに間に合うような原子力の技術的修得、そのことが中心でありまするから、従って第一番目の理由は第二番日の方に人れていいでしょう。正力さんの言われる第一番目の理由は、ともかくエネルギー・バランスを取らせるため、そして発電原価を引き下げるため、こう言われる。二番目の理由は原子力発電の技術を早急に修得し、そして発展させるため、こう言われるでしょう。従って、第一番目日の理由に該当すべきものは、最初入れられる十四万キロなら十四万キロ、これが当面の電力需給にどれだけ影響を及ぼし、これが電力原価の引き下げにどれだけの影響を及ぼすかということだけじゃないですか。第一の理由はそうでしょう。ところが、この十四万キロの発電所は、何ぼ早くやってもおそらく五年かかる。今からやって五年かかれば、十四万キロの発電所が、今あなたがしゃっちょこ立ちして、わあわあ言わなければならぬほど電力需給に大きな影響を持ちますか。逆に二百億ないし三百億の金をぽかっとほかに出してごらんなさい。三百億の金があれば、少くとも今十四万キロの原子力発電所を作る、そしてこれが持つ電力需給に対する価値よりも、もっと電力を供給する方法はあります。そして、同時に決して忘れてならないのは、先ほど岡さんが言われましたように、五年間たって建設がなされたとしまして――尼崎の火力発電所が建設されてから、安全逆転に入ったのは何年くらいかかったか御存じですか。尼崎の火力発電というものは、火力技術がよう修得された後に大容量火力として輸入されてそうしてあすこに設置された。設置されましてから、つまり事故でとまったり何かして、尼崎の火力発電が本格的な、計画通りの運転ができるまで数年間かかった。今あなたが言われたように、今度の原子力発電の原価計算には八〇%のロード・ファクターを考え、コストを考えているらしいが、それでもってそろばんの合うなんて、とんでもない話だと思う。技術的に修得された尼崎の火力発電でさえも、最初計画したのと違って、おそらく五年から八年間くらい事実上の試験運転の期間があった。その間供給はしておりますよ。供給はしておりますけれども、最初の火力発電所を設置する計画井に暴いた運転とコストの状態で運転できるようになるまでには、数年間を要した。それが今度全然新しいところの原子力発電でしょう。それを今のようなそろばんではじかれるというのは、とんでもない話だ。
その問題はまたあとにしましょうが、要するに第一の問題として、十四万キロの電気に約三百億円かけて、かりに、五年後完成するとしても、それが果して五年後の電力需給のどれだけ緩和剤になるか、私は五年後ではまだ無理で、おそらく五、六は安全運転はできないだろうと思います。そのことを考えられるならば、あなたは先ほど長期計画に基いて云々と言われ、今、電力需給に対して云々と言われましたけれども、それならば、どうして今年度の電力に対する投資を縮小したのですか。あれはどういうわけですか。何億か知りませんけれども、今年度の投融資の中から削減されたが、これが削減されずに使われるならば、それによって出てくる電気と、まだ完全に試験的なものに約三百億を投じて、そうして五年後に出てくる電気と比べたならば、電力需給に与える影響というものはどうですか。それは正力さん無理だ。今まで通りやった方がいいので、新しいものをやる必要はない。これは公益事業局長や通産当局によく聞いて下さい。もし通産大臣がそう言ったといわれるならば、それは前尾さんは何も知らないからです。公益事業局の需給課長かだれかに聞いてごらんなさい。第一佐々木さんが一番よく知っている。これから五年先に、十四万キロの原子力発電がどれだけエネルギー・バランスにプラスするか。そんな金があったら、今でもやりたい電力の開発計画はたくさんあるから、それに注ぎ込んだらいい。それを削減しておいて、海のものとも山のものともわからないものに金を注ぎ込んでも、それがエネルギー・バランスにプラスするとは思われない。そんなことはやめた方がよろしい。
それから二番目のコストの問題ですが、繰り返して言いますけれども、コストが一番安くきているのは二円七十銭にきている。私は知っている。二円七十銭から四円、七円、八円、何ぼでも作れますよ、いいかげんに。それよりも、この原価というものがどれだけむずかしいものであるかということは、おそらく佐々木さん(原子力局長)あたり一番よく知っているはずじゃないですか。第一原価の金利を見ましても、先ほどの話じゃよくわからないけれども、電気会社のものだと大体三・三三%くらい見ているでしょう。少くとも商業採算ベースというならば六・五%くらいとらなければ話がおかしい。従って金利がおかしくなる。それからもっと大事なことは建設の補償費ですよ。イギリスでは補償費は要りません。ところが日本では、あなたも御承知のように宇治のあの試験研究炉、あんな小さなものでも、とうとうひっくり返って何もできはしない。あのくらいの原子炉さえ設置することができないような、そういう政治力しか持たない者が、こんな大きな原子炉を、今そろばんにはじかれているようなそういう補償費でもってやれるというように思ったら、とんでもない話だ。従って建設費の中に占めるところの補償費というものは、今のところ無制限に拡大すると見ていいと思う。従って、それを無制限に拡大したらそろばんがとれないから、適当にそろばんをはじかなければならぬけれども、それは現実のそろばんとは全然違う。愛知用水の原価、これはあなたも佐々木さんも知っているでしょうが、あのとき農林省が一生懸命になり、通産省も仕方なしに引かれ、それから経済企画庁も引かれて、あの愛知用水の原価はどういうそろばんで出してきたか。私は当時一つ一つたたいた。ところが、今見てごらんなさい、全然話が違うじゃないか。佐久門ダムの原価も、最初そろばんをはじいた計画面の原価とえらい話が違ってきておる。従って、外国から輸入し、海のものとも山のものともわからないものの原価が、三円なり四円なりでそろばんに合うというのならともかく、あなたと一諸に研究に参加してやっている人は、原子力発電所を作るという仕事だけで飯を食っている人です。電気会社の今一生懸命になっているさっき一本松さんと言われた方、――一本松さんは偉い人だと思う。しかしながら、一本松さんはそれ以外にすることがなくなっている。従って、それに関連している人は、それにぶら下ってのみ仕事をしなければならぬ人です。正力さんはそうではないと思いますけれども。そして、ほとんどほかのものには関連させない。私は一本松さんに対して、たとえば関西電力なりその他から非常に痛切な批判がいっていることも知っています。今度あたりものにしなかったら、あなたは何のために洋行したか、何のために資料を出したかとしかられている。それを一本松さんの出したところの資料なり、あるいはお話を批判するところの実力を持つ者は電力にはない。そう言いさえすれば、大体今の電気会社の人々は一本松さんを中心として速めておるこの話を、今、企業内で技術的にも危ないとかいう批判を権威をもってする人がない。そうすると、独走になるのは当り前だ。その反対な意見が別の個所から出るのならば、今言いましたように、完全に食いついていって、妙な政治けんかになってくる。電発と電気会社とのけんかはそれみたいなもので、そしてあなたはやると言っている。電源開発は、まだ原子力などできるほど勉強していないと言っておられたのも知っています。しかし、そんなら一六勝負で若い者に研究をさせてごらんなさい。そうすると、そんなにあなたが言われるほど違うものじゃない。若い学徒も一生懸命やっているし、関西電力にも、電源にもおります。この人たちに現に相談させてごらんなさい。危ないところは危ない、心配しなければならぬところは心配しなければならぬ、原価としてこの辺は危ないといって、ほとんど一致しています。結論の違うのは上の方で作文をする人で、そして目鼻をつける人たちだけだ。その目鼻だけを見せられて、いや四円五十銭絶対間違いないなんて、それは無理です。こんなことを言ったって、どうしようもないけれども、私はほんとに腹を切ってもいい。このまま五年後にできまして、あなたがいわれる原価で、しかも八〇%のロード・ファクターで運転できる、それではじいて今の三円か四円か知らないけれども、そのままの原価で行くなんということは、とんでもない話だと思う。これは水かけ論になりますから、これは岡さんが言われるように、お互いの推定で現実にやってみた結果を見るより仕方がない。そうすると、作文にたくさん書いてあるけれども、原子力委員会で正力さんが書け書けと書かされたのだろうと思いますが、みな海外では現実に実用段階に達しているというが、実用段階に達しているというのはどこにありますか。現実に四円か三円でやっているところはない。コールダーホールだけじゃないか。あるいはプルトニウムを作るためだけじゃないですか。今度やっと作る。それだのに海外の情勢はあくまでも現実的な、そしてそろばんにちゃんと合う、採算ベースに合った段階と断定するのは、おかしいと思う。こういうしろうとが見たらほんとにそうかと思うようなことは書かない方がいい。どこにおいても、普通の電力を発電するための原子力発電所は、まだ世界中に一つもないと書いてごらんなさい。そうしないと、そんなことは間違いのもとだ。
○正力国務大臣 ただいまの佐々木さんの非常なる熱弁には、ある点においてはごもっともで、ある点においては非常に独断に流れておるという点を私は思うのであります。まず第一に、私が非常にあせっておるという。私はそんなにあせっておりません。現にその証拠に、この問題の起ったのも昨年の五月からの問題です。一年かかって原子力委員会が研究し、さらに産業界が研究し、さらに原子力研究所で若い者も研究しておるという至れり尽せりの方法を講じてできたのがこの案であります。私は決してあせっておらぬということだけ申し上げておきます。
それから、なお十四万キロぐらいの電力を出すために大きな金をかけて何だとおっしゃられますが、私は単なる十四万キロではこんなにまた熱心になりません。原子力の繁用が将来おそるべき力があり、おそろしく国家に有効であるということで熱心なんです。それだからこんなことになる。断じて十四万キロとか二十万、そんなけちなことは考えておりません。要するに将来は私は原子力時代が来るとまで思っておる。それほどのものだから、二百も早くやって、一日も早く習得させ、技術者をたくさん養成して、そうしてほんとに将来は原子力発電は各県くらいにあるようにしなければならぬというふうに思っておりますから、そういう意味でわれわれは考えておるのでありまして、決してけちな考えではありません。
○佐々木(良)委員 だから繰り返して言いますけれども、そうすると第一の、今十四万キロを暫定措置として暫定的な会社で入れるということは、先ほどから繰り返し岡さんや田中君に答弁されるように、電力需給上因るからじゃないでしょう。電力原価が高騰するからじゃないでしょう。それはあくまでも第二番目の理由として今言われたところの原子力発電の技術を修得するためなんでしょう。それなら話ははっきりわかる。そこへまず焦点を合せて下さい。今私どもここで問題にしているのは、今後原子力発電所をどうするかということではない。早く入れるか入れないかということなんです。私は早期輸入賛成なんです。問題は、わけのわからぬような民間の会社でごそごそとやられようとする、このことに危険を感じている。従って、今やられようとするところの、十四万キロの原子炉を九つの電力会社並びにメーカー、電源開発会社の出資によるところの暫定的な会社機構で受け入れようとする、このことだけ私は議題にしていることを御承知願いたい。このことだけを議題にする場合には、そうすると、今の十四万キロが果すところの五年後の電力需給上に対する効果、並びに原価を引き下げ、あるいは電力原価の高騰を抑えるところの効果には大して値打のないことは、今、正力さんが言われた通りですね。問題はこのことが先駆となって、今後原子力発電の技術を発展させるかどうかということにかかっているのじゃないかと思う。従って、今度の十四万キロをこういう方法で早急に入れるという最大の理由は、あくまでも今育った第二番目の理由にあって、このこと白身が電力の需給を改善し、原価を引き下げ、あるいは高騰を引き下げるものではない、これだなけははっきりさしてもらいたい。
○正力国務大臣 私は先ほど申し上げましたごとく、原子力発電の将来というものはおそるべきものである。おそるべきものであるから、それと同時に非常に金もかかる。そうしてそのおそるべき原子力発電を発展させるには、国家としてなかなか金が要る。幸い民間の側で経済ベースにも合うからやろうというのなら、その金を利用した方がよかろう。のみならず、原子力研究所までがこれに加わりたいと言うておる。また電発までこれに加わりたいと言うておる。これほどみな加わりたいというなら、これにやらしたら非常によいということで、ただ民間にやらす意味じゃないのです。御承知のように、いずれあなたのところの協賛を得なければならぬけれども、原子力委員会の予算はなかなか大きいのです。この炉の話は別にしても、それは非常に大きい。なかなか大蔵省は聞かぬのです。これまで国家が背負い込んですることはとてもできない。私の願うところは、ただ原子力発電が一日も早く日本に活用されることを希望するのでありまして、そして将来は原子力発電の世の中になり得ると思うておるから、これに熱心なのでありますから、決してあせっておりません。
○佐々木(良)委員 答弁は要りませんから、最後に一言だけ私も申し上げておきたいと思います。今の正方さんが言われる結論は、繰り返しますけれども、私自身も非常に賛成なんです。私もむしろあせっています。あなたは電力のみやかましく言われまして、石炭の方も水の方もそれほど心配されてないのだろうと思うけれども、エネルギー・バランスを見て私はあせっている。従って、これを一目も早く原子力でカバーさせていって、そして火力の重大なる部分を原子力にかわらせたい、このことが念願なんです。ここの根本論をあなたはふりかざしておる。だからそういう原子力を電気会社にやらせるのがなぜ悪い、こう飛躍されるところに問題がある。ですから、私は繰り返して言いますけれども、その根本論はあなた以上に私は推進論者なんです。第二番目に申し上げたいことは、従って、現実の十四万キロの原子炉の輸入の問題に、エネルギー・バランスの問題と電力コストの引きと下げの問題を理由にしなさるな。これを理由にせられると、私はなんぼでも言いたくなることがある。先ほど言いましたように、今ふえる発電所の金を削っていくということになりますから。そこで将来のエネルギー・バランスのために、原子力発電の技術を習得し、前進させようというところに私は最大の目的がある、こう思う。そして突き詰めていった場合には、私は最後に心配になってくるのは、確かに早ければ早いほどいいことはいいけれども、海外の技術はまだそれほど安全でもなければ、そろばんが完全に合っているということにも私は疑問がある。しかも目的があくまでもわが国における原子力発電技術の向上と外国の技術の習得にありとするならば、私は一つの株式会社あるいは私企業の形でやられるのは順当でないので、政府が責任を持った、そういう機関で受け入れるべきだ、結論はこういうことなんです。繰り返して申し上げておきますけれども、ただその場合に金がないということを言われるのです。しかし、金の問題は完全に別の問題で、これは考え方の問題であります。出そうと思ったら、心配せぬでも政府には一兆一千億あるのでありますから、これは考え方の相違です。従って私は最後のその焦点だけをはっきりしておきたい。私どもはあくまでも、今早急に原子力発電炉を入れるという問題は、日本の将来におけるエネルギー・バランスをよくとるために、一日も早く原子力技術を習得する、ここに目的をはっきりするごと。この技術の習得は、国家的の任務である。従って、国家の責任においてそのことはなさるべきである。私どもはこういう観点なんです。従って、今の十四万キロを電気会社が入れることに対して批判を加えることによって、社会党は原子炉を入れるのに反対だなどと言われたら因るのです。話が違うのですから、どうかその辺をはっきり心得て前進をお願いしたい。
(引用終わり)
日本における原発の問題点の多くが、既に指摘されていることに驚く。以下に四点記す。
一点目は原発に頼らなくとも既存方式の発電で供給力は確保可能、という指摘である。コスト面からも、当面は既存方式の発電所増設でいったほうが安価であることが主張されている。
二点目は発電コストの問題である。現在でも原発は発電コストが安価と言われているが、当時からそのような説明がなされていたようである。そこへ佐々木は鋭く切り込んでいる。安定運転には時間がかかるという指摘も的を得ているが、特に建設補償費をコストに含んだら採算が合わない、という指摘は慧眼だと思う。
三点目は原子力村の萌芽を指摘した点である。既に原発推進でしかメシが食えない集団が発生し始めていたことを鋭く指摘されている。佐々木の質問の中にある「一本松さん」とは、この三ヵ月後に発足する日本原子力発電株式会社の初代副社長に就任する一本松 珠璣のことである。この5年後の1962年には社長、77年には会長と長きにわたり原電に君臨した。
原発推進でしかメシが食えない連中が、原発に不利な資料など出してくるはずがない。この流れが54年にもわたって続いた結果が今回の福島の事故だったのではないか。
四点目は原子力発電は民間ではなく国家の責任でまず技術の習得から行なうべき、との主張である。いきなり採算が取れる事業だから民間で、という考えではなく、飽くまで技術の習得から始めるべし、というのが佐々木の主張である。
佐々木は自分のことを「原発推進論者」であるとしているが、実際には原発の採算性、安全性などに相当疑問を持っていたようである。エネルギーバランスの観点から原発に理解を示しつつも、本格導入は十分な技術習得と安全面、コスト面の検証を行なってから、というのが佐々木の主張の根幹である。
結果として日本の原子力政策はこの時点から間違ってしまった。その修正がなされなかった結末が今回の事故だった。ここでの正力の答弁は、ただ原発は日本の将来のために必要だ、と繰り返すお粗末極まりないものであるが、この強弁を多少洗練させて国民をたぶらかしてきた結果があの事故ではなかったか。
ここでの佐々木の追及は理詰め且つ情熱的で、これでも流れが変わらなかったことが日本のために非常に惜しまれる。