若くして乳がんになったからといって
必ずしも不幸じゃない

がんが見つかったからといって
即、命を落としたわけでもない

もっと言えば、がんで命を落としても
本当の意味で亡くなったわけでもない

健康であれば全て問題ないわけでもない

結婚して子供がいれば、
必ず幸せというわけじゃない

子供一人より二人が幸せというわけでもない

家とか時計とか、買えるものの幸せは続かない

仕事の職位は他人が決める役割

何かが違う

朝目覚めて日の光を感じること

大切な人の幸せそうな顔をみること

自分らしくのびのびといられる場所があること

同病の人と気持ちを分かち合うこと

時間を忘れてうちこめる趣味や仕事があること

感情を揺れ動かされること

人の成長を応援すること
応援できる人がいること

時間を安心して消費できること

先立たれても、時々思い出して
あたたかいやりとりを懐かしむような
同病の人に会えたこと

どれも、がんだからこそ
気づくことが出来た幸せ

こっそり、心を震わせて
時に泣きそうになりながら
かみしめている幸せ

私はこの病気だからこそ
普通の幸せを何倍にも味わえている
それは素直に幸せだと思える

私の知り合った人たち、
まだ知り合っていない人たち
がんの人もそうでない人も

幸せでありますように



お久しぶりのブログです。

日常に追われて、病気のことを話すことは少なくなりました。

でも、ここで出会ったり、病院で出会った仲間と話すことはあります。

 

最近思うのですが、病気にならなければいい、再発しなければいい、

というのとは何か違うような、もっと別の考え方がある気がします。

 

若年からしっかり中年になって、自分が一生持てない、選べない

ものというのが見えてきたと同時に、持っているものも自覚するようになりました。

何かを持っていれば幸せ、というのではなく、今持っているものが

自分なのだというニュートラルな気持ちです。

 

病気も持っているものの中に含まれて、自分らしさになっています。

見える持ち物(家や車や家族)と見えない持ち物(気性や病気や教養)、

全部引き連れて、一人ひとりが自分だけの物語を生きているのだな、と最近思います。

 

自分が持っていないものを持っている人を見ると、ざわつくこともあります。

逆だとちょっと安心したり、そんな自分が嫌になったりすることもあります。

でも一人ひとり違うので、面白いといったら悪いのかも知れませんが、

一度大病をすると、一人の普通の人生が万華鏡みたいにキラキラして見えます。

 

先に旅立った病友の、病との向き合い方や、何を大事にしていたか、

その人を支えたものや人達などは、今も自分の中に大事にしまっている宝石のようです。

 

残された者として、与えられた時間を自分らしく生ききることがつとめのような気がします。

その中で出会えた人や、関わってくれている人には感謝しています。

状況は違っても出来ればつながっていたいし、会えなくても幸せでいてほしいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

来週ホルモン治療を終えた後、無治療になります。
楽しみではありますが、自分が癌患者である事実はそのまま残ると思っています。

病や体の不調は、世間的には弱さですが、それを排除出来ないのが人間だと思います。癌が二人に一人、高齢者が3割に近づく世の中で、弱さに目を背けて生きることはできないように思います。

私が知る外資系企業は、30代までが主力で、少数の40代以上の経営陣を残して後は要らないというスタンスでした。一企業ならそれは可能かも知れませんが、世の中には実際にそれ以外の人はたくさんいます。

自分の弱さに向き合うのは、しんどいことです。他のせいにしたり、他人を攻撃することで逃げられるかも知れませんが、逃げていることは自分が意識無意識に関わらず一番良く知っています。

最近、いっそ愛してしまおう、と思いました。自分の病を、カミングアウト出来ないことを、自分の欠点を。そうすると、不思議なことに、他者のことも愛情をもって見ることが出来るようになったような気がします。

もちろん、欠点はそのままです。生意気も短気も気性難も、その他もろもろ、40年モノの弱さは半端なくしぶといです。クリスチャンになったからと言って、癌患者になったからって聖人にはなれません。

でも、あえて言いたいです。弱さを愛し、共に生きようと。

今年2月の、全身がんの樹木希林さん出演のクローズアップ現代をYoutubeで見て泣きました。置かれた場所で懸命に生き抜くだけでなく、大人の事情で降板する国谷キャスターに愛ある言葉をかけていたからです。それを言うために出演したかのようでした。私もそんな人になれたらと思いました。

弱さを抱えつつも、かけがえのない自分で、与えられた場所で日々を大切に生きられたら、それだけでもう人生百点満点⬅言いすぎ? な気がします。無治療になっても、そんな思いで幸せに過ごしていきたいです。