2010年10月に乳がんが見つかってから、はや5年。

検診結果の無事を心から喜んでくれた主治医や家族や、

色々な人達に支えていただいて、今があります。


再建胸は体の一部と化しています。

肩にタオルをかけて隠せば、銭湯もOKです。

タモキシフェンは、継続中です。

ホルモン剤で、どんどん「どすこい系」になっていく自分が

ちょっと笑えます。(だんなは真面目に嫌がっているけど…)


がん以外にも、悩みはつきない今日この頃、

がんでも、そうじゃなくても、私は私のままです。

もう少し良い、バージョンアップしたNew meになれるかと

期待していましたが、そんなわけにはいきませんでした。


でも、宣告直後に病院で大泣きしたことや、

卵巣過剰刺激症候群で死にかけたこと、

手術当日に、心の中で胸に何度もお別れを言ったこと、

抗がん剤で髪の毛を失ったこと、先に召された同病の友、

リュープリンで鬱状態になったことなど、全部覚えています。

もしかしたら、いつか誰かの痛みに寄り添えるかも知れないので

その時の感情を、忘れないでいたいと思います。


最近、好きな聖書の箇所について話す機会がありました。

そうしたら、偶然今日その箇所が久しぶりに行った教会で取り上げられ

別の訳を聞き、いっそう好きになりました。2回も読んでいただいたので

自分に向けてのものだという感じがしました。


「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、

あなたがたの愛がますます豊かになり、 01:10本当に重要なことを見分けられるように。

そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、

01:11イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、

神の栄光と誉れとをたたえることができるように。」

(新共同訳、フィリピの信徒への手紙1章)


これまでの全部の体験を胸に抱いて、少し残念な自分のまま

日常を過ごせていることに、何ともいえない感情が時々湧いてきます。

いまの状況に感謝を忘れずに、過ごしていきたいと思います。

明けましておめでとうございますニコニコ
新年明けましたが、いまだに正月ボケを引きずりながら暮らしています。

今日、用事がありお花屋さんに寄りました。注文をしながら、壁側にびっしり並んだお花の数々を見て、その鮮やかな色と香りに目(と鼻?)を奪われました。

私がうっとりしていると、「どうしたんですか?」と店員さん。「こんなに間近にたくさんお花を見る機会がないので、思わず見とれてしまいました。それに、本当にいい香りですね」と言うと、「そうですか?ずっといるとマヒしちゃうのかな、匂いも全然わからなくなってしまって」と言いました。

店員さんの言葉に、はっとしました。ホルモン療法中とはいえ、重い副作用に苦しんだ治療中に出来なかったことを今は出来ています。なのに、最近は不満ばかりでした。お花屋さんで、お花の美しさ、香りに気がつかなくなってしまった店員さんは、私だと思いました。

この症状につける薬はなかなか思いつきません。お花屋さんにいる自覚もないばかりか、荒野にいる気がする時さえあります。今年は嗅覚をとぎすませて、目をこらして、きっと周囲にあるはずのお花を愛でることを今年の目標にしたいな、と思ったのでした薔薇

乳がん告知後4年が経過しました。
ホルモン療法は継続中で、時々飲み忘れながらも
タモキシフェンを毎日飲んでいます。


仕事は今年から、フルタイムになりました。

外見からは、全く患者にみえません。
そして、職場では誰も、私の病気のことを知りません。
入職時検診の時はドキドキしましたが、
バレることなく今日まできました。


普段は病気のことを忘れています。
でも、この間こんなことがありました。


職場で病気に関連する寸劇を作ろう!
というイベントがあり、若者が参加していました。
何気なく発表を見たら、「癌です」「ガーン!」というオチで。
それを見て、めまいで頭がくらくらしました。


あばれはっちゃく(昔々のドラマ)の父ちゃんの
「この大バカヤロー!てめえの馬鹿さ加減にはなぁ、
父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ」というセリフと、
十字架につけられたキリストの
「神よ、彼らをお許しください。
彼らは自分が何をしているのか、わからないのです」
という言葉を同時に思い出しました。


また、こんなこともありました。
仕事で見た「レナードの朝」という映画に感動して大泣きしました。
難病から30年ぶりに目覚めたレナードのセリフに共感しすぎたのです。
きっと病気にならなかったら、こんなには心を動かされなかったでしょう。


「みんなに知らせなきゃ。生きていることがどんなにすばらしいかを。
 新聞をみてみろよ。悪いことだらけじゃないか。
 みんな、人生の意味を忘れているんじゃないか。
 人生は輝いているってことを、思い出させてあげないと。
 みんな、今あるものや失うかもしれないものを自覚していないんだ。
 人生のよろこびを、神様からの恵みを、自由を、素晴らしさを!」


「あたりまえが、輝きだす」ということを、病気から普通の生活に戻ると
 実感するものなのですね。


乳がんでも乳がんでなくても、子供がいてもいなくても、
胸がリアルでもフェイクでも、世界はそのままで美しいんだな、と最近思います。


そしてある時、自分の存在そのものがまるごと肯定されている、
大きな愛情が注がれている、と理屈ではなく感じる瞬間がありました。
私が後ろを向こうが前を向こうが、従順だろうが反抗的だろうが関係ない。
そんなことで子に対する親の愛情は変わらないのと同様、そのままで愛されている、と。
そして、おそらく自分以外の全ての存在も。
(一応、怪しくないプロテスタントのクリスチャンです。リアルでは恥ずかしくて
 とてもこんなことは言えないですが、ここでは言わせてもらっています。
 どうか生暖かく見守ってやってください^_^;あしからず)


そんなこんなで、置かれた場で何とか忙しく暮らしています。
タモキシフェンが終わるまで、あと2年。
人工更年期も、寝ると足がピーンとつるのも、太り続けるのも、きっとあと2年。
笑ったり泣いたり、イラッときたり感動しながら、あたりまえを大切に過ごしたいです。