近年の遺伝子工学の発達により、
この解明と組み換えや操作などの技術革新により発展発達して、
色々な実験や開発が利用がおこなわれています。
例えば、今回の動物の種の再生や保存、
植物の病害虫耐性種の開発、
そして、人の細胞再生や病気治癒や治療などと、
色々な部門にこの技術の応用が及んで来ました。
技術面や人の智慧のすばらしさは、
可能性からするとそれはそれは驚きを感じます。
私はこの遺伝子は、神様仏様、サムシング・グレートの、
人をはじめ動植物などの生命の設計図ですから、
当然この創造者の意図や目的がコンセプトが書き込まれていると思います。
建物を設計する時と同じように、
その設計した建物や家の中で住む人暮らす人が、
どのように感じ楽しく豊かに暮らし、
幸せを感じられるかを創造(想像)し、
この思いを込めて造り上げます。
この世の自然も人間も、生きとし生きる命ある存在全ては、
このような創造主の意図が込められていると確信します。
これを読み解くことが、私は本来のこの遺伝子の解明と思いますが、
科学的な面のみのこの工学の発達に、大変危惧しています。
それは、確かにこのような組み換えをして、
治療や再生や保存は出来ても、
しかし、今の考え方の最終目的は、
全ては人間のエゴ(我欲)に基づき、
これが利用されているのではないかと思うからです。
今回の牛であれば、肉質の良い牛としての食への利用、
また、農産物では収穫量の増加や農薬などの低コスト化、
そして、開発したこの種苗の世界的独占化が見られます。
私はこの遺伝子の部分は、
決して人が立ち入ってはいけない
“パンドラの箱”にも匹敵する部分のような気がします。
ですから、今後益々進むであろうこの技術が、
人類の本当の意味での発展の、
治療や宇宙意識への覚醒などならば大いに賛同しますが、
しかし、それであっても、同時にこの世に肉体を持って生まれてくる意味など、
人そのものの存在も問わなければいけません。
よって、今のままで進むと、
必ずや人間が取り返しのつかないことに手をつけてしまったような気もします。
また、臓器移植についても私は同じような生命倫理からも疑義を感じています。
波動理論により、例え同じ人間や親子の同じ臓器であっても、
必ずその思いに基づく波動が、これに転写されています。
よって、医学レベルで成功しても、
その後、その移植を受けた人の性格が変化した例も報告されています。
拒絶反応は、このようなことの一因もあるような気がします。
単純に考えただけでも想像できます。
長年共に命を支えてきた身体の分身が、
例え親子であっても、自分が育ったところから離れて、
自分の意思に反して強制的に移植されると思うと、
決して嬉しくはないと思います。
全て細胞や器官や臓器には思いや意志があります。
ここから発せられるのが病気の原因でもあります。
生命倫理観を今正しく見直し、
医学も根本的に延命行為や治療が、
その人の魂レベルに必要かまでを見直したいものです。
今日も一日、命とはを少し考えられる日でありますように。
御蔭様で、ありがとうございました。