同期社員はたいてい東大京大早稲田慶応で、H大学は自分だけでした。


 入社前は「学生時代に学んだことを活かして職場に活力を吹き込んでください」


 と言われていたが、入社してみると


 「学生みたいなこといってるんじゃない」と怒られました。


 とはいってもそこは新入社員、毎日酒ばかりのんでました。


 研修では週8回飲み会みたいなもんでした。


 そして恐怖の勤務先発表!!!


 同期全員7大都市に配属になる中、1人だけ東北地方のAW市に・・・


 そのときは「スノーボード行けるからいいか」と思い、


 同期の同情の視線を感じながら、東北新幹線に乗ったのでした。

 そして、結局大学院でもサッカーに明け暮れ、就職活動を迎えました。


 もちろん危機感はもっていました。


 ところが、2浪の2流大学卒でも、「体育会」というだけで、たいていの大企業で


 最終面接までいくことができました。


 その中で、「日本の中でも最大最強」という企業に4月頭に内定をいただくことができました。


 自分でも、最高に世の中を甘く見ていた時期でした。


 こうして、2兆円企業の、最高に馬鹿な総合職社員が生まれました。

 大学時代は、これまたサッカーをひたすらやりました。


 もちろん英語の勉強なんてまったくしていません。


 専門(機械工学!)の勉強も間違いなく学部で1番しませんでした・・・


 ただただテスト前に過去問を暗記して、過去問と違う問題が出れば、


 それでも過去問の答えを写して、「私はサッカー部員です、練習が大変で勉強出来ませんでした」


 と書けば、たいてい「可」が与えられて、無事進級できました。


 その後、4年の夏になり、はじめて「世の中では就職活動なるものは終わっている」という


 事実を知りました。


 そこで、なんの目的もなく、「大学院進学」を選びました。


 面接では教授に「4年間勉強しなかったから、あと2年勉強させて欲しいってことかね?」


 と言われましたが、それが嫌味だということも理解できず、「はい、そうです」と言いました。


 はれてH大学の歴史上、最も馬鹿な修士学生が誕生しました。

 首都圏のとあるベッドタウンに生まれ、普通の公立中学に進み、


 首都圏の進学高校を受験するも、3項落ちて、普通の滑り止め私立校に


 進学しました。


 高校受験は、それまで「自分は頭がいいけれど、勉強しないだけだ」と


 思い込んでいた自分に、「勉強してもそんなにはできない」という


 厳しい現実をつきつけました。


 もちろん、高校には将来海外の大学院に進学しようなんていう奴は


 1人もいませんでした。


 ただただサッカー部でボールを追いかけて過ごし、気づけば大学受験でしたが、


 もちろん受験した8校全てに落ちました。

 もちろん私も好き好んで干されていたわけではありません、。


 様々な bad luck があり、同期みんなビジネスマンになるなか、


 私は流れてくる製品を毎日みつめていました。


 次回からは、入社前の略歴から紹介させていただきたいと思います。