相変わらずライン作業員だったその頃、

 この状況を大逆転することができるのではないか?

 というチャンスがころがりこんできました。

 「若手社員カイゼンコンペ」です。

 1年をかけて、仕事内容の改善を行い、その成果をコンペするものです。

 私には「秘策」がありました。

 それは、私の目には「どう考えても無駄だ」と思われる作業があったのです。

 しかもそこでは環境に良いとはいえない消費財の大量消費が行われていました(もちろん合法ですよ)

 しかし、その改善を、現場上司は大反対でした。

 ナゼ?なぜ?何故?


 考えた結果、独断で行うこととしました。


 具体的には、自分でお金を出して・・・


 結果として、年間で数百万円のコストダウンと、環境性の大幅な向上を


 達成することができました。


 しかし、このことが後になってみれば、4年間同じ作業を続けなければいけない


 要因となりました。


 


 ちなみに、私は入社して4年間、デスクもPCアドレスも名刺もありませんでした。

 ひとまずビジネスにおけるトラブルは置いておいて、


 その先生との英語学習について書きたいと思います。


 


 先生は「TOEIC310点なんです」と伝えると、


 「今の点数なんて全然関係ありませんよ」と、おっしゃいました。


 「TOEFLibtで100点必要なんです」というと、


 「私が言うとおりやれば、1年でとれますよ」と、おっしゃいました。


 実際そのとおりになるのですが、2年かかりました。


 それについて先生は、「やれって言った事、半分しかやらなかったから、倍かかっただけですよ」


 と、おっしゃいました・・・。


 ここで、どんな勉強法だったのか紹介はいたしません。


 なんら目新しくない勉強方法だからです。


 「聞き流すだけ勉強法ってどうですか?」

 「どの単語帳がいいですか?」

 「テンプレートってあるほうがいいですか?」

 「リスニングって1日5分聞けば上達しますか?」


 そんな疑問をぶつけるたびに、先生が話してくれた逸話があります。


 先生はオクスフォードでPhdを取得されたのですが、オクスフォードに


 中国から来られた留学生がいたそうです。


 その方は、海外の大学に進学したかったため、英語の勉強をするのに、


 毎日2時間歩いて、図書館に行き、そこにある町で唯一の英語の本、


 「辞書」をひたすら読んだそうです。


 それを全部暗記するのに半年!かかったそうです。


 それから町全員の寄付で北京大学経由でオクスフォードの大学院に


 入学したそうですが、「TOEFLは満点とれたよ」だったそうです。


 ちなみに、TOEFLの受験料は、ご自分の両親の月収より高かったそうです。


 先生いわく、結局英語なんて「体育」


 「英語ペラペラ」なんて、「プロ野球選手になる」ではなく、「ソフトボール投げで校内1位になる」


 くらいの難易度なんだと、


 「ずるして楽な勉強法を探し出す」私に、何度もおっしゃいました。


 ただ、地味な勉強はホント疲れました・・・


 もう筋トレ感覚ですよね。

 本日のタイトルは見たまんまでございます。


 私はこれがわからずに、1年間をほとんど無駄に過ごしました。


 1週間に2時間ネイティブと会話してもスコアはほとんど上がらないと思います。


 「英語勉強法」は、他にいくらでも紹介している方がいるので、


 ここで述べることは特にありません。


 ただ、留学のためにTOEFLの勉強を必要としている社会人なら、


 「迷わず予備校に通え」が、私の意見です。


 予備校にかかるお金なんて、所詮いっても100万でしょう。


 それで社内での評価向上や、ましてや社費留学ができるならそんな金額


 消費税以下だと、私は強く思います。


 ただ、私のように、「渋谷や四谷までは電車で5時間」という環境におれば、


 様々な工夫が必要になってきます。


 そこで私は、電車で2時間の町に、地方国立大学があることに気づきました。





 「TOEFLの講座ってありますか?」


 「ありません」


 「英語を教えている非常勤講師はいらっしゃいますか?」


 「おります」


 「お話をお聴きしたいのですが、繋いでもらえますか?」


 

 どんな田舎にも、「英語で食っている」人はいるものです。


 

 その方との出会いが、結果として自分をネクストステージに連れて行ってくれました。


 元来めんどくさがりで投げ出しがちの自分が、


 このときはナゼここまでやれたのか、不思議でなりません。


 ただ、今にして思えば、「意地」だったと思います。


 「俺はこんな扱いを受ける人間じゃない」


 「本当の俺は工場で流れていく部品を眺める俺じゃない」


 「社会に出ても学生時代みたいにゴールを決めてやる」


 どこかでこんな考えが消えませんでした。


 これから英語の勉強と仕事にのめりこんでいくのですが、


 いくつか、いや、とてつもないレベルでトラブルが起こり始めます・・・

 わが社では年に1回程度、若手総合職が集まって、懇親する会があります。


 もちろん私も、寮から4時間半かけて本社に向かいました。


 しかし、徐々に「自分は疎外されているな~」と、感じるようになっていました。


 口の悪い同期には、「お前は工場長を目指せばいいんだよ」と言われていました。


 工場長は、いわゆるノンキャリアの最終目標です。


 そんな集まりに参加して、「西ヨーロッパでの企業戦略」とか、


 「アジア地域における当社製品の強みと弱み」


 などの先輩社員の発表を聞いても、自分には遠い世界の出来事です。


 まるで「冥王星の大気はオゾン100%です」と言われたときとほとんど同じ感想しかもてません。


 しかし同期は「商社の接待がすごくてさ」とか、「出向先の子会社で実質No2の待遇だよ」


 などと、言っています。


 私はといえば、当時「流れてくる製品の良し悪しを判断する」ライン作業員で、


 同時に「悪かった場合、どの程度悪い割合が出たらラインを止めるかの判断をする班長」


 でしたが、2年間で一回も止めたことはありませんでした。


 帰ってきて自分の状況に危機感を思えた私は、


 「せめて英語が話せれば、海外勤務になるかも」と思い、職場の上司に


 「TOEICを受けるので日曜休ませてください」と伝えると、


 「今は英検のことをTOEICって言うのか?」


 「TOEIC何級を受けるんだ?」


 「701は英語が話せるのか?」


 と、言われました。


 面白質問ですが、当時の私も同じくらいの知識でした。


 果たして2ヶ月間勉強をして、電車で2時間かけて受けに行ったTOEICの結果は・・・


 310点


 実はスコアを見たときは、事の重大さに気がつきませんでした。


 310点って、どうなんだろ?と、思っていましたが、


 その後の会社研修で、


 「主任になるには470点、係長職になるには600点、海外赴任者は概ね800点を必要とする」


 と言われました。主任の試験は半年後に迫り、総合職で落ちた社員は過去にいません。


 このとき、「自分は総合職として扱われなくて、不遇だし不当だ!」と思っていた自分が


 恥ずかしくなりました。


 その日から、仕事と勉強について、様々な壁にぶつかりながら、「進化」というより、


 むしろ「変身」していく日々が始まりました。

 その東北の田舎は、優しく私を迎え入れてくれました。


 寮は築40年、最寄のコンビには結局駅前のコンビニ、デパートはありませんでした。


 しかし、山は綺麗、湖は近い、食い物は旨い(寮のご飯は不味いですが)、と、


 「東京志向」のなかった自分にはぴったりでした。


 仕事のほうはというと・・・


 130人が働く、それなりの規模の工場でした。


 所長に挨拶に行き、自分の仕事を聞くと、


 「まずは3交代ラインに入って、現場の仕事を覚えてくれ」と言われました。


 当然だ、と思いました。まずは現場を知らなければ、現場が大事!と研修で教わってきた


 ので、毎日現場のおじさんたちと、額に汗して働き、油にまみれて働きました。


 そして夜は毎晩酒酒酒・・・


 そして週末はドライブしたり、趣味のスケートボードをして遊びました。


 今思えば、学生時代、毎日毎日部活の練習に追われていた反動もあり、


 新聞も読まず、ニュースも見ず、田舎の工場労働者を謳歌していました。


 1ヶ月働いてみると、同期は皆3交代勤務を終えて、工場での計画業務か、


 本社や研究所に転勤していきました。


 自分はいつなのかな~と思っていましたが、焦りはありませんでした。


 楽しかったし。


 このときは、まさかその後4年間工場で3交代勤務をするとは思いませんでした。