日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。 -62ページ目

初仕事の一週間を終えて〜

俺を優しく迎え入れてくれる場所。


それはキャンプ場だったり。

本屋だったり。

映画館だったり。


結局は、


自分と向きあう場所じゃないか。



なんてことだ。



その日は金曜日だった。

仕事を終えると、

微かな開放感と、倦怠のまま俺は放心した。

まっすぐ家に帰る気分でもなく。



俺は最後の千円札で飯を食った。

整然と区画整理された町並み。

笑わせるぜ。

こういう街って、

大資本のつまらない店ばかりが、軒を連ねる。


しょぼくれた飲み屋、

婆さんが一人たたずむタバコ屋、

駄菓子屋、

大衆食堂、

偏屈爺の古本屋。


そんなものはどこにも無く、

気取ったガラス張りのショールームばかりだった。

おもしろくもなんともない。

都市計画って、つまらない町を作る事なのか。

再開発で必然的に地価も上がり家賃も上がる。

そして、

どこの街の駅前も、

どうしようもなくつまらない場所に成り下がる。


滅菌され、去勢された街。


俺は何かを探していた。

酷く猥雑で、埃っぽい。

それでいて、どこか郷愁にかられる、人懐っこさを覚える景色を。


夢想はそこまでだった。


結局は、なんの面白みも無いショッピングモールくらいしか、

俺には行く場所が無かった。


俺はいつもの本屋へ行った。


俺は何をやっているのだろう。


ある本を手に取る。


ページを開くと、

俺は張り手を喰らったような気分になった。





$日々を生きる。~モラルハラスメント。離婚。解雇。そして、これから。



俺は誰かと話がしたかった。

本は話し相手としては、わがまま極まりない。

自分の考え方を喚き散らすだけだからだ。


俺は友人に宛ててメールを書き、転送した。


しばらく待っていても、


返信はなかった。

捏造された記憶

身支度を終え、俺は、

黒い手提げ袋を車の中に放り込んだ。


中身は二枚のレンタルDVDだった。


車の流れ。

熱せられた空気。

ラジオからは、役に立ちそうもない情報が溢れ出し、

一瞬にして消え去ってゆく。


ほどなくすると、俺は会社の駐車場にいた。


何時のように、ぎりぎりまで車内ですごし、俺はドアをあけた。


何故か、右手に黒い手提げ袋をぶら下げている。

俺はあわてて車に戻り、手提げ袋を後部座席に投げ込んだ。



仕事が終わり、レンタルビデオ屋へDVDの返却に行った。

車を降りて、DVDの袋を後部座席から取り出そうとすると、

袋が見当たらない。

いったいどうなっているのか?

助手席と運転席の下も探したが見つからなかった。

マットの下、

トランクの中、

何度も確認したが、みつからなかった。

信じられなかった。



朝持って出た事は確かだった。

考えられるのは、会社の駐車場で落としたか、

昼飯を買いにいったショッピングセンターで落としたか、だ。

いや、

車の鍵を閉め忘れ、タイミングよく何者かに盗まれてしまったのか?


とにかく俺は何も持たないまま、

レンタルビデオ屋のカウンターへ向かう。

その日がレンタルの期限日だった。


「レンタルしたDVDが、盗まれたんですが」



店員は、盗難の場合の対処方を知らなかった。

奥へ行って、どこかへ電話して確認を取っているようだった。


戻ってくると、こう説明してくれた。

「警察へ盗難届を提出し、その届け番号を持ってご来店してください」

「………」

俺は警察へ行って調書を書くことの煩雑さを想像した。

行った所すべてを克明に書き出し、

通勤経路も時間も、些末なことまで書かされるに違いない。

そして、

盗難にあったという確証もないのだ。

俺は店員に尋ねた。

「紛失の場合はどんな手続きになりますか?」

その場合、弁償する事になると説明してくれた。

俺は会員カードを提出し、店員に渡した。

端末にカードを入れ、操作を始めた店員が、首を傾げている。


なんてこった。


俺は弁済金額が幾らになるかを考えていた。


店員が怪訝な顔をして、俺の前にやってくる。

「現時点で、貸し出している商品は無いようなのですが?」

「いや、今日返却日になっているはずなんだけれども。二本借りたはずなのだけれども」


なんて幸運なのだ。

貸し出し履歴が、何故か消えてしまっている。

刹那思ったが、俺はよけいな事を言っていた。


店員が再度、俺の会員カードを確認している。



履歴を観ても、借りているDVDは無かった。


ならば、

その日の朝のあの記憶は、何だったのか?

DVDの袋。

黒い袋をぶら下げ、車を降りた事。

それは俺にとって現実以外のなにものでもなかった。



なんてこった。



俺は狂っているのか?


ふと、霊が見えると言っている、恐がりの芸能人を、俺は思い浮かべた。


彼は間違いなく、霊を観ている。

圧倒的なリアリティーを伴った幻覚。

それは彼にとっては現実であり、

脳が現実と認識している。


現実とはそんなものだ。


俺は信じられないような気持ちのまま、

プリントアウトされたレンタル履歴に視線を落とした。


俺がその日返却しようとしていたレンタルDVDは、前日に返却されていた。


返却した記憶が、どこかに消えてしまっている。

代わりに、黒い袋を持って車に乗る記憶が、でっち上げられていた。



店を出て、

俺は一度、振り返った。


朝の記憶は、生々しいほどリアルで、現実味を帯びていた。

というより、現実だった。


「なんてこった」


俺は呟き、車に乗り込んだ。


仕事のこと

会社の駐車場。

俺は五分前まで、車の中でラジオを聴いていた。

夏の日差しは容赦なかった。

通勤のための車の列が、生け垣越しに明滅して見えた。


俺は考えていた。


今日帰宅したら、何をやろうか、と。



仕事が始まって、まだ三日というところだったが、

俺と同じ入社日の若者は、早くも音を上げている。



「この仕事、僕には向いてませんよ。外で汗を流す方が、いいな」



密閉された空間。

黄色い照明。

管理されたクリーンな空調。

狂信的な、新興宗教のような防塵服。

それが俺たちの職場だ。


なんて事だ。



給与もよくはなかった。


それでも、ましな方なのかもしれない。



少なくとも、前職よりは圧倒的に休みは多い。


携帯が鳴った。

「よう。仕事の方はどうなのよ」

「ああ。まるで真空パックされたドブネズミのようだぜ」

「そいつはすげえ。まあ、慣れればチワワかミニチュアダックスフントくらいにはなるんじゃないか」


俺は笑いながら、話を続けた。


「昼に、どこかで落ちあおうか?」

「それもいいな。仕出し弁当喰らってから、行くか」

「そうしよう」


俺は携帯を切った。

俺の職場でも、仕出し弁当が食えた。

驚くくらい安い値段で、量も多い。

それでも、俺は弁当を持参する事になるだろう。


俺は車を降り、職場へ向かった。


草の匂い。

排気ガスの匂い。

車の音。


会社と家の往復。



なんてこった。


また、はじまっちまった。


こんなこと、望んでないのに。