恐怖~わたしの娘の母親、乱入
早朝五時。
扉が開け放たれた。
俺の娘の母親だということはわかりきっていたが、視線は決してそちらへは向けなかった。
まっすぐに天井の板の木目を見つめていた。
「ほんと、どうするのよ。お金ないわよ」
俺は視線の端のほうに、ぼんやりと浮かぶ人影に戦慄した。
「あんた、バイトはどうなったのよ。するって言ったじゃない!」
同じような侮蔑の言葉が次々と浴びせられて、ある言葉が延々と繰り返され始めた。
バイトはどうなった、バイトはどうなった、バイトはどうなった……。
恐怖で身動きが取れなかった。
言葉すらも出てこない。
視界の端にぼんやりと浮かぶ人影は腕を組み、神棚の横に仁王立ちしているようだった。
すぐにコップを取り上げ、投げつけることなど造作もないように思えた。
恐怖が、冷たい戦慄が、背筋を駆け上がった。
答えるしかなかった。
答えることで、痛めつけられずに済むかもしれない。
俺は慎重に言葉を選ぼうとした。
言葉が出てこない。
声を搾り出すように言っていた。
「今日の、午後、バイトの…。面接に行く……」
「それでまた一週間も待つなんて、どうしようもないじゃない!」
それ以降、もう、言葉は出なかった。
「朝遅くまで寝ているんだったら、朝のうちに面接受けられるんじゃないの!」
「……」
話はあらぬ方向に進んでいった。
「金がないということは、娘の可能性すら潰してしまっているのよ!あなたはそのことがわかっているの!」
「……」
話が戻った。
「普通の男は、朝から夜遅くまで、働いているんだから!」
「……」
「30代、40代や、もっと年をとった人でも、一生懸命しのぎを削って受験勉強しているのよ!あんたはパソコンばかりじゃない!」
「……」
もう、俺の娘の母親の話など聞いてはいられなかった。
物さえ投げつけられなければいい。
それだけを願った。
何の反応も示さない俺に、明らかに苛立っているようだった。
戦慄。
顔だけは守らなければならなかった。
こんなやつのために、コップが目に当たり、視力を失うなんてごめんだった。
物を投げつける代わりに、最高の言葉を投げつけられる事となった。
捨て台詞。
これが言いたかったのだ。
「わたしの人生の中での最大の失敗は、あなたと結婚したことよ!」
「……」
俺は心の中で笑っていた。
なぜならば、
俺も、同じ事を考えていからだ。
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とんでもない夢を観て~
夢は地獄と繋がっている。
筒井康隆が、自身の著作の中で言っていた?ような気がする。
精神が壊れてきたのか?
近頃、変な夢ばかり観るようになってしまった。
狂ってきている。
たぶん……。
俺はアストンマーチン・DBS を駆り、曲がりくねったはハイウェイを走り抜けていた。
180㎞。
200㎞。
とんでもないスピードで走り、カーブで急減速し、4車線ある道幅を一杯に使い、ドリフトで抜けた。
俺は俺ではなく、ダニエル・クレイグ だった。
ブリティッシュスタイルのスーツに身を固め、神業的なドライビングテクニックで、追っ手の追撃を躱していた。
ベンツやら、BMWやらが、俺に迫り、車体を体当たりさせてくる。
衝撃であらぬ方向に車体が振られるが、何とか立て直していた。
ベンツに立て続けに二回、体当たりされた。
アストンマーチンは、たまらずスピンし、同時に、フロントガラスが割れた。
銃撃だった。
リアガラスも、粉々になった。
今度はこっちのターンだった。
BMWに車体をぶっつけ大破させ、ベンツはワルサーでタイヤを打ち抜いた。
そのままベンツは中央分離帯に突っ込み、反対車線まで四散しながら飛んでいった。
まだ一台残っていた。
正面は行き止まりだった。
ブレーキ。
もう一台は、後ろから突っ込む形だった。
俺は飛んでいた。
多分、ボンドカーなので、脱出装置か何かが付いていたに違いない。
全てがスローモーションだった。
まるで、映画マトリクスのバレットタイム のように。
眼下にアストンマーチンが見えた。
ゆっくりと敵の車が突っ込んでくる。
俺は飛びながら、ワルサーで敵の運転席と助手席を、車のルーフ越しに打ち抜いた。
ゆっくりスローモーションのまま、俺はルーフの上に着地した。
ルーフから飛び降り、肩の辺りの汚れを払いながら、俺は歩き出した。
刹那、背後で車が爆発し、爆風が背中をたたいた。
スーツはぼろぼろだった。
そのままハイウェイを転がるように下りて、真っ先に目にとまったバーへと入った。
周りの客が唖然として、俺を観ていた。
まあ、俺ではなく、ダニエル・クレイグなのだが……。
バーテンは長い金髪をカールさせた、ブルーの瞳のいい女だった。
スツールに腰を下ろし、俺は女を見つめながらこう言った。
「ウオッカマティーニ。シェイクしておくれ」
結局は、マティーニを飲む前に目が覚めた。
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小説 猫と女 第二話
前回までのあらすじ
ある日突然、「僕」の前に現れた野良猫。
僕の飼い猫となったが、ある日突然いなくなってしまった。
そして。
猫のような女を連れて、戻ってきた。
ひどく傲慢で、ちょっと***な女。
「僕」と女と猫の物語。
女が猫を連れ去った後、しばらくは寂しくもあったが、二週間もすると、猫のいない生活が普通となった。
しかし、あのときの、猫のような女が時々脳裏によみがえり、下半身が疼いた。
細く涼しげな目元。
人を見下したような視線。
口元に浮かび上がる冷笑。
やせた長身に似合わないほど大きく張り出した胸元。
あの女はどこに住んでいるのだろうか?
猫が歩いて戻ってくるくらいの距離にいるのは確かだった。
僕の家の周りには、アパートやマンション、それに一戸建ての分譲地が延々と続いている。そんな地域だった。
僕は暇を見つけては、近所を散策した。
あの女が、不意に目の前に現れることを、期待しながら。
僕はあるとき、あの女の夢を見た。
女は全裸で僕の前に立っている。真っ赤な舌が出てきて、一度上唇を舐めた。
顔が近づいてきて、吐息が頬にかかり、僕は身震いした。
口元が笑っている。
ついには唇が重なった。
頭の先に、鋭い快感が突き抜けたところで目覚めた。
夢から覚めた後、僕はあの女に一度会ってるのかもしれないと思えてならなかった。
僕の妙な妄想は、その後まもなく明らかになった。
レンタルビデオ屋へ行き、アダルトビデオを物色しているとき、あの女がいた。
いや、別人なのか?
旧作コーナーの棚。
アブノーマル作品と書かれた札が棚にかかっている。
その棚の中で女は冷笑していた。
ひとつ手にとって見てみると、あのときの女より少し若いようだった。
この女の作品だけで、棚のひとつが占領されていた。
そして、手に取ったその作品は、すでに鑑賞済みだった。
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