運がいい、俺
運なんて、信じてはいなかった。
しかし、そういったものが、あるのかもしれないということを、俺は事あるごとに思う。
睡魔に襲われ、交差点で停止しているときに、眠ってしまった。
ブレーキから足が離れ、知らぬ間に車は進んでいたのだ。
目覚めたときに、ああ、やっちまったなと思いながらブレーキを踏んだ。
車は、目の前の車から、僅か1センチ足らずで止まっていた。
俺は多分、とんでもなく運がいい奴なのかもしれない。
ショッピングモールで一日遊び、帰り際、ポケットに車の鍵がないことに気付いた。
とんでもないことだった。
ポケットが浅かったのか。
鍵は、娘の母親のものだった。
食事をしたことろ。
買い物によった店。
トイレ。
思い当たるところは、すべて回った。
しかし鍵はなかった。
ふとひらめいて、娘と戯れた、子供や大人たちでごった返す、遊技場のようなところに行ってみた。
人を掻き分け、地べたを這いずり回ると、そこに鍵はあった。
俺は多分、とんでもなく運がいい奴なのかもしれない。
自殺をしようなどと、考えたことなどなかった。
なぜなら、この世の中で、もっとも最悪でどうしようもない行為だと思えたからだ。
それに自ら命を絶つとなると、とてつもないほどの、膨大なエネルギーが必要だ。
それだけのエネルギーがあれば、大体のことは出来るし、どんなうんざりすることにも耐えられる。
しかし、そんなことは忘れてしまい、何かの拍子で死にたくなる事もあるに違いない。
俺はそのとき、ナイフを握り締め、手首に当てていた。
これ以上ないというほど泥酔し、鎮痛剤も飲んでいたせいなのか。
いろいろなことが重なり、追い詰められ、そういうことになったのか。
とにかく、発作的にそういうことになっていた。
ナイフを握る手に力を入れる。
ナイフの刃が肉に食い込んだそのとき、携帯がなった。
俺は驚いて、ナイフを落としてしまった。
友人からの電話だった。
「おい山南。センズリこいているところを、悪かったな!」
「……」
「なんだおい!ほんとうにやってたんじゃねえだろうな!中学生のガキじゃあるまいし、かんべんしてくれよ!」
俺は馬鹿らしくなって、思わず笑った。
友人も、携帯の向こう側で笑っていた。
俺は多分、とんでもなく運がいい奴なのかもしれない。
財布の中に、千円札が一枚あった。
その日は、貴重な休日だった。
まず頭をよぎったのは、映画を見るということだった。
割引などを駆使しても、映画を見るには千三百円が必要だった。
あきらめるしかなかった。
家の中は、俺をとことん憂鬱にさせた。
窒息しそうだ。
本当に最悪だった。
俺は耐えられなくて、車で出かけた。
赤信号の交差点で、錆び付いたガードレールをぼんやりと眺めているとき、ふとあることに気が付いた。
その日は、一日だった。
何故か一日だけは、どこの映画館も、千円で映画が観られた。
俺はそのまま、車を映画館へ向けた。
映画館の中へ入り、スクリーンの前へ座った。
俺一人だった。
上映が始まっても、誰も入ってこなかった。
係員が一度、盗撮されていないか見に来ただけだった。
貸切の映画館。
遠慮することなく、俺は笑ったり泣いたりした。
俺は多分、とんでもなく運がいい奴なのかもしれない。
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詩 「傘」
傘の下で豊かさを謳歌した時期もあったが、今はとんでもない事になっている。
恋人は、どうやらわたしを捨てる気らしい。
君を守る、と約束はしたが、何かあったら、傘を引っ込めるに違いなかった。
今までのわたしは、傘の下で、他の心配をしていればそれでよかった。
着るものとか。
明日の朝食の事とか。
仕事の事とか。
住むところとか。
老後の貯えとか。
しかし。
そんなことで、本当にいいのでしょうか?
傘を無くし、ずぶ濡れになって、
服も、
自尊心も、
勇気も、
優しさも、
台無しになってしまったら?
わたしは、自分の傘を持つべきなのでしょう。
そして、
わたしの、国も。
詩 「夏の終わり」
「8月いっぱいでこの町を発つわ。だからその前にツーリングへ行かない?」
女友達のヒロからだった。
僕たちは近くの山へ
バイクを飛ばした。
林道。
砂埃が舞い、砕石にハンドルをとられながら、
僕らは山を駆け上がる。
風の音と、
時々メットを叩く、小枝が僕たちを歓迎していた。
山頂付近で、僕たちはバイクを降り、
隣り合わせに座り、膝を抱えた。
「高校って、最悪だったわ。わたしはいじめられないように、
ただひたすら、目立たないことに心を砕いていたのよ」
長い髪が風に揺れていた。
悲しみを湛えた瞳は、眼下に広がる町並みに向いている。
せみの鳴き声が耳障りで、僕は一度、髪を掻きあげた。
夏の日差しが、彼女の頬の微毛を、黄金色に輝かせていた。
濡れた唇に、僕は心を奪われていた。
僕はヒロのことが好きだった。
あの時、
彼女は、僕のことをどう思っていたのだろうか?
あの時、
僕は、好き、という気持ちを伝えるべきだったのだろうか?
時が過ぎ
僕はただ、日々を生きる。
あの頃抱いていたものなど、何も残ってはいないのに、今も変わらないと思い込み、
ただの幻を、胸に秘め、
自分をごまかし、日々を生きている。
そう
僕は
日々を生きる。
どうしようもないほどの、屈託の中で。
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