日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。 -11ページ目

食べること、寝ること、すなわち生きること

無職とは不安との戦いだった。


それでも、

腹は減る。


気がかりのことといったら、仕事以外には、


食事のことくらいしか思い当たらず、

朝起きると、何を食おうかとまず考える。


今朝はパスタを茹でて、出来合のソースで食った。


これが夕食ならば、ソースも自作したのだが。


今日は、飯作りが面倒くさくて、昼と夕食を兼ねた食事も、

トーストにレタスとキュウリとハムを挟み、

食っただけだった。


今度試してみたいメニューとして、

グリーンピースの味噌汁というのがある。

何故か、思いついたメニューだった。

きっと美味いだろう。

そして、ブログのネタとしても、面白いに違いない。



それから、

飯の後はお茶だ。


食後のお茶は自作のごぼう茶だった。

これも、失業してから知って、飲むようになった。

泥付きのごぼうを購入し、泥を落とし皮を剥かずにさかがきにし、

一日天日干しした後、フライパンでから煎りする。

ごぼう約一本で、ちいさめのタッパーいっぱい分になり、

冷蔵保存で一週間以上飲み続けられる。


なんという、お気楽な失業者なのか。



しかし、


仕事がないんだから、

仕方ないだろう?



必要なのか、必要でないのか

ぼくは考えます。


果たして『あれ』は、必要なのか、必要でないのかを。


漏れ聞こえる情報に、現時点でも『あれ』無しで充分にやっていけるという話もあります。


一種の利権構造を象徴する『あれ』


『あれ』を否定すると、抹殺されます。


実際に抹殺された人も少なくありません。


だから、いち素人のぼくでも、『あれ』を表記できません。


明日、交通事故で死ぬことになりますから。


それくらい、強大な力が関わっていることは、

みなさんもご存知のことと思います。




ぼくも、何も知らなければ、世の中で喧伝される情報によって、


『あれ』が必要である、と思ったでしょう。


そうです。

生活に欠かせないものの一翼を『あれ』は担っているのです。


しかし、


ぼくは疑問に思うようになりました。



そうです。


『あれ』に何らかの不具合が生じたときに、

きちんと対応するすべがないということです。


絶対に安全だ、ということが、脆くも崩れ去ったのです。


想定外だなんて、笑わせてくれます。


あのとき、あの対応さえすれば、

全世界に対して、

このような恥を晒さずに済んだのですから。

言いたいことは、あるんですが、これくらいにします。





ぼくもまだ死にたくありませんから。






ただ、待つのみ

財布は空っぽだった。

先日、失業給付の手続きをしたが振り込まれるのは、当分先のはなしだ。

朝起きると、お茶を沸かし、

何か作って食べる。

夜が来て、また何か作って食べる。


今はただ待つのみだった。


給付金が振り込まれるのと、


ある、知らせが届くことを。



とにかく、


まだ生きてる。