メディア環境の変化が与えるコミュニティへの影響について | 富士市議会議員 鈴木幸司オフィシャルブログ Powered by Ameba

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序文

 私は今でも「静岡新聞の発行部数が100万部を越えた日が何時だったのか」を正確に言うことができます。高校生のとき新聞配達のアルバイトをしていて、また当時の静岡新聞には、毎日の発行部数が誇らしげに印字されていたからです。

 実はコミュニティメディア論の講義の中で指摘があったように「新聞をとる人が少なくなった」ということはずっと感じていました。(私自身現在、夕刊を読むことはなくなりました) 私の愛する静岡新聞も2011年の発行部数は67万3000部。実に30%以上という激減です。

 活字メディアは、このままインターネットという新たなメディアに駆逐されてしまうのでしょうか?

 メディア環境の変化がコミュニティに対してどんな影響を与えてきたか考察する過程で、それら活字メディアの可能性について考えながら、今回のレポートでは、先日の「美少女図鑑」のお話からヒントを受けた新たな「まち創り」のための「フリーペーパー企画案」を提示してみたいと思います。

 

メディア環境の変化

 私の友人にMac使いがおり、彼の影響でかなり早い時期から私も「パソコン通信」に親しんできました。弁当箱サイズの巨大な携帯電話に「音声カプラ」をつないで、モバイル環境を実験的に構築したこともありますが、田舎ゆえの哀しさ、駅から少し離れるとすぐに通信途絶してしまい、パソ通仲間からは「駅前モバイラー」と呼ばれておりました。

そうした時代から思うと、今のインターネット環境には隔世の感があります。

 先日、中国を旅して来たのですが、iPhoneで自分の位置を確認しながら、上海の町なかをうろつくことが出来るなんて、30年前には想像することすら不可能でした。

 このまま人類が順調に進化すれば、あと30年後にはモニターも不要になり首筋のプラグから直接情報を取り込む「攻殻機動隊」的な未来が待っているのかもしれません。

 それは冗談としても、インターネットの登場によって私たちをとりまくメディア環境は劇的に変化しました。パソコン通信に比べれば幾何級数的に向上した通信速度。画像どころか動画まで取り扱える手軽さ。一気に情報の渦の中に叩き込まれたような不安を感じながらも、朝目覚めればまずメールをチェックし、フェイスブックやブログのコメント欄に返事を書くのが日課だったりします。

 出版業界にとっては大変な時代でしょう。まず百科事典のセールスマンが絶滅しました。今では信じられない事かもしれませんが、昔は、新築のお金を持っていそうなお宅を狙って「応接間の飾りに百科事典などいかがでしょうか」と売り込む商売が存在したのです。今日日(きょうび)そんなセールスが来た日にゃ「よく来たね。冷たいものでもどうですか」とねぎらってあげたいくらいです。それくらい、五月蝿いくらい、セールスがあったんですよ、新興住宅地には。

 あと、意外と健闘しているのが「エロ漫画」ですね。「ビニ本」は早々に絶滅しました。そりゃそうです。今じゃそのものズバリの「洋物」が簡単にネットを介して「空輸」されてくるんですからたまったもんじゃありません。

今の若い人たちには判らんでしょうね、真夜中の自販機で「ビニ本」を買うスリルが。ブツが落ちる「ガタン」という異常に大きな音に飛び上がって驚いて、思わず周りを見回したものです。

 しかし、それでもエロ漫画は健在です。コンビニの書棚には所せましと並んでいます。書店でも「レディースコミック」と名を変えたエロ本が堂々と平積みされています。あれって何なんでしょうか?・・・きっと活字だけではだめなんです。絵とセリフの組み合わせが、私たちの想像力をかきたて、妄想の高みに至ることが可能になるのです。

 インターネット時代というメディア環境の劇的な変化の中で、健気に生き残ろうとしている漫画家と編集者たちに拍手を送りたい。そして言おう「ありがとう」と。・・・もう買いませんけどね。

 

変貌する地域コミュニティ

 「ことばんく」から引用します。

>地域には部落会や町内会、自治会などの全住民が参加する組織はあったが、旧い体質や、都市農村を問わず地域社会の激しい変貌で、過密や過疎が進み従来の地域社会の考えでは、人々のニーズに応えられなくなっていた・・・

 

 私は昨年の統一地方選挙で市議会議員に立候補しました。大きなマンションが立ち並ぶ地域での選挙運動は本当に難しいと感じました。住民との接点はポスティングくらい。しかも告示前のポスティングは「政治活動」でなければなりません。

 日本の法律は選挙期間中の政治活動を禁止し、それ以外の期間の選挙活動を禁止しています。つまりポスティングできる「ビラ」は、選挙期間中は選挙管理委員会の許可したものに限られますし、告示前に配布できる「ビラ」は政党の名前の入ったものだけです。それ以外のものをポスティングしたりすると「事前運動」で捕まっちゃうので、集合住宅だらけの地域の地方議員の大多数が自民党とか民主党とかの政党に所属し、政治活動を行っています。

 都会の皆様はご存じないかもしれませんが、地方都市では、こういった街頭演説などの「政治活動」を行うことのない「無所属」の議員が多数派で、政党に所属している議員のほうが圧倒的な少数派です。

 メディア環境の変化がコミュニティの変化を生んだのか、それともその逆なのかは判りませんが、「まち創り」を訴える変わり者たちが、突然立候補し当選を果たせるくらいには、富士市も「都市化」したようです。前回の富士市議会議員選挙の特徴は、20代、30代の立候補者が現れたことです。この突然の変化は、ツイッターとかブログによって、個人の意見を手軽に発信できるツールを彼らが手にした影響が大きいのではないでしょうか。

 今後は選挙におけるインターネットの解禁を、一刻も早くお願いしたいものです。インターネットは「貧乏人の味方」で、そして「若者の味方」でもあります。若い人が政治に興味を持たないと、日本の国力はドンドン低下していきます。

 

>一方で、サラリーマン中心の雇用社会となったわが国では、会社人間といわれるような企業への帰属意識は強いが、地域社会は寝に帰るだけ、といった定時制市民を生み出し、子供らの通う学校や近隣との関係は妻にまかせっぱなし、といういびつな状況を現出していた・・・

 

 現在も毎月第2月曜の早朝には駅前で街頭演説し、会社に向かう人たちに呼びかけていますが、こうした忙しげな方々にはまるで手ごたえがありません。

 時々、近所のお年寄りが声を掛けてくれます。

「消費税は10%でも20%でも上げていいけど、俺たちの年金だけは減らさないでくれ」

そうですね、一緒に頑張りましょうね…なんて言ってるうちに、日本の政治家はどんどん高齢者の言うことばかり聞くようになってしまいました。お年寄りはきちんと投票に行きますから、日本が「高福祉・高負担社会」へと向かうのは、ある意味、合理性があるわけです。声を上げない若者にも責任はあります。

 メディア環境の変化のおかげで、その若者たちが傍観者から参加者へと変わりつつあることは先ほど述べました。問題はこれから大量に定年を迎える「団塊の世代」です。彼らを再びコミュニチィへと関心を向けさせる…そんなツールが、彼らの世代にもあればいいのになあと願わずにいられません。

 

フラット化する社会構造

 講義でも論じられたように、ミニコミ誌などの地域独自のメディアの退潮は確かに顕著ですが、人々に会って、直接話しかける活動を続けていると、メディア環境の変化は「人」に起因する現象だということに気がつきます。

 例えば、私の住む街には、市が発行する広報誌が存在します。これは町内会を経由して各戸に配送されるのですが、この広報誌の配布率の低下が問題です。

 市民の税金を使って作成される広報誌の配布率が100%に達しません。

 でも、必要な情報は「インターネット」を経由して、つまり市のウエブサイトで見ることができます。メディア環境の変化は、社会構造をどんどんフラット化して行きます。いわゆる「メディアリテラシー」の問題もありますが、自由に情報を取りにいける人たちにとって、ピラミッド型の社会構造は鬱陶しくさえ感じられます。

 「定時制市民」の増大はフラット化が進む社会構造を、今度はどんどん薄っぺらなものにして行きます。私たちが豊かで快適な社会生活を営み続けるためには、ぺらぺらになって行く地域コミュニチィに「厚み」を与える工夫、つまり「まち創り」という仕組みが必要になってきました。

 

まち創りとしてのフィルムコミッション(以下FCと略します)

 コミュニティメディア論の講義の中でも取り上げられましたので、この活動に対する説明は割愛します。

 英国のUKFCのように財政的に自立するのが正しい方向だと思いますが、そんなFC、日本には例がありません。一時期、「おらが町でも映画の撮影を…」という声に押され、雨後の竹の子のように、日本全国にFCが結成されました。そうした一種のブームの結果誕生した200を超えるFCの大多数は市役所の観光課や観光ビューローなどの市の外郭団体に寄生するようにつつましく存在しています。(FC富士に多少なりとも関わりの有る私には、先日の講義は耳に痛く、身につまされるような思いで聞かせていただきました)

 富士市で昨年撮ったCMだけでも「チオビタ」「ケンタッキーフライドチキン」「トヨタVOXY」「レクサス」と枚挙に暇がありません。実は、今月放映が終わったHNKの某テレビドラマの撮影箇所を巡る観光ツアーの企画が関西の旅行社から持ち込まれ、現在「ロケMAP」の製作が急がれています。

 ロケ倍増の背景には、昨年から続く「芸能プロダクションによる東北差別」があるのだと推測されます。震災後の状況が正しく認識されるようになれば、いずれ、この馬鹿げた風潮も泡と消えるでしょう。

 しかし富士市にとって、このチャンスを利用しない手はありません。定時制市民たちに「え?あのCMって富士市で撮っていたの」といった郷愁を「刷り込む」ことを狙って、団塊の世代も抵抗なく受け取れるペーパーメディアを考えてみました。その発行企画書を添付し、今回の回答といたします。

 

法政大学大学院 政策創造研究科 鈴木幸司
(2012年当時のレポートをfacebookノートからサルベージしました)