二宮尊徳という偉人がいる。
幼名を金治郎。
うちの小学校にも薪を背負いながら本を読む二宮金治郎の銅像がある。
尊徳は、経済と道徳の融和を訴え、
「私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元される」
と説いた。
ネット上には、以下のような細野排斥論がある。
この合理的選択というのは、
「人は自分の利益を最大化するように行動する」
という行動様式のこと。
「政治学でいうところの合理的選択ができないこと」
を手厳しく批判するこの方は、
自己の利益を最大化するために政治家をやっているのかもしれない。
もしくはそういう政治家を理想としているのかもしれない。でも、
政治家というのは、そういうもんじゃないだろう。
古い言葉かもしれないが
「私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元される」
という報徳思想こそが
今の政治家に求められているのではないか。
細野豪志ブログ「初心に戻り思うこと」から引用する。
「希望の党が何も成していない中で解党に至った責任が、私にはある。その理念や政策が共有されていなかったことを、深く反省している。ただ、希望の党の結党に込めた私の信念は、揺らいでいない。憲法や安保の理念を曲げる形で新しい党に加わることは、政治家としてやってはいけないことだと思う」
初心にもどるという。
信念は揺らいでいない、と言うのなら、
有権者はきっと支持するだろう。
「政治学でいうところの合理的選択が出来ないひと」
というのは案外、政治家にとって
最大の褒め言葉なのではないかと思う。