小沢一郎に期待する。 | 富士市議会議員 鈴木幸司オフィシャルブログ Powered by Ameba

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小沢さんは党首を辞める気なんだと思う。

しかし、自らの命を賭けてでも、やりたいことがあるようだ。

テロ特の問題では、選挙で不利になることを厭わず、自民党に対して「哲学論争」を仕掛けてしまった。

  

野党が開示請求した、補給艦「ときわ」の航海日誌が、肝心の部分だけ、都合よく「紛失」。どうやら政府自民党はあくまでも「民は寄らしむべし、知らしむべからず」の対応を貫こうとしている。


昔はそれで良かったんだよね。為政者にそれだけの覚悟があったし、責任のとり方を知っていた。

しかし、いまの「いざとなったらおなか痛くなっちゃうような」自民党にフリーハンドを与えていいのだろうか?  


日本国憲法の前文にこうある。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」

  

第9条第2項で

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

とされているのに、日本は自衛隊を保持している。歴代自民党政権は、交戦権はないといいながら個別的自衛権は認められると強弁して恥じない。これでは自衛隊はいつまでたっても、まま子扱いのままだ。


小沢一郎の主張はこうだ。

 「国際平和の維持・回復のために国連が行う実力行使に日本が参加・協力することは『正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求』する日本国民にとって当然のことであり、憲法9条の趣旨に沿ったものだ。そのような国連の実力行使に対し日本が参加してもそれは国連の行動の一環であって、日本国の主権発動の性格を有しないものであり、憲法9条が放棄した戦争・武力行使とはまったく異質のものと考えられる」

つまり、前項の「国権の発動たる・・・」という部分に着目し、国連の行動の一環であれば、それは警察活動の一種だと言い換えて、その実力を発揮させることが出来る、というのだ。

 

日本特有の二重権力構造を頭に描いていただきたい。かつては幕府の上に天皇がいた。これを国連に置き換えてみればいい。これを小沢一郎は「集団的安全保障」と呼んでいる。

 

幕藩体制は300年の栄華を誇った。しかし、どんな制度も、民主主義でさえも、絶対善というわけではない。小沢一郎の投じた一石は、国連はそんなに正しいのか?という疑問を呼び起こさずにはいられまい。


これは、古くて新しい問題なのだ。

かつて幕府は、「天皇御謀反」の場合はどうすれば良いのかと恐れた。


江戸幕府は滅んだが日本は残った。しかし、その日本の天皇の軍隊がしたことは、正しいことばかりではあるまい。この論争をうやむやにせず、自衛隊を海外に出すには、どんな原理原則が必要なのか、きちんと議論しておく必要がある。そして、たとえ民主党の支持率がゼロになろうとも、この哲学論争の果てには、新しい思想が生まれる可能性があるのだ。怯んではならない。

 

yan