日本共産党の「党首公選制」をめぐる除名問題から思う。もうマルクスレーニン主義をやめたら? | あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

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  2013年58歳の春に「うつ病」でダウン。治療に4年半。気づくと還暦を過ぎました。
  66歳になった2020年夏に「ああ、あと猫の寿命ぐらい生きるのか」と覚悟。世の中すべて如露亦如電です。

 

 すると一枚の紙片がやってきて除名するという

 何からおれの名を除くというのか

 革命から?生から?

 おれはすでに名前で連帯しているのではない。

 

  (黒田喜夫「除名」から)

 

 「列島」詩人であり共産党員であった黒田喜夫は、代々木の党の病院で入院治療中に「除名」通知を受け取ったそうです。

 

ニヤリ 日本共産党の硬直化したあり方について、党首公選制を掲げて異を唱えていた松竹伸幸さんが党を「除名」されました。

 日本共産党では、たびたび「除名」問題や思想統制問題が発生してきましたが、今回は一人の除名とはいえ、背景はにはかなり深刻な状況があります。

 党の「あり方」が問題になったからです。

 

ニヤリ ソ連・東欧圏の崩壊や、中国の国家独占資本主義化(あるいは開発独裁的資本主義化)という経過の中で、日本共産党はそれなりに独自路線を執り続けて、なんとか国会を初めとする議会の議席と社会運動における一定の影響力を保ってきましたが、それもほぼ限界に達し、党勢は頭打ちから下降傾向へとなって自民党政治が腐敗を極める中でも支持率が以前と大差ないという状況です。

 

キョロキョロ 問題点はどこにあるのか? 党員の中からは硬直化した党運営(志位委員長の長期就任も)が問題視されていたのでしょうか?

 松竹党員は、これを「党首公選制」で訴えたわけで、その背景(党の中には実際には多くの系列を持つグループが存在しているのでそのあたりの党内力学もあるかと思いますが)はともあれ、一石を投じて、そして除名された?

 私は、この「党首公選制」はイマイチよくわからない。そもそも党員のみの投票は「公選」とは言えない気がします。むしろそれは党内の手続きの問題です。

 それより、今の日本共産党に問うべきことは「現在に通用する共産主義の提示」あるいはそのための「イデオロギーの確認」ではないかと思っています。いつまでもマルクス・レーニン主義(マルクスの思想ではなく、スターリン経由「マルクス・レーニン主義」、それに思想を単純化して教科書化したエンゲルスの諸著作だって現在に通じるものは少ない←「家族私有財産および国家の起源」なんて読まない方が良いほど)にしがみついていてもダメなのに、それが出来ない。不破委員長時にその見直しが少し進んだけど、宮本顕治は、子飼いの志位委員長を据えて「混乱」を強力に鎮めました。けど・・・・。

 マルクスレーニン主義やめたって「共産主義」は語れます。「社会主義」の定義なんてそれこそ「百説」はあります。

 (1848年の第3次?フランス革命後に「人々に社会主義とは何か?」と、プルードンが訊くと「たちまち二十もの異なった定義が相争って」と「19世紀における革命の一般理念」にありますが、その後北欧式とか、ある面「日本式」(戦後の日本の経済政策)とか、仏教式とか「社会主義」の種類は増え続けていますが、不思議にも日本ではおしなべて社会主義=共産主義の初期段階って、右も左も教科書的に位置付けています)。

 

ニコニコ 私は党名を変える必要は無いと思うけど、今回の問題を機に、「目標とする共産主義とはなにか」について党内論争を、それこそ「公開」で行えば良いと思います。日本のなかで「共産主義」「社会主義」の影響力が無くなっている今日、「分派」しようと「党内グループ」が出来ようとも、それは「党の民主化」と選挙民からは受け取られるのではないかな?

 しかし、党を「敵の攻撃から守る」ために「除名」とは? いつの時代の、どんな思想の党なのか? 「書記長」の肩書って、スターリンが党内権力を固めるのに最大限利用した歴史があるけど、そろそろスターリンからの全面脱却したらどうか? 違う立場だけど斎藤幸平氏なんて「さよならレーニン」なんて言い始めていますよ。

 

ウインク 日本共産党は、その「思想」に投票できる党になって欲しいと思います。

 

☆写真はシロツメクサ(花言葉は「約束」「幸福」「復讐」って沢山あります。物事多様性、柔軟性が大事です)、新聞の画像は共産党内の「揺れ」を伝えている2月4日の毎日新聞朝刊。

 

↓去年の今日のブログです。韓ドラの「優雅な友達」について書いています。