月刊「世界」の2つの小論を読んで、ビルマ(ミャンマー)情勢を考えました。民主化への道とは? | あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

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  2013年58歳の春に「うつ病」でダウン。治療に4年半。気づくと還暦を過ぎました。
  66歳になった2020年夏に「ああ、あと猫の寿命ぐらい生きるのか」と覚悟。世の中すべて如露亦如電です。

ショボーン ビルマ(ミャンマー)国軍による軍事クーデターが起きてから半年以上が経過しました。

 クーデター政権はいまも着々と「民主派」の基盤を崩し支配を強めているように見えます。そして、この軍事政権に対して中国やロシアはむしろ支援する構えを見せています。

 

ニヤリ ビルマの軍事独裁的政権に対して、EUやUSA、カナダなどの「民主的国家」は一様に「民主主義擁護」の立場で強く批判していますが、日本政府は「民主派弾圧}(ビルマ国民による選挙によって選ばれた政権に対するクーデター)を批判するものの、今ひとつそのトーンは濃くありません。また、日本のマスメディアの多くも、この政権を強く批判する報道姿勢を持ちながらも、なぜ?クーデターが?(民主社会という未来が開けていたのに)と戸惑いを見せています。

 

 そもそも、ビルマ(ミャンマー)が、少なくともこの10年間に歩んできた「民主化」とはなんであり、そしてなぜ「軍」がこれほどまでに力を持ち続けているのか? そもそもビルマの「軍」とはなんなのか?

 

ウインク 岩波書店の月刊総合誌「世界」8月号と9月号に、ビルマ情勢を理解するための二つ小論が掲載されています。とくに8月号の根本敬上智大教授による「危機の中のミャンマー」は問題理解の上で重要な内容が含まれているので、一読をお勧めします。

 

キョロキョロ 根本さんは長年ビルマの歴史と社会について研究を続けているとともに、1988年以降のビルマ民主化運動にも積極的に関わり(そのため、現地へは「民主化」するまでは入れなかった=軍事政権による拒否)続けてきた、ビルマの歴史と民主化運動に関する研究における第一人者といっても良いと思います。 その根本さんはこの「世界」8月号小論で、少し角度を変えて1948年以降のビルマにおける「国軍」の位置を明らかにしていきます。

 根本さんの文章を引用するならば、ビルマ国軍とは「1948年の独立以来、今日に至るまで73年間、休みなく戦闘を続けてきた世界でも希な政府軍だという事実である。それも戦闘相手は(中略)、常に自国民だった」こと「国軍自らが経済利権を構築し、それを安定拡大してきた」こと「武力・政治・経済のすべての面で自己完結した集団として、ミャンマー国内において権力を維持できる構造を作り上げた」という国軍が、急減期に進展した民主化に直面し、強い危機感を持ち、これを弾圧し権力を再確立した、という背景があるということです。

 

 根本さんは、そもそも国軍は強力な権力を軍事力/戦闘力をもっているが故に、「国民の中に支持基盤を作らなかった」と根本さんは指摘します。そして、その軍は「民主化」が進むにつれて拡大する国民との「乖離」に危機感を募らせて、ついにクーデターにいたった?

 

 

 もう一つの問題は、「民主化」勢力の脆弱性。

 確かに「民主化」は世界的なスタンダードであり、ビルマでもNLD(国民民主連盟)の選挙での大勝利で合法的政権への道が開かれていたように思えますが、その基盤はどうであったのか?

 

 アウンサンスーチーに依拠するところが大きい「民主化運動」なのかで、民主化勢力はいかに「軍事政権後」の社会システム(受け皿)を用意できていたのか? この点は民主化運動の総括の軸になると思います。

 

 「世界」9月号の今村真央さん(山形大教授)の「辺境から見るミャンマー政変」は、ロヒンギャ問題を含めて“「フロンティア」の幻想”アウンサン・スー・チー批判も含めて)を述べたものです。比較的最近(この20年間ほど)の事象を中心に述べているので、根本さんの小論と合わせ読むのが良いと思います。

 

 なお、この今村さんの小論の中に登場する「バマー民族」「バマー中心主義」という用語には、少し違和感を感じます。バマーとは彼の地の言葉で「ミャンマー」の口語(ミャンマーは文語)。だから民族名としては「ミャンマー民族」が良いのでは?と思うし、あえてバマーとするならば、それはビルマ独立運動における「我らビルマ人協会」(ドゥ・バマー・アソシエーション)に用いられた「バマー」を意味し、それは単なる「ミャンマー民族」のみを示したいたのかどうか? 検討が必要に思えます。こういう「バマー」(口語)の使い方はやや差別的な感もします。

 私は日本語では、「ビルマ民族」(文語、口語の縛りがない)を使っています。

 もうひとつ、今村さんは「多数派民族であるバマーは総人口の7~8割を占め」としますが、それは、民族数が130以上に上るという「ビルマ」で、さまざまなルーツの混在している人々(曾祖父母にまで遡っての「純粋ビルマ人」がどれほどいるか?)が、あえて「自分は何民族」というときに選ぶ登録民族名と思われます。この辺の把握はどうなっているのか? あるいは「大バマー民族」幻想を射程に入れている論なのか? よく分かりませんでした。

 

☆写真は2007年2月に東京都内で行われた「ビルマ少数民族の日」での各民族の舞踊の披露。上から。ビルマ民族、チン民族、カチン民族、シャン民族、カレン民族、アラカン(ヤカイン)民族。

 

※私は国名には「日本語」である「ビルマ」を使用していますが(イギリスとかオランダとかと同様に)、文脈で「ミャンマー」を使うときもあります。

 ↓「ビルマ」と「ミャンマー」の「国名」について書いた私のブログ。

 

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びっくり 最近、アクセス数が多くなっていて、少しビビっています。“1日のアクセス数50前後、フォロワー(する方も、される方も)30~50程度”の、こじんまりとしたブログをイメージしていたのですが・・・。

 

照れ とにかく、アクセス閲覧ありがとう。これからも宜しく。