ビルマで軍事クーデター?! 今一度注目したいその国のこと。まず「国名」について。 | あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

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  2013年58歳の春に「うつ病」でダウン。治療に4年半。気づくと還暦を過ぎました。
  66歳になった2020年夏に「ああ、あと猫の寿命ぐらい生きるのか」と覚悟。世の中すべて如露亦如電です。

 ビルマ(ミャンマー)の民主化運動の主体となった国民民主連盟(NLD)の旗です。

 いま、ビルまではこの旗を掲げることも危険な状態とか、せめてネット上に挙げておきます。

 

 ビルマでは、昨日軍事クーデターが起きて、現在NLDの指導的立場にあり、国の最高顧問である、アウン・サン・スー・チー氏や、多くのNLD幹部、政府要人が拘束された状態にあると報道されています。

 

 なぜ? 事態は徐々に明らかになってくると思います。この「コロナ事態」を利用した政変?

 

 とりあえず、「国名」について、このブログでは「ビルマ」を使うので、その理由を書いておきます。

 

 日本は明治時代ののはじめから、その国を「ビルマ」と呼んできました。その発音は現地語とは違います。つまり「ビルマ」という国名は日本語。「イギリス」や「オランダ」と同じです。それは英語表記の「ブーマ/バーマ(Buma)」でも「ミャンマー(Myanmar)」でもありません。また、「ビルマ」という呼び方には、その国を貶める意味はありません。そのため日本と関係を持つビルマの人達も「ビルマ」を使い続けてきました。

 

 ところが、 この「ビルマ」という長い間日本で使われている国名が、1989年に当時の軍事政権の要請によって「ミャンマー」に変わりました。しかし・・・

 当時の軍事政権が「世界」に向けて求めたのは、「英語表記」を「ブーマ」から「ミャンマー」に改めることです。日本では「日本語」としてビルマが使われていたので、これにはあたりませんでしたが・・・。

 当時の日本政府が過剰に反応して、従来使用していた「ビルマ」を「ミャンマー」に改め、そして非主体的なマスメディア各社がこれに従いました。日本政府が「ビルマ」国名を変更した背景に、軍政が昭和天皇の「大喪の礼」に参列する条件として、日本に国名の変更を求めたということもあるようです。

 なお、この「英語表記」変更時には、旧来「ラングーン」と英語由来で表記されていたビルマ最大の都市名が「ヤンゴン」と改められました。これは、地名の現地表記の原則によるので(ラングーンは英語訛り)、問題はないと思います。

 

  

 ビルマ語は文語と口語がはっきり分かれる言語で、それは助詞まで異なります。そしてその国のことを「文語」はミャンマー、「口語」はバマーとします。しかし、一般的な国名については「バマー」でした。それは第二次大戦前からのビルマの独立運動の原点にある「ド・バマー・アソシエイション」(我らビルマ人協会)に由来しています。人々が多く使う「バマー」を「我らビルマ人」として採用したのです。

 

 では、軍政はなぜ。これをミャンマーに変えたがったのか? 「ビルマ語」の早い(だから迅速に動く)という「ミャンデー」が「強そう」だから、とか「バマー」は、独立運動の英雄アウン・サン将軍(スーチー氏の父)のイメージが強く避けたかった、という説が有力です。そして口語よりも文語が「偉そう」という事もあるようです。日本語でも「日本」より「大和」とか「扶桑」というほうがなんとなく偉そう?(ただし日本は現在、口語と文語は一体化しています)。

 

 なお、ネット上のWIKIなどの情報では、中国なども「ミャンマー」としているという解説がありますけど、それは中国における「英語表記」です。国内では今も漢字です(当たり前)「ミエンティエン」という中国語を使用しています。

 

☆写真は、1988年頃、新たな民主化運動のリーダーとして運動の先頭に立っていた頃の、スーチーさん。2枚目は在日ビルマ人民主化団体によって毎年東京で行われていた「正月=3月~4月)の水掛祭りイベント。これは2006年4月(場所は東京王子・飛鳥山公園)。

 

※なお、ビルマは135もの民族によって交際されている、多民族国家です。さらにこの「公認」されている135民族の他にも「少数民族」がマイノリティーとして存在します。ロヒンギャはその一つ(ムスリム=ロヒンギャではありません)で、他にも「中国の国民党が残ったグループ」や「モンゴルの逃げ残りグループ」「ネパール起源の傭兵の子孫・グルカの人々」もいます。ビルマの民族・宗教構成は多様かつ複雑です。

 またビルマ国民の70~80%は仏教徒ですが、その仏教は日本で一般的な「大乗仏教」とは大きく異なる「上座仏教」です(決して「小乗仏教」などという蔑称を使用しないように!「上座部仏教」というのも「部派仏教」的イメージで良くありません)。

 「上座仏教」には観音菩薩などの「菩薩」や阿弥陀如来も薬師如来などの「諸如来」もありません。ただ「仏陀」が存在するのみです。また人は「輪廻転生」すると信じられるので、その一時{その刹那」を固定化するような「墓」は一般的にはありません。規律に厳格な僧侶は、午後は食事しないし、お金にも異性にも触れません。「快楽」につながる楽器演奏もしません

 だから「ビルマの竪琴」のように、竪琴弾きながら、墓を作るための骨を集める僧侶など「破戒僧」になります。 

 なお、「ビルマの竪琴」の作者である竹山道雄さんは、ビルマに行ったこともなければ、ビルマ文化の研究をしたこともないといいます(それは、復員した兵士たちの話を元にして書かれていて、たまたまその舞台が「ビルマ」だったのです)。