「不足を補う」なのか「未完を育てる」なのか | おとなの「個」育て  トパーズ ROOM

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日々のつれづれ、ときにはアート。
キャラクトロジー®心理学を中心に、
気づきと癒しの自己探求をつづける、トパーズのブログです。

こんにちは。

あなたは補うタイプ?育てるタイプ?
今日もまた「微妙な違い」が「大きな違い」だったと知り
仕切り直して自分を癒すトパーズです。

 


先の記事つよがり リジ子さんの誤認に書きましたが
私は、不安で安全じゃないと感じた自分を隠すことが
周囲に対する私なりの愛情表現で、
しかもそのことは誰にも(もちろん私自身も)知られず、

不安じゃないし、どんな苦境にも全然負けないし、と
とても強がりながら生きていた子どもだったと気が付きました。


先日「子育てキャラクトロジー」の講座に出ました。
それぞれ29歳目前、22歳目前という「いい大人の二人」の我が子
今さら「子育て」でもないだろう、という声も内側にあったのですが
彼らが愛する人に出会い、家庭を築こうとする前に

私は、私の人生・両親それぞれの家系のつけを払いおえて、
彼らに引き継がないで、「出会いを楽しめ!」と
送り出してやりたい気持ちがあり、参加しました。
参加して、しみじみ
今後のセラピスト活動のためにも、

子どもたちへのエールとしても これは不可欠の学びでした。

 



家庭は「安心、安全」が保障されていて
子どもと言うのは「不完全である権利」が守られるべき。
不完全であることを受け入れられてこそ、
「さあ、何を学ぼうか、何を楽しもうか、何を越えようか」と

人生に向けて自発の心が育っていくものじゃないでしょうか。
私はそれが「頭でわかっているのに、してやれなかった」です。
「自分の思いは思いとしても、正解を知っておく方が楽」
私は、不完全さの隠し方を教えようとした気がして、

そこはすまないことをしたな、と思っています。

私自身は、
自分が未熟で手のかかる幼子であるゆえに、迷惑かけている
と思いこんでいたきらいがあります。


父というのは「何でもできる、何でもわかる、私の世界の神様」で
母や兄姉が見せる、父という「権威」とのかかわり方から学習し
神様(父)がこの世界の中心で、
正しければ愛され、正解以外は愛されないと誤認していました。
でも、これはあくまで誤認。
正しさを求められていた「わけではない」。

両親兄姉の名誉のために書きますが
「父が、滅茶苦茶な権威を振りかざしていた」わけではないです。
ネグレクトがあったわけでもないし、暴力もありません。
ただただ
「正解をつないだ一本道を急がないと達成できない」ような
高い理想を持ち、どん底から這い出す機関車のような険しい父に

振り落とされないよう、ガタガタ揺れながら、ついていく家族。
幼子の私には、「一瞬も、気を抜けない」緊張感が
常に感じられていた、と言うことです。

それは「安心安全を感じる、家庭の役割」から見ると、
重要なところが欠け落ちていたことを、認めなくてはなりません。
私の人生の土台に、それは持てていなかった。

でも自分の大切な家族や親のことを悪く言うように思い、
「それが欠けていた」とは認めたくなかったのです。

私に限らず
「親は、親なりに頑張っていたのだから」と、思うことで、
自分の満たされなかったものを「なかったことにする」、

自分の思い方、受け取り方のせいだと「自分のせいにする」、
『ああではあったけれど、確かにそれも愛だった』
と、くるっと美しくまとめてしまう。

 

そんな傾向の人は、いらっしゃいませんか?

私はそれで世界がうまく回るなら、と思ってきましたが、
これではなかった。
それが証拠に、私の家庭はうまく回らず、脱輪したわけで。


「子どもたちに、不完全さの隠し方を教えようとした気がする」、
ほんとうだ…
私の子育ての「もやもや」とした感じは
幼い時から繰り返してきた「ここ」に気付くまで
繰り返し「こうだけど、いいの?」と湧いてきたもののようです。

ここちょっと深堀したいので、次回に続けます。