こんにちは。トパーズです。
久しぶりの投稿となりました。
今日は父の命日。
先日13回忌の法要を行ったところです。
すっかり遠のいていたブログなのですが、
アメブロさんが5年前の記事を示してくれたので
過去の自分に出会うべく、読んでみました。
過去記事を読むと、ちょっと恥ずかしい。
気負いがあって、
その時気づいた、絶対と思うことすら
「その先で、また書き換えることになる」
と、今の私は知っている(笑)
だからこそ、今に至った道のりの
曲がり角やら風景やら
それが折々の私に映っていると知りながら
自分を振り返る好機となりました。
例によって、
長い長いつぶやきですが、
読んでいただけると嬉しいです。
この記事を書いた5年前というと、
その年の2月22日、離婚が成立し
いろんなこわばりを手放した年でした。
この時の記事に感じる、
父に対する、私の優しいまなざし。
父の前で強張っていた自分の誤認が解けて
ほっとしている私がいたようです。
この記事から、さらに5年たって見れば。
その「ほっ」はもちろんウソじゃないのですが、
「父への恐れ」が解けたら、
次は何か「神々しいもの」に持ち上げて、
じつに素晴らしい父であった、
私は実は愛されていたし愛していたのだ!
と
誇らしげな心映えを強調しているなあ。
と読める(笑)
そう、
「自分は愛されていたし、愛していた」
と気づけたことは本当に大きな安心で、
だから余計に思うのだけど、
その気づきに、ことさら力まなくても
それは消えないよ。
感じても感じなくても、忘れても
今も昔もこれからも
たとえどんより沈む日も
私が閉じても開いても、あるよ。
でもそれに気付いたときの嬉しい気持ち
あるよね。わかるよ~!!
5年たって思うのは。
「気づいたり、忘れちゃったり」の私、
「調子に乗ったり、しゅんとしたり」の私
その、反応する私に向ける優しい目が
私の中にも育っているみたいだ。
5年前の私がいて、
20年前の私がいて、
おギャーと生まれた私がいて
全部がいたから今の私が作られている。
過去の自分の悪戦苦闘に。
ぐっじょぶ!
これからも、つづく!。