私とは何者か。
この長い人生で、大小さまざまな「属性」を手にしています。
学校や就職先と言う所属する「ハコ」を伝えれば、
ああ、そういうひとなのね?と納得されることは多いです。
そのハコの中で出会う人同士には、
○○組のわたし、 ○○事業部△△係と言えばよく。
ハコを離れた後も、
お互いを、その属性の延長上のものとして整理しています。
私が結婚をした時は、その肩書が何もなくなって
あろうことか「○○さんの奥さん」という呼び名となり、
私が誰であるか、
どんな生き方・考え方・経歴をもつかなど
「まるで何もなかったかのように」、
○○さんの奥さん、と呼ばれるようになりました。
新婚の時は、それが素敵な「ティアラ」を戴いたみたいで
ウフ ウフフ💕と、うれしかったんですけどね。
30年間、私はその「○○さんの奥さん」という属性に居ました。
でも、後半の15年くらいは、
ボクの奥さんの席は、新しいこの人のものだ!
と、立ち退きを迫られたり、
「いうこときかないと、こうしてやる!」
「どけてくれなきゃ、ボクはこんなに大変なんだ」
「早くしないと、逃げられちゃうよ~(´;ω;`)」
私は私で
「これしかない、私の居場所をとらないで!」
「絶対、この椅子だけは手放しません!」
「やだやだやだ!!」としがみつくような、
幼稚な椅子取りゲームのようなことになりました。
すったもんだのあと、結局その椅子取りゲームは、
話し合いもないまま 押し合いへし合いしたあとで
「もう、いい!」と、別の部屋にいってしまったために、終了。
椅子はあるけど、そこに「○○さんの奥さん」という札はついてない。
私は10年以上にわたって、
「椅子だけが残った部屋」で、子どもたちと暮らしてきました。
今年の2月、長年続いた、「張りぼて」のような暮らしから
名札のつかない、ただの椅子に座って、
すすけた古い部屋を切り盛りする私が、本当の私です、と受け入れました。
私とは、実はこんな人です、とカミングアウトすることで、
私はようやく、「私の人生に、降り立つことにした」のです。
素敵なティアラも、黄金の玉座もない、
私が私の足で立ち、私の手で紡ぐ人生。
私が、私を生きている。
そうして見直してみたら、
この15年、30年、さらに実人生のすべて、
「私の属性は、あれでこれで、それなくしては、わたしじゃなくなる!」と
恐れていたことの全てが幻で、
私は、この世界に生まれ落ちたときから、このわたし。
「どんなハコも、どんな部屋も、どんなティアラも、私じゃなかった」
と、気が付いたところです。
私は、私として輝くの。
それが、わたしであり、これを読んでくださる、あなたのいのちの輝き。
さあ、今日もあなたの人生に 素敵な色どりを!