これから霊能力を持った人がどんどん出て来ます。
それは地球がこれから物質文明から霊文明へと移行して行くからです。
しかし本当の霊とは神さまのことなのです。
幽霊も霊には違いないが低級な霊のことです。
本当の、本物の霊は神霊です。
人間は人であって人間ではない(あまり言い方にこだわらなくてもいいのですが)
人とは、人=霊止 と書くのです。
神霊(神さま)が宿ったのが本物です。
人間とは、人と動物の間という意味です。
動物という不完全な感情が入った心の状態をいいます。(要らないものをくっつけている)
つまりアセンションとは
人間→人(霊止)になること
霊能者→霊覚者 になるということです。
だから私たちは変な霊能者に気をつけなければならない(笑)
幽界のオバケちゃんに取り憑かれた人を
霊覚者(高い人格の人)と間違えては目覚めるのが遅くなってしまうのです。
いらない道を通ってしまうのです。
本物とにせものの違いとは何か?
五井先生がまたまた答えてくださっています。
でも審神(さにわ)ができるようになるのではなく
自分が本物になることが一番なのです。
そうなれば人の波動(ヴァイブレーション)とかはどうでもいいのです。
問
霊力と霊能力の違いについて教えて下さい。
答
霊力と霊能力とを間違える人がいますが、人の心がわかったり、当てものをしたり、運命の予言をしたりするのを、霊力と解釈していますけれど、それは霊能力なのです。
一つの能力なのです。
霊能力がすぐれている人が人格が高いかというと、そうでないのです。
ところが霊力のすぐれた人は人格が高いのです。
霊力というのはいいかえれば、霊の光、根源の光です。
神のみ心の光が強い人がやっぱり人格が高いのです。
たとえあてものをしたりすることがうまくたって、それが偉いということにはならない。
そんじゃそこらの行者はみんな当てものがうまいですよ。
財布の中にいくら持っているか、なんてチャンとわかるんです。
なぜわかるかというと、肉体波動のそばにいる幽界の生物が、幽界と肉体界と波動が近いから、透して見えるのです。
ところがズーッと高い所にいる神さまは、わざわざそんな低い所を見ない。
その人がいかに生きるべきか、どうしたらその人を立派に出来るかということを見るわけです。
わざわざ降りれば見えますよ。
けれどそんなことは必要ないから、高い所からその人に光を当ててやる。
そして、その人に力をつけてやる。
ところが低級の霊能者というのは、力をつけてあげるのではなく、その人に出来ない事を
チョコチョコ教えて、相手を屈服させて、自分の支配下におく、子分にしているのです。
霊力が強くて、霊能力の素晴らしい人もあります。
霊力が強くても当てものなどわからない人もあります。
ですからこういうことがいえるのです。
信者が一杯いる教祖があながち偉いとはいえない。
普通の人でいい影響を社会に或いは周囲に与えている人がいます。
その人は霊力があるわけです。
霊力というのは要するに人格の立派なということで、そういう人が偉いのです。
いくら当てものがうまく、これをこうやれば儲かるといって当って儲かったとしても、それを教えた人は神さまでもなんでもない、偉いのでもない。
勿論そういう当てもののようなことを出来て偉い人があります。
祈りつづけていて、霊能力が出て、人の心がわかったり、予感、予知力が出来たりする人があるとします。
そうした神秘力が得られたといって、威張ってしまってはだめなのです。
そういうことではない。
人間の立派さというのは何かというと、人格が立派になることなのです。
いつもいいますが、おのずから和んでくる。
おのずから人の心が優しくなってくる。
その人と一緒にいると、おのずから勇気が湧いてくる。
何か親しい懐かしい気持ちが出てくる。
そういう力を持つことが霊力が強いということなのです。
「お前の息子さん、三年先に大病するよ、気をつけろ」 といわれて、二年たった、あと一年だ、どうしよう、どうしようと私に聞きにくる人が随分います。
これはいい影響を与えていません。
三年間脅しつづけたんだから、悪い影響しか与えません。
わかっていたって、いわないで知らん顔していて、しらないうちに霊力で光を与えていて、だんだんその大病なるものを大病でなくなるようにやっておいて、やがて現われた時に救ってあげる、という人のほうがいちいち予言をして、脅かして自分の力を示そうなんていう人より、ずっと立派ですね。
“神と人間” には簡単に書いてありますけれど、よくわかるように書いてあります。
皆さんは霊能力のある人よりも、霊力の立派な人格のすぐれた人になることです。
人格がすぐれていると同時に、霊能力があればそれに越したことはないのです。
それを間違えてはいけない。
だから霊能力だけを磨こうとして、統一などしてはいけない。
人格を立派にするために祈るわけです。
人格が立派というのはどういうことかというと、愛が深いこと、調和した人間であること、勇気があること、簡単にいったらそういうことです。
そうなるように全力をもって近づかなければいけませんね。
「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版