『モーパッサンの首飾り』より真理を学ぶ
安月給の家庭などに案外垢ぬけした美しい娘さんがいるものだが、彼女もそんな一人だった。
持参金もなければ、遺産の目当てもあるわけではない。
いわんや、金持ちの立派な男性に近づき、理解され、愛され、求婚される、そんな手づるのある筈もなかった。
結局、文部省の小役人と結婚してしまった。
もとより着飾ることなど出来ようもなく、簡単な服装で間に合わせていたものの、内心では、零落(れいらく)でもしたような気がして、自分が可哀想でならなかった。
彼女は自分がどんな贅沢をしても、どんな洗練された生活をしてもいいように生れついているのに、と思うにつけ、いつもいつも寂しくて仕方なかった。
今の自分の住まい、環境、一切が気にいらなかった。
彼女には晴れ着もなければ、装身具もなかった。
実際、何一つ持っていなかったのだ。
そのくせそんなものばかりが好きだった。
自分はそんなものをつけるために生まれついているような気さえしていた。
それ程までに彼女は人に喜ばれたり、羨まれたりしたかったのだ。
人を惹きつけ皆からちやほやされたかったのだ。
ところがある日の夕方、夫は妻を喜ばせるために意気揚々と帰ってきた。
手には大きな角封筒を握っている。
それは大臣官邸で行なわれるパーティの招待状であったのだ。
だが夫の期待に反して、彼女は、喜ぶどころか、さもいまいましいげにその招待状を放り投げ、不平そうに言った。
「これ、あたしにどうしろとおっしゃるの! 私に何を着て行けとおっしゃるの!あたしにはよそ行きがないでしょう。だからそんなおよばれには行けないわ」
夫は、途方にくれ、それでもなお妻が喜ぶことを考え、彼の貯めてあった貯金を全部はたいて新しい洋服を買ってあげたのであった。
ところが、喜んでいた妻が、パーティが近づくにつれて浮かない顔になってきた。
夫は妻にそのわけをきいてみた。
「だって、あたしつらいわ、装身具ひとつないなんて、宝石ひとつないなんて、身につけるものが一つもないなんて、あんまりだわ、考えたってみっともないじゃないの。あたし、いっそそんな宴会なんて行きたくない」
と応えたのであった。
夫はきらびやかな宝石よりも、美しく咲いている本物の花でも差すように言ったが、彼女は聞かなかった。
そこで思案した揚句、彼女のお金持ちの友達から借りることに気がついた。
早速彼女は友達の家へ行き、事情を話した。
友達は、大きな宝石箱を取り出すとそれを彼女のところへ持ってきて、蓋を開け、
「さあ、好きなものを選んで」
と言った。
彼女は見た、まずいくつかの腕輪を、つぎに真珠の首飾りを。 それについで金と宝石をちりばめた見事な細工のヴェネチア製の十字架を。
そして彼女はダイヤをちりばめた首飾りを選んだのであった。
宴会の当日になった。 彼女は大成功だった。
彼女は他の誰よりも美しかった。 上品で、優雅で、愛嬌があり、歓喜に上気していた。
男という男が彼女に眼をつけ名前を尋ね、紹介してもらいたがった。
大臣官房のお歴々も彼女と踊りたがった。
彼女は快楽に酔いしれながら、男たちから受けるお世辞、賞讃、彼女の身うちに目ざめてきた欲情、女心にとってはこの上もなく甘美なこの勝利、こうしたものから生まれた一種の至福につつまれながら、彼女は夢うつつで踊るのだった。
家に帰って、首飾りが失くなっているのに気づき、二人は驚愕した。
彼女が行ったあらゆる所を二人で探しまわったが、とうとう首飾りは見つからなかった。
二人は女友達から借りた首飾りと同じものを見つけ出すため、あらゆる宝石店を探し廻った。
ついに、同じ首飾りがみつかった。
値段は三万六千フランだった。
彼女は手紙を書き、ありったけの品物を担保に入れ、高利貸をはじめあらゆる金融業者と関係を結んだ。
こうしておのれの余生を台なしにし、果ては自分たちの身に襲いかかる暗たんたる生活を思うにつけ、今更ながら空恐ろしい気分になるのであった。
彼女が首飾りを返しに行くと、金持ちの女友達は、
「困りますわ、もっと早く返していただなくては。だって、あたし入用だったかもしれないでしょう」
だが、彼女はその首飾りが替え玉であることに気づかなかった。
二人は住まいも屋根裏に間借りをし、貧乏暮らしの辛さを思い知らされるのであった。
美しかった肌も爪も荒れ放題、長屋のおかみさんみたいな格好で、どこへでも出かけ、そのつど恥ずかしい思いをしても、なるべく値切っては、苦しい財布から一銭でも守ろうとした。
かくしてこのような生活が十年間続いた。
十年目に高利の利息から利に利を積んだ借財まで一切合財返済した。
美しかった彼女はまるでおばあさんみたいに変身してしまった。
貧乏所帯が身について、骨節の強い頑固なおかみさんになっていた。
髪もろくろくとかさず、スカートがゆがんでいようが平気であった。
さて、ある日曜日のこと、彼女がシャンゼリゼを散歩していると、相変わらず若くて美しい子どもづれの金持ちの女友達に出会った。
彼女が声をかけると、昔の美しい面影をまるで失ったその変わりように、友達は初めは真実、彼女とは気づかなかった。
「貴女ずいぶん変わったわね」
それから彼女は、借金も返し終わったことだし、思いきって今までのいきさつを一切友達に話した。
すると友達は、
「貴女は新規にダイヤの首飾りを買ってわたしのとかわりにしたとおっしゃるのね。まあ、どうしましょう、わたしのは模造品(まがいもの)だったのよ、せいぜい五百フランくらいのものだったのよ・・・・」
モーパッサン『首飾り』より
西園寺昌美先生の感想
誤解と錯覚のために人生を無駄にしていないか
ここでモーパッサンの意図としては、女の内に潜んでいる虚栄心とか見栄の醜さ、いやらしさをいやというほど描きたかったのに違いありません。
もし彼女がその時貧しい夫から新しい洋服を買ってもらった唯そのことだけに満足し、感謝してさえいれば、こんなにみじめて耐えられないほどの不幸な一生を辿ることはなかった筈です。
だが彼女は新しい服にもう一つ自分をさらに美しく飾りたてる宝石が欲しいと願った、その時から二人の人生は全く予期しない暗い道へと転落していったのです。
モーパッサンは、誰の心の中にも潜む心の弱さと同時に、この虚栄心のもつ破壊力のすごさを表現したのだと、以前の私はそう理解していました。
しかし今の私の感じ方は昔とは少し違ってきています。
私がこの作品で把えたのは、誰しもが簡単に陥ってしまう誤解と錯覚というテーマです。
金持ちの女友達が宝石を彼女の前にとり出し、どれでもよいからあなたの好きなものを持っていってよいといった時、彼女はダイヤモンドの首飾りを手にしました。
その時、彼女の頭の中には、あの金持ちの女友達がまさか偽りの宝石を自分の前に出してくれたのだとは、思いもよらなかったのです。
考えも及ばないのです。
頭から本物であると誤解してしまっていたのです。
本物に違いないと錯覚を起こしてしまっていたのです。
このように事実とは全く違ったように見たり聞いたり、感じたり思い込んだりしてしまうことによって、引き起こされる不幸なことは実にこの世には多いものです。
読者の皆様方も誰しもが一度や二度は誤解や錯覚による過ちを犯してしまったり、感情を害したり害されたりしてしまった経験をお持ちになっているに違いありません。
蜃気楼もまた錯覚の一種です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
我々はこのようにして我々の尊い一生を、誤解と錯覚のために無駄に送ってしまっているのです。
自分の中にすでに内在している輝かしい全知全能なるものを見ようとせず、蜃気楼のようにそれを、外にはるか遠くのほうに自分の欲するものが存在すると信じ込み、追い求めようとしているのです。
それがそもそもの錯覚なのです。
自分の不幸や苦しみを他のもので癒せるとそう思い込んでいる錯覚。
また神に願いごとをかなえてもらったり、病気を治してもらったり、自分の欲することは何でもきいてもらえると信じ込んでいる錯覚。
また自分の前に起こってくるあらゆる不幸や災難、苦しみや悲しみなどの一切を自分の責任だとは認めずに、すべては他人のせいだと思い込んでいる錯覚です。
またこの世は名声や栄誉、お金や権力が絶対と思い込んでいる誤解、一流校を出なければ一流人でないと思い込んでいる錯覚。
神に仕える人や聖職についている人が清き立派な人と信じきっている誤解。
このようにして例をあげればきりがないほど我々一人一人の心の中に、さまざまな誤解に惑わされ、あらゆる錯覚に陥った生活を、自然とまわりから強いられて生きているのです。
人類全体がここで一気に真理に目覚めない限りこの生き方はさらに、子から孫へ孫から曾孫へと永遠に続いてゆくことでしょう。
「果因説」 西園寺昌美 白光出版
私の感想
西園寺昌美先生のご感想もごもっともなのですが、私はもっと正直に生きるべきでは、と思ったのです。
宝石💎を無くしてしまった、それは仕方がない、そこでこの女性、そしてご主人は弁償することだけを考えてしまった
私だったら、「ごめんなさい🙏無くしてしまったの、どうすればいい?」と聞きます。
もしかしたら、弁償金額をまけてくれるかもしれない、「私大金持ちだから、弁償しなくていいわよ」と言ってくれるかもしれません
えーっそんなのプライドが許さないって?
「そんなプライドなんて捨ててしまえ」
と思うのです
プライドを捨てずに貴重な人生を無駄に過ごすか?
プライドを捨てて、楽になるか?
私は後者を選びます!
もう一つ感想
たった今、以前どこかで読んだ本の一節を思い出しました
「従順で愚かなお猿🐵」のお話です。
あるところにとてもご主人思いで賢く従順な猿がいました。
このお猿さんは、ご主人様が大好きで自分の出来ることは誠心誠意何でもして、尽くしてご主人様に喜んでもらおうという考えを持っていたのです。
そして、ご主人様とお猿さんは幸せに暮らしていました。
ある日、寝ていたご主人様の顔に一匹のハエ🪰止まりました。
ご主人様は不機嫌そうに顔をしかめています。
従順なお猿さんはそれを見るなりハエ🪰がモーレツに憎くなりました。
そして、スポーツ好きなご主人様が使っていた野球のバットを握りしめると思いっきり振り下ろしたのです。
・・・・・
そして
大好きだったご主人様は、二度と目覚めることはなかったのです😢
私はこの話を時々思い出すのです。
そして、感情に任せてこのお猿さんのようなことをしていないか?していなかったか?振り返るのです。
私たちは、このお猿さんを笑えないと思うのです。