今、なぜ「世界平和の祈り」なのか? | グッドムーンのブログ

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法然と親鸞の場合
 
 この原理は、逆に、自己が、本心を開発し、光明化して生活していれば、社会人類を、知らぬうちに浄め、向上させてゆくということになるわけです。
 
 昔から、悟ろうとして、山に入ったり、荒行をしたりした人がたくさんありましたが、その人たちの中で、正覚に近い悟りに入った人は実に数少いのです。
 
 浄土門の開祖法然上人は、その頃の修行者の大多数が通ってきた聖道門(自力)の修行をしつくし、学問知識は、当代で並ぶ者もない程の碩学(せきがく)でありましたが、それだけでは、どうしても上人の心は和みもしなければ、安心しきることも出来ず、悶々とした末、悟りへの道は、学問知識をいくら積んでも、如何なる荒行をしても到達出来るものではない。
 
悟ろうとする想念と、悟りという境地が、二つに離れていては、いつまでたっても、悟れるわけがない。
 
悟ろうなどという気持を、すっかり捨て切って、すべてを阿弥陀仏(本心)に任せきってしまわなければ駄目なのだ、と自己の脳裡に去来する想念を、阿弥陀仏(神、本心)と一つにする為、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と一瞬の想いの隙もない程に、阿弥陀仏を呼びつづけたのでありました。
 
 このことは、実に偉大なことなのであります。
 
何故かと申しますと、法然ほどの深い学問知識があり、修行も積んだ坊さんが、その学問知識も、今迄の修行方法も、すべて捨て切って、まだ誰も見たこともない、行ったこともない、阿弥陀仏の存在を信じ、西方極楽浄土の存在を信じきったことなのであります。
 
 これは出来そうで、なかなか出来るものではありません。
 
これが無学文盲であったり、貧乏であったり、重病であったりする場合ならば、案外なんでもなく飛びこめることでしょうが、法然のような立場では、実に思い切ったこと、という他はありません。
 
 釈尊の経典の中での大無量寿経に、法蔵菩薩の請願(弥陀の本願)という教えがあって、法蔵菩薩が、正覚を得たら、西方極楽浄土に在って阿弥陀仏をなり、自分の名を称える者は、必ず救うと誓願した、と書いてあるのですが、釈尊は、その頃実在していた人でもなく、仏典は釈尊自身が書いたものでもないので、そのことが事実がどうかはわからないのです。
 
これが理論的な、哲学的な経文ならば、これこれ、しかじかで成る程と肯定出来るのでしょうが、この教文は、只単なる話なのですから、信用する根拠はないのです。ですから信ずるだけということになるのです。(続く)(五井昌久『霊性の開発』39~41頁)
 
 
感想・・・ここまで読んで来られて、皆さんはわかったようなわからないような、悶々とした気持ちになられたと思います。
 
悟という言葉はよく聞かれるのですが、これは肉体の自分はほんとうの自分ではない、ほんとうの自分(本心)は、肉体界を超えて幽界、霊界を超え神界にあるのだ、悟とは、神界にいるほんとうの自分(本心)と肉体の吾が一体となった状態、境地なのだと言っているのです。
 
私たちの最終目的(ミッション)とは、悟ることであり、悟ることで宇宙(すべて)の中に自分が存在するのではなく、自分の中に宇宙のあることが実感出来るのです。(我即神也)
 
これは、自力では到底なしうることはできず、神、仏=お釈迦様と一体とならなければ悟りの道はないのです。
 
実は今、私たちは悟る直前に来ており、コロナウィルスなども私たちを目覚めさせるために起きているのです。
 
悟り道の方法が、仏教では、「南無阿弥陀」であったり法華経の「南無妙法蓮華経」・・・であったりするのですが、あらゆる宗教を代表する祈りが「世界人類が平和でありますように」なのです。
 
これは、宇宙の理念であり、宇宙人類共通の願い、言霊なのです。
 
これから多くの人が「世界平和の祈り」を知ることになり、「神聖復活の印」を組み、次々に覚醒してゆくのです。
 
これが宇宙の計画であり、宇宙の法則なのです。
 
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます