今、アイソン彗星が話題になっていますが(2013年11月30日のブログ)、星というのは不思議であり神秘的でもあるのです。
私たちが今、観ている星は遠い星だと何万光年も離れた星です。
つまり今観ている星の光は、何万年も前の光だったりする。
その星はもう存在していないかもしれない、だからその光は仮の光なのです。
それと同じように、今肉体界に写ってきているものは、過去世の残像です。
自分自身もそうだし、他人もそうだし、景色や建物もそうなのです。
現われては消えてゆくものなのです。
過去世において済んでしまったものが走馬灯のようにフィルムのように現在に写し出されているのです。
仏教において現世のことを写し世というのは、過去世、潜在意識の世界である幽界が時間を経て現世(肉体界)に現われて来ているということです。
「今は今じゃないか? 今は今でしょ(笑)」 とほとんどの人はそう思っています。
しかし真実は、肉体界、現在、今とは過去の残骸です。
仮の世界です、写し世です、写し出されたら後は消えてゆく姿です。
最後に最後に残るのは、魂であり心なのです。
自分という存在も100年もすれば跡形もなく無くなります。
今の景色も100年もすればその面影もありません。
形のあるものはすべて消えてゆく姿なのです。
だったら残るものはなにかというと
心です。
心がすべてのすべてなのです。
そして心は未来永劫、永遠に生き続けるのです。
心が主で肉体が従
肉体、肉体界は過去世のものが写って来ているだけでいつかは消えてゆく姿
そのことが本当にわかったとき、肉体や肉体界への執着が無くなって
本心のある神界へと意識が向くのです。
そのときが本当の自分に出会えるチャンスなのです。
本文
私という肉体は5尺2寸(約157センチ)というもので、この肉体というのは皆さんの目に見えていますね。
目に見えているけれど、実はこれは本当にあるんじゃないんです。
過去の因縁をたどって、ここに現わされているんですよ。
だから今、生活して、今なんか考えている。 今、病気なら病気をしたとする。 それはみんな過去のものが現われて、いわゆる消えてゆく姿なのです。
この肉体生活を営んでいるということは、神さまのみ心を全うする、天命を果そうとすると同時に、過去世の因縁を果している、消えてゆく姿にしているわけです。
両方が同時に肉体として現われているんです。
ですから、今、現われている事柄に対して、なんだかんだと心配したって、苦労したって、なんにもならないわけです。
それはもう過去のものだから、単に消えてゆくだけなんですよ。
それもお腹が痛い、どうしようどうしようと、一生懸命おさえている。
不幸だ不幸だといっている。 しかしそれはどうしたって、心配したってどうしたって、それはもう過去にあるもんだから、過去のものが出てきただけだから、どうしようもないわけです。
映画の撮影を終わってしまって、フィルムが出来ている。 映画館やテレビで上映する、というところになっているわけです。
じゃあ、なんの打つ手もないのか、というとそうではなく、ただ一つあるのです。
それは何かというと、肉体の自分の力でやるのではなくて、守護霊さん守護神さんお願いします、と守護の神霊のほうにフィルムの修正を頼む ━ それだけしかないわけです。
だから我々がしなければならないことは、常に寝ても覚めても、守護霊さん守護神さん有難うございます、神さま有難うございます、といって、神さまの中へ入りこんでしまう、神さまと一つになってしまう。
一つになりながら、一生懸命、日常生活の消えてゆく姿をやっている。 それ以外にないんです。
それをハッキリと観念して純粋に純朴にそれを信じて、行なってゆくということが悟りなんですよ。
そうすると、今まで感じてなかった世界、神霊の世界もハッキリわかってくるし、いろんなことがわかってくる。
「永遠のいのち」 五井昌久 白光出版