仏教の経文の最初は如是我聞で始まっているそうです。
つまり悟りを開いた仏様のお言葉らしいのですが、先日のセミナーでこの如是我聞という本を読むように先生に言われました。
言葉は言霊(ことだま)と云って、エネルギーがあり、真実、真理を語っているものは人の心を打ちます。
私が心に響いた言葉を書き写して、私なりの解釈をしてみたいと思います。
文章にすることは、文の意味を理解する上で非常に有効なので、どうかお付き合いください。
自分の立場から見て行動するを 「我」 といい、他人の立場をのみ想って行動するを 「愛」 という。それさえも超越してすべて神さままかせにするを 「空(くう)」 という。
人間において美しい行為は2番目の 「愛」 だと思いますが、最初は純粋な愛であっても、見返りを期待したり、執着の愛、情が絡んだ愛情になると人の心を苦しめる、醜いものへと変化していきます。
最初の 「我」 へ戻ってしまうこともよくあることです。
そこが愛の難しさであり、本物の愛とは一切、相手に期待しない(ありがとうの言葉さえも)チャリティー、慈愛だと云われています。
しかし愛がもっと深くなると自分が愛を行っていることさえ意識をしていない、つまり 「空」の状態がそうです。
まったく自然に何も考えていない状態で、知らない間に愛の行為をしていた。
そしてたとえ、感謝されたとしてもそのことにも把(とら)われない。
そんな人になれたら、どんなにか素晴らしいだろうなぁと思います。