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宋国の農民が農作業をしていたところ、一匹うさぎが猛スピードで走ってきて、畑の中
の切り株にぶつかり死んだ。
この意外な収穫に喜んだ農民は、この日を境に農作業をやめ、ひたすら株の傍らにいて
うさぎを待ち続けたという。
ここまで書いて、日本の 「幸せは歩いてこない、だから歩いてゆくんだね~」という歌が
耳にこだました。
中学3年の娘と大学1年の息子を持つ母親として、食べたい物を食べ、おしゃれだと思う
服を着、ほしいと言えば、親が躊躇なく新発売のゲーム機も高いパソコンも買ってくれると
いう幸せな子どもたちを眺めていると、成人するまでは、幸せ━株にぶつかり死んだうさぎ
━が歩いて、いや走って来てくれるのが当然と感じているのかもしれない。
しかし社会に出て、まわりの同僚や上司も、親のように甘やかしてくれるだろうか。
社会が暖かくて友だちが素晴らしい、という昨今流行の感動番組を日本のテレビでよく見る。
番組の司会者の 「信じていれば奇跡は起きるよ」 のセリフを耳にするたび、私には
そのセリフが 「株の傍で待っていれば、うさぎは必ず走ってきてぶつかって死んでくれるよ」
のように聞こえてしまう。
感動すべきところに涙を流し、温厚そうな丸顔に滴った涙を拭いながら司会を務めるおっさん
の 「信じてさえいれば」 の言葉に頷き、テレビの画面をじっと見つめる私の子どもに
「そんなの嘘よ。努力もしないで奇跡なんて起きるわけがないでしょ。
幸せは歩いてこないって」 と声を張らずにはいられなくなる。
いつもそんなことを言う私は、言うまでもなく子どもに悪人扱いされている。
それでも放っておけない、こういう悪人になることこそ、親としての務めなのだと割り切って
日々頑張っている。
母親同士であれば、話が通じるだろうと思い、歳が近い子どもを持つ知り合いにこの
“悪人話” を打ち明けると、「ええっ楊さんってロマンのない人だね」 と言われてしまった。
その瞬間、なぜか孤立するわが身を顧みずに、ふと株の傍でうさぎを待ち続ける農民
のことを、不遇に思った。
あの農民が、もし21世紀の日本で再び生まれたら、きっとテレビで
「奇跡を起こした人」 として、スターになっていただろう。
そして2千300年の年月が流れて、 「守株待兎」 (中国のことわざ) という奇跡が
本当に起きたことに驚くのだろう。
しかし今でも奇跡が起きることを信じて待つよりは、日々コツコツとやっていくほうが
私の性にはあっている、と改めて感じている。
『中国のことわざばなし』 楊 逸(ヤン・イー) 清流出版