不安感が襲ってくるのは、不完全だからです。
お金がない、仕事がない、人間関係が上手くいかない、体の調子が悪い、あいつとケンカをした・・・・・・
日常生活を送っていたら不完全なことだらけ、心配することだらけ、不安になることだらけです。
でも物は考えようで、不完全なものをいきなり完全にしようとするから辛いのであって、無理があるのであって
不完全なことが当たり前、想定内だと思えばいいのです。
すべてが完全に調っている人なんていません。
物質的なこと、お金の心配がない人でも、人間関係や健康のことで心配事があります。
みんな同じようにいろいろな悩みを抱えているのです。
だから、少しずつでも、一つだけでも、優先順位の高いものだけでも
昨日よりも今日の方が前へ進んだ、改善された というものがあればいいじゃないですか
と思うのです。
そして、老子の言葉のように “足るを知る” の精神
満たされていないことに意識を向けるのではなく、足りているのもの与えられているものに意識を持っていくことが大切だと思うのです。
生かされている自分をありがたいと思う
与えられている無償のものに感謝をする
そうすれば足りないものを不安に思う気持ちがなんと贅沢な悩みなのかと気づくのです。
斎藤一人さんの本を読んでいてそう感じたのでした。
水が半分入っているガラスのコップを想像してほしい。
このコップを見て、完全主義者の人は
「半分足りない」 とストレスを感じて、コップいっぱいに満たさなかったことを責める。
この人は、完全でないことが許せない性分なのだ。
それはマイナスの部分に目が行くということ。
完全でないことがストレスの種で、自分や他人を責めたりするのだ。
失敗を許容しないと、仕事にはならない。
どんな仕事にも失敗はつきものだからだ。
失敗を改善したプロセスの結果として、成功がある。
不完全主義者は、うまくいったところを喜ぶ。
失敗を責めず、失敗の中から成功の種を探すことができるのだ。