苦しみが教えてくれる幸せ
ある卒業生が、三年ほど入院し、ようやく外出許可がもらえた時、
「今の私はあたりまえがすべて輝いて見えます」 という手紙を書いてくれました。
その人は苦しみを通して、あたりまえはあたりまえではなく、ありがたいものであることに気付き始めたのです。
飽食の時代、ものが溢れる中で生きている私たちは、ものがあるのはあたりまえだと思っています。
「いつまでもあると思うな親と金」 といいますが、失ってしまう前に、あたりまえの価値に気付いてほしいのです。
今、有るものは有り難い、あることはむずかしいものだと気付いてほしいのです。
そうすると人間幸せになります。
幸せとは、よいものに囲まれている時に存在するからです。
そして幸せは、客観的に何があるか、どういう状況にあるかだけではなくて、それをありがたいと見るかどうかにかかっています。
あたりまえではなくて、ありがたいものだと気付けば、幸せの度合いは高まります。
往々にして苦しみは刺激となって、それまでの弛んでしまった自分に、あたりまえを輝いたものとして見せてくれる効果を持っています。
苦しみそのものを決していいとは思いません。
しかし人間は不完全です。
不完全な者には必ず苦しみがあります。
強い(本当に芯の強い、雪がどれほど積もっても、たわみこそすれ、折れない竹のような)人間になるためには、逃げないで苦しみを受け止め、それを土台として、苦しみさえも愛せる愛への成長を遂げていくことが大切なのです。
「面倒だから しよう」 渡辺和子(ノートルダム清心学園理事長) 幻冬舎