ほんまに多くの関わってきた皆様に感謝の想いを込めて。
有難う、みんな。
有難う、みんな。
中坊の頃のお話②
伝説の中学時代の幕開けは、
現在も続く金髪嫌いの自分が作られたところから始まる。
初めての中学。
小学校で散々いばってきた自分達も、
中学では一番下からスタートする。
新しい出会いに緊張とワクワクがいっぱい。
自分の中学は地元にあり、
同じ小学校の皆がそこに通うのだけれども、
他の小学校からも集まるという感じで。
小学校からの友人たちと、
いざ登校。
学ラン姿にお兄さんになったことを誇らしげに、
いつもよりもよく喋りながら登校した。
門をくぐると、中学生活がスタートする。
その一歩をかみしめて、くぐろうとしたその時、
門の上に金髪のお兄さん方が、たくさんいるのを発見した。
・・・たくさんいた。
この一番上までしっかりと締めている、
そんな学ラン姿の自分達とは違い、
好き勝手なTシャツを着ている方々。
本当に、たくさんいた。
説明します。
自分は、大のびびりであるのです。
ケンカが強そうに見せかけるのはいいが、
ケンカはしたことがないのです。
本当のビビり。
怖そうなお兄さんとどれだけ目を合わせないかに、
実は神経を注いできた自分。
絡まれないように行動する主義。
ひとつだけ言わせて頂くと、
門のところにおられたら、
逃げられないのです。
あと一歩踏み出せば、
中学時代の幕開け。
しかしながら、
絡まれないように行動する主義の自分は、
その一歩を踏み出すことをためらう。
差し迫る選択。
義務教育という言葉が、
自分の心をとらえる。
選択する余地はない。
いざ、一歩を踏み出さん!!
・・・
そりゃ、絡まれるわけですよ。
脳内パニック。
ただ声をかけられただけでしたが、
脳内緊急事態。
ささっと、逃げます。
そりゃ、皆に任せて怖いところはしっかり逃げました。
あの時の恐怖体験のおかげで、
金髪=不良というイメージが完全にできあがると同時に、
不良=ケンカという日本の電波のおかげで植えつけられていて、
金髪=ケンカが成り立ち、
それ以降、その方々が通る時間、道を覚えると同時に、
最悪の事態がおきない限り、
避けて通るようにした。
まるで、のだめカンタービレの千秋が、
極力飛行機に乗らないようにするかのように。
現在も続く金髪嫌いの自分が作られたところから始まる。
初めての中学。
小学校で散々いばってきた自分達も、
中学では一番下からスタートする。
新しい出会いに緊張とワクワクがいっぱい。
自分の中学は地元にあり、
同じ小学校の皆がそこに通うのだけれども、
他の小学校からも集まるという感じで。
小学校からの友人たちと、
いざ登校。
学ラン姿にお兄さんになったことを誇らしげに、
いつもよりもよく喋りながら登校した。
門をくぐると、中学生活がスタートする。
その一歩をかみしめて、くぐろうとしたその時、
門の上に金髪のお兄さん方が、たくさんいるのを発見した。
・・・たくさんいた。
この一番上までしっかりと締めている、
そんな学ラン姿の自分達とは違い、
好き勝手なTシャツを着ている方々。
本当に、たくさんいた。
説明します。
自分は、大のびびりであるのです。
ケンカが強そうに見せかけるのはいいが、
ケンカはしたことがないのです。
本当のビビり。
怖そうなお兄さんとどれだけ目を合わせないかに、
実は神経を注いできた自分。
絡まれないように行動する主義。
ひとつだけ言わせて頂くと、
門のところにおられたら、
逃げられないのです。
あと一歩踏み出せば、
中学時代の幕開け。
しかしながら、
絡まれないように行動する主義の自分は、
その一歩を踏み出すことをためらう。
差し迫る選択。
義務教育という言葉が、
自分の心をとらえる。
選択する余地はない。
いざ、一歩を踏み出さん!!
・・・
そりゃ、絡まれるわけですよ。
脳内パニック。
ただ声をかけられただけでしたが、
脳内緊急事態。
ささっと、逃げます。
そりゃ、皆に任せて怖いところはしっかり逃げました。
あの時の恐怖体験のおかげで、
金髪=不良というイメージが完全にできあがると同時に、
不良=ケンカという日本の電波のおかげで植えつけられていて、
金髪=ケンカが成り立ち、
それ以降、その方々が通る時間、道を覚えると同時に、
最悪の事態がおきない限り、
避けて通るようにした。
まるで、のだめカンタービレの千秋が、
極力飛行機に乗らないようにするかのように。
中坊の頃のお話①
中学校の入学式前に、
野球のクラブチームを探しに行った。
中学野球は硬式と軟式があったのだけれども、
軟式一本に絞っていた。
当時小学校4年生にして、
プロ野球選手の夢は崩れ去っていた。
それも全てとあるすごい選手がいたからである。
その人についてはまた書くとして、
その人ですら、硬式野球を選択しなかった。
体ができていない状態で、硬式はやめた方がいいということだったので。
当時その人を尊敬というよりも、崇拝していたので、
その人に言われるがまま、軟式の道へ。
崇拝とは、その人がうんこは食べる物と言ったとしても、
それがその人に近付く道として、食べてしまうというレベルなので、
もはや迷いはなく、すんなりと、軟式の道へ。
条件は、家から近くて誰も知り合いがいないところ。
仲の良い気が合うやつらとは、全く違うところで、
1からとことんやりたかったのだ。
そこで見つかったのは、家から自転車で20分くらいのグランドを、
本拠地として持ったチーム。
中学で体が出来あがった中三ボーイたちがいると、
どこのチームも強そうだったので、正直条件さえ当てはまれば、
どこでもよかったのである。
練習に参加して、即決でそのチームに入った。
即決できたのは、あるファーストの人が声をかけてくれたから。
初めての練習で、バッティングをさせてくれた。
ケースバッティング。
そこで、初打席初ヒットを打った自分に、
ファーストの方が、笑顔でナイスバッティングと言ってくれた。
その当時は、褒められるとallOKboyだったので、
このチームにはハートがあるとか意味のわからん解釈をし、
即決にいたったのである。
今考えても、あの時の自分は、頭が悪すぎた。
それは、今も変わらないと思われるが。
チームが決まると、中学への準備は全てOK。
もう、何でも来い状態で、
伝説の中学時代が幕をあけようとしていた。
野球のクラブチームを探しに行った。
中学野球は硬式と軟式があったのだけれども、
軟式一本に絞っていた。
当時小学校4年生にして、
プロ野球選手の夢は崩れ去っていた。
それも全てとあるすごい選手がいたからである。
その人についてはまた書くとして、
その人ですら、硬式野球を選択しなかった。
体ができていない状態で、硬式はやめた方がいいということだったので。
当時その人を尊敬というよりも、崇拝していたので、
その人に言われるがまま、軟式の道へ。
崇拝とは、その人がうんこは食べる物と言ったとしても、
それがその人に近付く道として、食べてしまうというレベルなので、
もはや迷いはなく、すんなりと、軟式の道へ。
条件は、家から近くて誰も知り合いがいないところ。
仲の良い気が合うやつらとは、全く違うところで、
1からとことんやりたかったのだ。
そこで見つかったのは、家から自転車で20分くらいのグランドを、
本拠地として持ったチーム。
中学で体が出来あがった中三ボーイたちがいると、
どこのチームも強そうだったので、正直条件さえ当てはまれば、
どこでもよかったのである。
練習に参加して、即決でそのチームに入った。
即決できたのは、あるファーストの人が声をかけてくれたから。
初めての練習で、バッティングをさせてくれた。
ケースバッティング。
そこで、初打席初ヒットを打った自分に、
ファーストの方が、笑顔でナイスバッティングと言ってくれた。
その当時は、褒められるとallOKboyだったので、
このチームにはハートがあるとか意味のわからん解釈をし、
即決にいたったのである。
今考えても、あの時の自分は、頭が悪すぎた。
それは、今も変わらないと思われるが。
チームが決まると、中学への準備は全てOK。
もう、何でも来い状態で、
伝説の中学時代が幕をあけようとしていた。
小さい頃のお話⑫
野球は最高、では学校では?
学校も最高だった。
まず前回書いたとおり、マドンナと素晴らしい関係を保っていた。
でも、それ以上に小さいハゲ先生との出会いが、本当に良かった。
怒るところは本気で怒る、
殴るし蹴るし、授業はつぶれるし。
ただ怒られて、怒られるところをみて、
気持ち良いと感じることができた。
それだけ正しい怒り方をされていた。
遊ぶ時は遊ぶ。
授業も早く進めては、遊ぶ。
怒られることが日常であって、
授業がつぶれていたけれども、
それでも遊ぶ時間があったということは、
相当早いスピードで勉強していたんだろう。
運動会、球技大会など、
クラス対抗で何かを競う時、
本気で勝ちにこだわる。
実力はたぶん五分五分だけど、
全て一位になっていたし、
クラスの一体感は相当よかったと思う。
よく相談というか、
生徒の話も聞かれていた。
自分も良く呼び出されては、
いろいろとご教授頂いた。
職員室の中にある談話室みたいなところで出される水は、
水道水で飲む水より、おいしかった。
小さなハゲとこのブログでは幾度もなく書いているが、
それはその先生公認のことである。
当時から、ハゲと呼んでいた。
それは公認されていることだった。
ただハゲを触ると激怒した。
してもいいことと、してはいけないことの分別、
つまり先生にとって、
ハゲと呼ばれることは良いが、触るのは絶対に嫌ということ。
人が良いということは良い、嫌ということはしてはいけない。
それを身をもって説明しては、きちんと対処されていた。
そんなこんなで、
誰からも愛される良い先生だった。
その先生の下で2年という日々を過ごせたことは、
本当に心から良かったと思える。
そんな先生の下で、
学級委員長として、生徒会会長として、
とにかく野球仲間や友人たちと、
毎日を楽しく、時に甘酸っぱく、
元気いっぱいに過ごしていた。
そんな毎日が、最高じゃないわけがない。
本当に良い小学校生活を、
その先生と、多くの友人たちのおかげで、
送ることができた。
皆、有難う。
追伸
土屋博士とスライム博士、小さいハゲ先生のおかげで、
ハゲによる将来なりたくない職業に君臨していた、
博士と先生。
このふたつは、小さいハゲ先生が、
見事に打ち倒し、
当時なりたい職業一位に、小学校の教師が君臨した。
それも、高校3年までだが。
学校も最高だった。
まず前回書いたとおり、マドンナと素晴らしい関係を保っていた。
でも、それ以上に小さいハゲ先生との出会いが、本当に良かった。
怒るところは本気で怒る、
殴るし蹴るし、授業はつぶれるし。
ただ怒られて、怒られるところをみて、
気持ち良いと感じることができた。
それだけ正しい怒り方をされていた。
遊ぶ時は遊ぶ。
授業も早く進めては、遊ぶ。
怒られることが日常であって、
授業がつぶれていたけれども、
それでも遊ぶ時間があったということは、
相当早いスピードで勉強していたんだろう。
運動会、球技大会など、
クラス対抗で何かを競う時、
本気で勝ちにこだわる。
実力はたぶん五分五分だけど、
全て一位になっていたし、
クラスの一体感は相当よかったと思う。
よく相談というか、
生徒の話も聞かれていた。
自分も良く呼び出されては、
いろいろとご教授頂いた。
職員室の中にある談話室みたいなところで出される水は、
水道水で飲む水より、おいしかった。
小さなハゲとこのブログでは幾度もなく書いているが、
それはその先生公認のことである。
当時から、ハゲと呼んでいた。
それは公認されていることだった。
ただハゲを触ると激怒した。
してもいいことと、してはいけないことの分別、
つまり先生にとって、
ハゲと呼ばれることは良いが、触るのは絶対に嫌ということ。
人が良いということは良い、嫌ということはしてはいけない。
それを身をもって説明しては、きちんと対処されていた。
そんなこんなで、
誰からも愛される良い先生だった。
その先生の下で2年という日々を過ごせたことは、
本当に心から良かったと思える。
そんな先生の下で、
学級委員長として、生徒会会長として、
とにかく野球仲間や友人たちと、
毎日を楽しく、時に甘酸っぱく、
元気いっぱいに過ごしていた。
そんな毎日が、最高じゃないわけがない。
本当に良い小学校生活を、
その先生と、多くの友人たちのおかげで、
送ることができた。
皆、有難う。
追伸
土屋博士とスライム博士、小さいハゲ先生のおかげで、
ハゲによる将来なりたくない職業に君臨していた、
博士と先生。
このふたつは、小さいハゲ先生が、
見事に打ち倒し、
当時なりたい職業一位に、小学校の教師が君臨した。
それも、高校3年までだが。
小さい頃のお話⑪
急成長とともに野球がとても上手になった。
成長する前から、ポジションがキャッチャーになって、
肩も、足の速さも、打撃も、全てが二段階くらいレベルアップした。
そして我の強さは、5段階くらいレベルアップした。
小学校6年生になって、キャプテンに任命される。
我の強いキャプテン、
リーダーだけども、まとめられないキャプテン。
これは、高校まで続くこととなる。
小学校6年から、自分達のチームは強くなった。
選手層が厚く、本当に良いチームだった。
先輩がいない野球は、とても楽しかった。
自分達がこのチームの代表という自覚が芽生えたから。
また、好き勝手できたことも、その要因だろうと思う。
キャッチャーとして、
ピッチャーと喧嘩は当たり前。
要求通りに投げなければ、やじを飛ばす。
常にケンカ、ピッチャーが泣きながら怒って投げていたこともあった。
あの時のスピードはかなり速かった。
人間泣きながら怒ると、球速がアップすることがわかった。
これは最近おかんから聞いた話だけれども、
たまに試合中、監督と喧嘩する一面もあったらしい。
とてつもない12歳だったらしい。
打者として、
ヒットが打てれば試合がどうなろうがよかった。
ホームランが打てれば、もう何でもよかった。
ひとつだけ言える事は、
こんなキャプテンの下では、野球はやりたくない。
そんなこんなで、優勝、準優勝を幾度も経験した。
特に地元のリーグ戦やトーナメントは総なめにしていた。
とてもうるさいすごい選手がいる、結構地元では有名だったらしい。
小学校の野球で一番記憶に残っていることは、
最後の地元の大会で、優勝ができなかったこと。
その日普段はあり得ない一日3試合の日、
朝一番に一試合、昼から二試合、
昼からの二試合が地元の大会の準決勝、決勝だった。
決勝の相手は、小学校4年生からの顔なじみのやつら。
本当に昔から試合をしていたため、そいつらと決勝をやれてよかったと思う。
ちなみに中学生にあがってからは、
そいつらと一緒のチームで野球をやることになる。
自分達のチームは、
一試合目、二試合目でピッチャーを使い果たし、
残る決勝で本職ピッチャーの人間がいなくなった。
ので、のでので、自分がピッチャーとしてあがることになった。
いつも口うるさくピッチャーに怒鳴っていた自分、
もし自分がピッチャーで自分がキャッチャーだったら、
確実に初球から切れていたと思う。
試合は本当にいい緊張感を保てる内容で、
実力は五分五分だった。
6年生なりたての頃は、
自分達のチームが断然強かったが、
そいつらは徐々に力を持ち始め、
最後には五分五分になっていた。
努力したんだなと思っていたけれども、違った。
ピッチャーとキャッチャーのやつらが急成長しただけだった。
身長ぐんっと高くなってたし。
そこんとこは、中学時代嫌というほど、
同じチームで野球をしたおかげで、理解している。
彼らは努力という言葉が世界で一番似合わない。
最終的に僅差で負けたようなあいまいな記憶が残っている。
でも一番記憶に残っていた試合。
それは、負けても気持ち良かったからだった。
努力の似合わない彼らはどうかしらないが、
そのチームは打倒自分達のチームで一年を過ごてきたチームであり、
ともに良きライバルチームであり、
一番の顔見知りのやつらであり、
たまに同じグランドで練習をし、
強い友情みたいなものを、感じていた。
だからこそ、勝つために全てを注いだ。
それでも負けたのだから、
残るは気持ち良さしかなかったんだろう。
出しつくさずして勝った試合より、
出しつくして負けた試合の方が、気持ち良い。
本当に、最高の小学校時代の野球人生を送れたと思う。
多くの仲間と、多くのライバルと、多くの先輩、コーチと出会えて、
本当によかった。
成長する前から、ポジションがキャッチャーになって、
肩も、足の速さも、打撃も、全てが二段階くらいレベルアップした。
そして我の強さは、5段階くらいレベルアップした。
小学校6年生になって、キャプテンに任命される。
我の強いキャプテン、
リーダーだけども、まとめられないキャプテン。
これは、高校まで続くこととなる。
小学校6年から、自分達のチームは強くなった。
選手層が厚く、本当に良いチームだった。
先輩がいない野球は、とても楽しかった。
自分達がこのチームの代表という自覚が芽生えたから。
また、好き勝手できたことも、その要因だろうと思う。
キャッチャーとして、
ピッチャーと喧嘩は当たり前。
要求通りに投げなければ、やじを飛ばす。
常にケンカ、ピッチャーが泣きながら怒って投げていたこともあった。
あの時のスピードはかなり速かった。
人間泣きながら怒ると、球速がアップすることがわかった。
これは最近おかんから聞いた話だけれども、
たまに試合中、監督と喧嘩する一面もあったらしい。
とてつもない12歳だったらしい。
打者として、
ヒットが打てれば試合がどうなろうがよかった。
ホームランが打てれば、もう何でもよかった。
ひとつだけ言える事は、
こんなキャプテンの下では、野球はやりたくない。
そんなこんなで、優勝、準優勝を幾度も経験した。
特に地元のリーグ戦やトーナメントは総なめにしていた。
とてもうるさいすごい選手がいる、結構地元では有名だったらしい。
小学校の野球で一番記憶に残っていることは、
最後の地元の大会で、優勝ができなかったこと。
その日普段はあり得ない一日3試合の日、
朝一番に一試合、昼から二試合、
昼からの二試合が地元の大会の準決勝、決勝だった。
決勝の相手は、小学校4年生からの顔なじみのやつら。
本当に昔から試合をしていたため、そいつらと決勝をやれてよかったと思う。
ちなみに中学生にあがってからは、
そいつらと一緒のチームで野球をやることになる。
自分達のチームは、
一試合目、二試合目でピッチャーを使い果たし、
残る決勝で本職ピッチャーの人間がいなくなった。
ので、のでので、自分がピッチャーとしてあがることになった。
いつも口うるさくピッチャーに怒鳴っていた自分、
もし自分がピッチャーで自分がキャッチャーだったら、
確実に初球から切れていたと思う。
試合は本当にいい緊張感を保てる内容で、
実力は五分五分だった。
6年生なりたての頃は、
自分達のチームが断然強かったが、
そいつらは徐々に力を持ち始め、
最後には五分五分になっていた。
努力したんだなと思っていたけれども、違った。
ピッチャーとキャッチャーのやつらが急成長しただけだった。
身長ぐんっと高くなってたし。
そこんとこは、中学時代嫌というほど、
同じチームで野球をしたおかげで、理解している。
彼らは努力という言葉が世界で一番似合わない。
最終的に僅差で負けたようなあいまいな記憶が残っている。
でも一番記憶に残っていた試合。
それは、負けても気持ち良かったからだった。
努力の似合わない彼らはどうかしらないが、
そのチームは打倒自分達のチームで一年を過ごてきたチームであり、
ともに良きライバルチームであり、
一番の顔見知りのやつらであり、
たまに同じグランドで練習をし、
強い友情みたいなものを、感じていた。
だからこそ、勝つために全てを注いだ。
それでも負けたのだから、
残るは気持ち良さしかなかったんだろう。
出しつくさずして勝った試合より、
出しつくして負けた試合の方が、気持ち良い。
本当に、最高の小学校時代の野球人生を送れたと思う。
多くの仲間と、多くのライバルと、多くの先輩、コーチと出会えて、
本当によかった。
小さい頃のお話⑩
急成長、髪型変更により、
スポーツ万能、イケ面に変わった自分の、
甘酸っぱい小学校の恋の話をする。
学校のマドンナと小学校五年から同じクラスに。
その時はまだしょぼい生意気なガキで、
そのマドンナに振り向いてもらうことはできなかった。
ただ、そんな自分にもチャンスはあった。
名字の頭文字が隣だったため、
日直という仕事が同じだったのだ。
あの神様のいたずらっぷりには、
今でもにやけてしまう。
妙にテンションがあがっていたが、
さりげなく、好きな気持ちを抑えつつ、
ちょっといじめるような口調で。
好きな女子をいじめるのは、
好きだと言う気持ちがばれたくないからでしかない。
本当に、あの時の自分のマドンナに対する態度は、甘酸っぱかった。
当時誰が誰を好きだなんていうものは、
少年少女のくちの軽さを通して、皆に知れ渡っていた。
マドンナは違うクラスのやつが好きだ。
そんな情報を、飲み込めずにいた自分。
クラスの後ろの方で、たたずんでいた時に、
自分がマドンナの事を好きだと知っていた友人は、
嬉しそうにそのことを伝えにきてくれた。
有難う、そして帰れと、素直に思っていた。
そんな憎たらしくも、良い友人は、
なんとそのマドンナの友人と幼馴染であった。
その友人を通して、マドンナと遊ぶ機会が、徐々に増えていった。
有難う、今度こそ、心のそこから思っていた。
徐々に身長を伸ばし、五年生が半年くらいたった時には、
大変身をしてしまった自分。
その頃から、マドンナの心境が変わり始めていることを、
周りから聞いていた。
少しずつ、マドンナが自分に傾き始めたのだ。
嗚呼、このときの、
両想いになるのか、ならないかの審判の甘酸っぱさといったら、
大学に入ってから食べた彼女の失敗した料理よりも、
甘酸っぱい。どちらも本当に甘酸っぱかった。
男子は単純、体育の授業はどんなけ女の子にアピールできるかが重要。
とにかく成長した姿を、マドンナに見せつけていた。
男子は単純、好きな子が出来れば、
ちらちらとみては、目が合うだけで幸せになった。
五年生の秋口くらいに、
ようやく、アピールのかいがあって、
マドンナと自分が両想いになったことを知る。
あの時の感動は、今でも強く覚えている。
そこから二人で遊ぶことがちらほら、
みんなで遊ぶことがどんっと増えた。
密な時間、憎たらしくも良い友人、本当に有難う。
小学校五年の終わりくらいに、
マドンナと他の両想いの二人と、
四人で遊んでいた時のこと。
突然自分の口から、信じられない言葉がはっしられた。
キスせーへん?
もう、当時からいちゃつくことばっかりしていたので、
次のステップに移りたかったのだろう。
とにかく二人きりに無理やり言い訳をして、なってみた。
良いよと言われて、自分のファーストキスがちょんっと終わった。
もう、フレンチキスの三乗くらいだったけれども、
最高に幸せな時間だった。
もう、時間が止まればいいと、本気で思っていた。
するとマドンナからこんな言葉を頂いた。
この唇は私のファーストキスを奪った悪い唇や♪
もう、なんていったらいいのかわからず、
おおぉ。とうなずいた。
どんなけこいつカッコいいねんって、正直思うと同時に、
心臓が止まる思いをした。
本当に女子は、すごい。
そんなキスの日の夜、
自分は眠れなかった。
それは、興奮していたからではない。
当時キスで子供が出来ると、両親からの嘘で洗脳されていた自分は、
もう父親になってしまうことを本気で怖がっていた。
次の日、妊娠していなそうな、そんなマドンナを見て安心した。
キス以外の方法で、妊娠することがわかったのは、
小学校六年の時の、クラスの女子による図書室での、
エッチなビデオを見た私が教えてあげられる事講座で、
ようやく理解することになる。
とにかくマドンナは、
小学校が終わるまで、幸せな時間をくれた、
最高の女子、いや女性であったことに間違いはない。
本当に有難う、マドンナ。
スポーツ万能、イケ面に変わった自分の、
甘酸っぱい小学校の恋の話をする。
学校のマドンナと小学校五年から同じクラスに。
その時はまだしょぼい生意気なガキで、
そのマドンナに振り向いてもらうことはできなかった。
ただ、そんな自分にもチャンスはあった。
名字の頭文字が隣だったため、
日直という仕事が同じだったのだ。
あの神様のいたずらっぷりには、
今でもにやけてしまう。
妙にテンションがあがっていたが、
さりげなく、好きな気持ちを抑えつつ、
ちょっといじめるような口調で。
好きな女子をいじめるのは、
好きだと言う気持ちがばれたくないからでしかない。
本当に、あの時の自分のマドンナに対する態度は、甘酸っぱかった。
当時誰が誰を好きだなんていうものは、
少年少女のくちの軽さを通して、皆に知れ渡っていた。
マドンナは違うクラスのやつが好きだ。
そんな情報を、飲み込めずにいた自分。
クラスの後ろの方で、たたずんでいた時に、
自分がマドンナの事を好きだと知っていた友人は、
嬉しそうにそのことを伝えにきてくれた。
有難う、そして帰れと、素直に思っていた。
そんな憎たらしくも、良い友人は、
なんとそのマドンナの友人と幼馴染であった。
その友人を通して、マドンナと遊ぶ機会が、徐々に増えていった。
有難う、今度こそ、心のそこから思っていた。
徐々に身長を伸ばし、五年生が半年くらいたった時には、
大変身をしてしまった自分。
その頃から、マドンナの心境が変わり始めていることを、
周りから聞いていた。
少しずつ、マドンナが自分に傾き始めたのだ。
嗚呼、このときの、
両想いになるのか、ならないかの審判の甘酸っぱさといったら、
大学に入ってから食べた彼女の失敗した料理よりも、
甘酸っぱい。どちらも本当に甘酸っぱかった。
男子は単純、体育の授業はどんなけ女の子にアピールできるかが重要。
とにかく成長した姿を、マドンナに見せつけていた。
男子は単純、好きな子が出来れば、
ちらちらとみては、目が合うだけで幸せになった。
五年生の秋口くらいに、
ようやく、アピールのかいがあって、
マドンナと自分が両想いになったことを知る。
あの時の感動は、今でも強く覚えている。
そこから二人で遊ぶことがちらほら、
みんなで遊ぶことがどんっと増えた。
密な時間、憎たらしくも良い友人、本当に有難う。
小学校五年の終わりくらいに、
マドンナと他の両想いの二人と、
四人で遊んでいた時のこと。
突然自分の口から、信じられない言葉がはっしられた。
キスせーへん?
もう、当時からいちゃつくことばっかりしていたので、
次のステップに移りたかったのだろう。
とにかく二人きりに無理やり言い訳をして、なってみた。
良いよと言われて、自分のファーストキスがちょんっと終わった。
もう、フレンチキスの三乗くらいだったけれども、
最高に幸せな時間だった。
もう、時間が止まればいいと、本気で思っていた。
するとマドンナからこんな言葉を頂いた。
この唇は私のファーストキスを奪った悪い唇や♪
もう、なんていったらいいのかわからず、
おおぉ。とうなずいた。
どんなけこいつカッコいいねんって、正直思うと同時に、
心臓が止まる思いをした。
本当に女子は、すごい。
そんなキスの日の夜、
自分は眠れなかった。
それは、興奮していたからではない。
当時キスで子供が出来ると、両親からの嘘で洗脳されていた自分は、
もう父親になってしまうことを本気で怖がっていた。
次の日、妊娠していなそうな、そんなマドンナを見て安心した。
キス以外の方法で、妊娠することがわかったのは、
小学校六年の時の、クラスの女子による図書室での、
エッチなビデオを見た私が教えてあげられる事講座で、
ようやく理解することになる。
とにかくマドンナは、
小学校が終わるまで、幸せな時間をくれた、
最高の女子、いや女性であったことに間違いはない。
本当に有難う、マドンナ。
