再び「最高に良い顔」をした日 -3ページ目

小さい頃のお話⑤

当時まだ小学校なりたてくらいの時に、
迷子の犬を拾ったことがあった。

本当に小さい頃から近所の犬と戯れては、
「あんたは犬に好かれる傾向があるな」
と、もてはやされていたので、
犬がとにかく好きだった。

その時相手から好いてもらうことが少なかったので、
犬には気を許すことができていたんだと思う。

迷子の犬はおじいさん犬だったので、
名前がきっとあるはずだと、
姉と二人でせっせといろんな名前を呼んでは、
反応する名前をピックアップしていった。

その中で一番反応がよかった名前、
それが「ゴン太」だった。
反応がよかったというよりは、
まさにゴン太と呼んだ時には、
しっかりとこっちを向いていたので、
絶対的な確信を得ていた。


犬好きな自分、
そして自分が生まれる前に犬を飼っていた家族。
姉も犬が大好きだったので、とても愛される存在だった。

毎日学校から帰ると散歩に連れて行っては、
餌をやるのが楽しかった。
散歩が特に楽しくて、
年功序列で決定権のある我が家では、
姉が散歩係、自分が餌係と、
不平等条約を気付けば勝手に結ばれていた。

ゴン太はとにかく愛された。
一日中ずっと一緒にいても、可愛かった。
ただ我が家には犬を育てる環境が一切整っておらず、
ゴン太が来て、最初の土曜日に、
犬小屋を買いに行くことになった。

色、大きさ、とにかくこだわって、
ゴン太に合う家を探し、購入。
喜ぶゴン太の顔が想像でき、嬉しかった。


家に帰ると、早速犬小屋に名前を書いた。
ゴン太も喜んで、とても幸せだった。

すると、知らないおばちゃんが突如やってきて、
「この子私の犬です!」と叫ぶ。
ゴン太が走ってその人の下に向かおうとする。

???
???

ゴン太の飼い主登場。
戸惑いを隠せなかった。
迷子の犬を拾って一週間。
ゴン太との幸せな日々は一週間で終わってしまった。

悲しかったけど、仕方がない。
とにかくゴン太を引き渡すことになった。

今でも顔が思いだせるのは、
やっぱりそれだけ愛着があったからだろう。

本当に良い一週間を有難う、ゴン太。


ちなみに本当の名前は「紅太郎」
ゴン太って、かすりもしてないやんけー!
あの名前があっていたという、絶対的な確信はなんだったのだろうか。


追伸
ゴン太がさって一番さみしかったのは、
自分でも、姉でもない。
一日も使われることなく物置き場所に置かれた、
犬小屋だったということは言うまでもない。

小さい頃のお話④

クラスの覇者的な自分も、
土日になれば、ゴロゴロと暇な時間を過ごすようになった。
土曜日は吉本を見ては、ゴロゴロ。
日曜日は買い物について行っては、ゴロゴロ。
それでも何も苦ではなかったし、
それが当たり前だと思っていた。

そんな時に、
おかんが「ダイエットせなあかんね」と言いだした。
太っていたのは自覚していただけれども、
太っているのが当たり前の自分にとってみれば、
ダイエットなんて自分から想像できない。

なんでダイエットせなあかんねんという感じで、
ふてくされていたような気がする。

それでもおかんに連れられて、
小学校でやっている野球チームの練習を見に行った。
巨人から小人まで、皆野球というものに励んでいる。

親父もおかんも、全く野球とは接点のなかった人達。
だから、昔から慣れ親しんだモノでもなんともなく、
ルールすらわからないし、バットという言葉すら知らなかった。

けども、参加したいとすぐに思った。
ダイエットが目的ではない。
多分、土日をゴロゴロする以外の方法で、
過ごせるという感覚があったんだと思う。
だからとりあえず、練習に参加することにした。

今思えば、そこから先末永くお付き合いする野球、
ここで一歩を踏み出してなかったら、
今までできた友人・親友・そして仲間たちとも、
出会うことが出来てなかった。

そう考えると、当時の自分は、
とてもナイスな判断を8歳にして行ったんだと思う。

とにかく小学校2年から、
自分の野球人生が始まった。


追伸
ただ初めは野球の練習がしんどくて、
練習を何度もさぼった。
サボる言い訳は、「おじいちゃんもしくはおばあちゃんが亡くなった」

今でも元気なおじいちゃんとおばあちゃん。
ごめんね、かれこれ10回くらいは殺してます。

心を奮い立たせてくれた本②

鬱病が次第に収まり始めて、
ようやく前に進もうという気持ちが出始めた時、
一番最初に読んだ本。

「サムライスピリッツ」 著者 神田瀧夢

日本人として史上初めて、全米3大ネットワーク、
ABCのゴールデンタイムの司会を務めた神田さんの話。

何よりも、熱い男神田さんの生き方を読んで、
正直に羨ましくなった。

自分の生き方と照らし合わせて、
正直に悔しくなった。

情けない自分を浮き彫りにさせてくれた。

ただ、1からのスタートを、
とりあえず切り始めた自分にとってみれば、
本当に良いタイミングで、
カッコいい生き方をしている人に出会えてよかったと思う。


以下文章引用

日本には熱い奴らもいなくなった。
むしろ、熱いのはダサイと見なされる時代になっている。
冷めた奴の方がクールでかっこいいみたいな価値観に変わってきている。
でも、いつの時代でも、熱い奴がかっこいいのだ。
そして、本当はみな、どこかで、熱くなりたいと願っているのではないだろうか。



サムライスピリッツを読んで、
使うようになった言葉。

「MAJIDE!!」

自分がマジで!という時は、
必ずアルファベットになっていることを、
書いていないので、誰もわかることはない。

小さい頃のお話③

小学校1年生の時は、
友達を作ることに必死だった。

小学校の地区よりも少し遠い保育園に通っていた自分は、
全く誰も知らないところからのスタートだった。

クラスで一番人気のあった男の子に、
遊びに参加させてほしいといったけれども、
すぐにウェルカムになることはなかった。
それは、保育園で自分が村上君にした態度と同じように、
よそ者は入ってくるなという感じであった。

小学校低学年のセオリーはたぶん大きくわけて二つ。
①顔が良いとクラスの人気者
②ケンカが強いとクラスの覇者
3~4年になるとスポーツが得意とか、
5~6年になると人徳とか、
そんな基準も入ってくるのだろうけれども、
1年生くらいの時は、たぶんその二つのセオリーで成り立つ。

当時太っていた自分は、顔が良いこともなく、
クラスでも目立つ方ではなかった。
ただ遊びに参加させてもらえなかったので、
ケンカが強いのだと見せる必要があったのだと思う。

ひとつだけ予め言っておくが、
自分は殴り合いのケンカとやらを行ったことがない。
だって、痛そうなので。

それでも強く自分を見せようとするには、
虚勢を張るしかなかった。

とにかく自分はでかくて、強いんだぞ!
そう見せつける事をとにかく頑張って行っていた。

その結果、1年の終わりころには、
遊びに参加させてもらえるようになっただけではなくて、
クラスの覇者的な位置にまで行くことができ、
当時の他のクラスのケンカが強そうなやつと、
誰が一番強いのか的な話で盛り上がっていた。

最後に言っておくが、
今この歳になっても、ケンカはしたことがない。
いつも話に出るだけで、
俺が一番だ!なんて虚勢を張ってはいたものの、
実際ずっと逃げてきた。


今の自分の虚勢を張る癖は
この頃から出始めていたのだと、
振り返ってみて今わかった。

そうか、初めは友達を作りたかったんだ。

小さい頃のお話②

無事恋を見事に両想いに変えた保育園。
卒園と共に、きっぱりその女の子のことは忘れ、
いざネクストステージへ。

保育園から上がった小学校。
歳が5つも離れた体のでかい人たちが住む、
怖い場所だったことを覚えている。

小学校の一番古い記憶は、
またしても恋である。
入学式を終え、クラスで集まる最初の時、
隣の席の女の子が妙に可愛かった。

とにかくその女の子が可愛かった。
当時は顔が可愛いと、恋に落ちるは完全なイコールで結ばれる。
一瞬にして恋に落ちた。

入学そうそう一目惚れした自分。
さっきまで巨人うずめく小学校が怖かったにも関わらず、
一瞬で桜輝くピカピカの、良い香りのする場所へ。

「なんて小学校は素敵なんだろうか。」

心の中で、ひとときの高揚感に浸っていた。


ひととき?
そうそう、ひととき。
クラスの最初に自己紹介があって、
そこでその可愛い女の子の声を聞いた。

究極のアニメ声。
ドラゴンボールのブルマやチチなら有難いが、
本当にイメージ的にはキキララ。

キキララの声なんて知らないが、
ゆったーり、甘ったるーい、
そんな声をしていた。

一瞬にして、恋心が去っていったのである。
高揚感はものの見事に10分くらいで終わることになる。


当時は顔が可愛いと、恋に落ちるのは完全なイコールで結ばれる。
この方程式が崩れ去った7歳の春。

「女の子は顔だけじゃない」
そう悟った7歳の春。

自己紹介を終える頃には、
また巨人うずめく小学校への恐怖心が自分を襲うことになるなんて、
小学校初めての恋時間、10分の時には、気付くわけがなかった。