再び「最高に良い顔」をした日 -2ページ目

小さい頃のお話⑨

小学校五年の時の始業式、
誰と同じクラスなのか、
どの先生が担任なのか、
ワクワクしていたのを覚えている。

いちいち各学年の始業式を覚えているわけではない。
衝撃的な始業式だったから、覚えている。

始業式の日、まずクラス発表がある。
そのクラス発表を見て、ひとつ嬉しかったことがあった。

それはどの学校にもいるマドンナと同じクラスになれたこと。
それはもう嬉しかった。
ただ、その時はまだ成長期も、髪型の変更もなく、
ただの小太りの少年だったため、外から眺めて溜息をつくだけだった。
それでもマドンナと一緒になれたことは、やっぱり嬉しい。

そんな状態で始業式に参加する。
どんな人が担任になるのか、ワクワクした。
マドンナ効果でモチベーションがあがっていた自分は、
誰よりもワクワクしていただろうと思う。

担任が発表される前に、
新しくきた先生の発表がある。
みんなそれをワクワクしてみていたが、
一人だけ、異質な空気をもったハゲがいた。
小さいハゲだった。
後ろは残っていたが、おでこからてっぺんにかけてハゲだった。

誰もが心で思ったと思う。
あの人だけは担任が嫌だと。

・・・・
そう、御察しの通り、
小さなハゲが担任になった。
小学校五年のクラスは六年でも継続される。
つまり担任も継続される。
つまりつまり、小学校最後の先生が小さなハゲだった。
心が折れた。
担任が決まるだけで、これからの小学校生活の心が折れるなんて、
そう滅多にあるものではない。
ただ、そのときの驚きと、心の折れ具合は、今でもはっきりと覚えている。


初めてのクラスでの授業。
自分は、ワクワクと絶望の淵にいた。
たぶん、クラスの男子はほぼ、同じ状況だったのではないだろうか。

その時は、まだみんな、全く知らないこの小さなハゲと、
泣きながら卒業できるなんて、
今でも一番素晴らしく、尊敬できる先生なんて、
知る由もなかった。

とにかく小学校五年の始業式ほど、
記憶に残っている始業式は、無い。

それだけインパクトがあった、
小さなハゲとの出会いだった。


この時、
スライム博士と土屋博士のダブルハゲの印象で、
博士にはなりたくないと思っていたのが、
そこに追加で教師も入ることになる。

そのハゲによる将来なりたくない職種思考は、
一年後には大逆転することになる。



有難うを心から伝えたい人①

小学校2年で野球を始めて、
出会った人がいる。
杉崎さんという、おじさんコーチだ。

この人はいつもスルメ臭くて、
ガンの手術の後を何度も見せらて、
とても厳しいコーチだった。

とにかく野球が大好きな人で、
自分達の学年専属のコーチだった。

その杉崎さんが自分に残した思い出はみっつ。
ひとつめは、4次元ポケット。
ふたつめは、ピッチャーの素質を見出してくれたこと。
みっつめは、人の死に対する悲しみを最後に教えてくれたこと。

杉崎さんのポケットからは、何でも出てきた。
何でも、というと嘘になるがあるカテゴリーに属したものなら、
何でも出てきた。
お菓子だ。

何故か杉崎さんがポケットに手を入れると、
皮の剥いてあるみかん、飴、するめが出てきた。
スルメは袋入りしておらず、
ポケットから出てきたので、
食べるかという声にYesと答えたことはない。

そんな杉崎さんとの日々が過ぎる中、
まだスポーツが得意でなかった小学校4年生のはじめに、
お前にはピッチャーの素質があると言ってくれた。

当時ファーストや外野を守っていた自分にとって、
花形のピッチャーはやりたいポジション1位だった。
とても嬉しかった。
でも、その言葉だけ残して、杉崎さんは亡くなった。

お葬式はたぶん、杉崎さんの前にも、
何度か行ったことがあったけれども、
それでも悲しかったことはなかった。

でも、杉崎さんの時は、
初めて人の死で涙を流したと思う。
どんなに練習がきつくても、
どんなけ走らされても、
どんなけスルメ臭くても、
どんなに嫌いなふりをしても、
多分、大好きだったんだろうと思う。

とっても悲しいお別れ。
最後まで、良い経験をさせてくれた杉崎さん。
本当に、有難うございました。

ちなみに花形ピッチャーは、
スポットではあったけれども、
本格的にすることはこの先無かった。
ピッチャーの才能、杉崎さん、なかったみたいです。


小さい頃のお話⑧

小学校4年生まで、それはもうやんちゃだった。
存在感抜群の自分は、学級委員長や班長、
スポーツ大会では必ずリーダーをしていた。

もうそれは、とにかく楽しかった。
自分の一言で動く人達がたくさんいる。
自分はしっかりしたリーダーなのだ。
目立つことが大好きな自分にとってみれば、
リーダーという役職は、最高に気持ちがいい。
本当に、最高の小学校生活を楽しんでいた。

っと、感じでいたけれども、
それは淡い幻想でしかなかったということを、
小学校4年生にして、ようやく気付くことになる。

自分が手にしていた友達は、
あくまで自分の我を通した結果、
集まっていた友人たちでしかなかった。
権力に怯える人達でもいおうか。

小学校4年にして、嫌われていることを、
肌で感じることが多々あった。
遊びに誘われることもなくなった。
声をかけても集まってくれなくなった。
軽いいじめみたいな現象を、
とにかく毎日味わっていた。

見返してやる。
そう思っても、どうすればいいのかわからない。
しんどい毎日を過ごしたことを、今でもはっきり覚えている。
だから学童保育を途中でやめることにした。
そして、学校が終われば、おかんの働く場所に行くことにした。
それはもう、毎日のように通っていた。
やんちゃ坊主がおかんにすがるという選択を取るくらい、
多分、しんどかったんだろう。

そこで頭を何百回、何千回と打っていればよかったものの、
小学校5年になってから、
神様が自分を甘やかす出来事が2つも同時に起きた。

一つ目は、成長期に入ったこと。
太っていた自分が、
体重そのままに身長がぐっと高くなってしまった。
スポーツ能力急上昇、カッコよさ倍増である。

二つ目は、髪型が変わったこと。
おかんの通う美容室で髪を切っていたのだけれども、
そこでおかんはいつも、
ドラゴンボールのトランクスと同じ髪型をお願いしていた。
ひとつだけ言っておくが、トランクスの髪型が似合うのは、
トランクス本人しかいない。
下手すると、いじりー岡田になってしまう。

おかんがたまたま当時はやっていたGTOの鬼塚みたいな髪型にしてと、
お願いを変えてから、急にイケ面度が2倍になった。

どの学校にも、どの女子も必ずこの人を好きになるという体験を、
しているはずだと思う。
まさに、そんな状態になった。

カッコいい、身長高い、スポーツ万能、
誰が文句をいうのか。
誰がそいつをほっとくのか。
そんな小学校5年生になってしまった。

人がまた、集まり始めた。
今度は権力ではない、見た目とスポーツ能力だ。
ここで人格がよくなってなんて言えていたら、
多分未来もだいぶ変わったのではないかと思う。

神様は、自分をここで甘やかした。
有難いその時と、少し悔いる今。

甘やかすとは、今を良くして未来を壊すものだと、
気付くまではあと10年かかるとは、
そのときは一切気づいてなかった。





小さい頃のお話⑦

昔から両親共働きの家庭に住んでいた自分は、
小学校に入ると同時に学童保育所に入った。
1年生~4年生までの皆で夕方までを過ごす。

そこではコマやケン玉を身に付けた。
また生まれて初めて漫画に出会った。
初めて読んだ漫画は「はだしのゲン」
戦争時代の少年の話に、虜になった。

初めて出来た友人は、小学校4年生。
自分よりも年上の、障害をもった人だった。
何も変わらないのに、何故障害者なのかわからなかった。

その人は絵が描くのがとても上手で、
いつも絵を描いているのを横で見ていた記憶がある。

小学校での友達も多くなっていたけれども、
初めて出来た年上の友達であり、
初めて出来た障害を持った友達であり、
とても印象に残っている。

おかんとその人の母親はちょっとした関係があって、
家に遊びに行くことになったりもした。

本当に普通の人。
なのに、障害を持っている。
その頃の自分達はどこか、障害という言葉に、
ちょっとした差別的なものを感じていて、
周りがよりつかないのがわかった。
それでも自分にとっては、友達であり、
結構一緒にいることがあった。

5年生になったその人とは、
学童保育に来なくなって、
それ以来会っていないけれども、
今では何をしているのかが、気になったりする。


昔から普通ではなく、異質な空気を持つ人達に憧れる傾向がった。
5レンジャーに本気でなろうとしている年上の人たちと、
ずっと一緒になって遊んでいた。

そのグループのリーダーのお父さんが、
スライムを作る遊びを教えてくれた。
当時の自分達にとってみれば、
練りケシなんか相手にならないレベルの、
とっても貴重な存在。

小さい頃の自分にとって、
スライムを作れるそのお父さんは、
レッツ&ゴ―というミニ四駆漫画の、
土屋博士よりも博士的な存在で、
心の中ではキリスト以上に神的な存在だった。

またそのお父さんは髪の毛がなく、
土屋博士もうっすらハゲだったので、
博士は皆ハゲであるという概念が生まれ、
将来なりたくない職業No1に数年君臨することになる。

小さい頃のお話⑥

野球の練習に参加し始めて数週間。
いよいよクラブチームに入会することになった。
ユニフォームを手にして、早速来てみることに。

・・・着方が一切わからない。
野球選手のユニフォームを見て頂ければわかるのだけれど、
足元が意味のわからないことになっていることに気付いてただけるはず。

仕組みは簡単なのだけれども、
野球なんて一切関係のなかった我が家では、
この足の下の部分をどうするかで結構苦労した。

着てみると、様になっていて、
とてもやる気に満ち溢れたことを今覚えている。


お祝いといってはなんだけれども、
ユニフォームを着て練習にいった日の夕方、
我が家には新しい家族が加わっていた。
柴の子犬である。

ゴン太以来1年以上時を経て、
我が家に犬が来た。

野球を始めたての頃だったので、
夢は大きく、犬の名前に夢の名前を授けた。

「リーガー」

メジャーリーガーのリーガーをとった。
今から思えばの話になるけれども、
リーガーではなく、メジャーの方がよかったかもしれない。
リーガーって、それ単体ではわからない。笑

リーガーの話はまたじっくり書くとして、
野球をし始めた頃は、
投げる事、打つ事、守る事、意味のわからないことだらけだった。
そして一番わけがわからなかったことは、
「どんなけ走らせるねん」ってことだった。

スポーツ選手はとにかく走る。
意味がわからない程に走る。
サッカーやバズケならわかるけれども、
野球はそんなに走ることのないスポーツである。
なのに、意味のわからないくらい走った記憶がある。

とにかく走ることが嫌で嫌で、
練習が嫌いでおじいちゃんおばあちゃんを10回以上殺したのではなく、
本当のところは、走るのが嫌で殺してたんだと思う。
・・・あまり良い表現できてないのは謝罪します。

そんなこんなで、低学年の野球で覚えていることは、
「走ることが嫌!」ということである。
それ以外、あんまり記憶がない。

それでも土日が充実していたことに変わりはなく、
何気ない日常の変化を、楽しんでいたんだと思う。