「ゴンザのロシア資料に現れる複数を表す接辞」6 | ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

1728年、船が難破して半年後にカムチャツカに漂着した11歳の少年ゴンザは、ペテルブルグで21歳でしぬ前に露日辞書をつくりました。それを20世紀に発見した日本の言語学者が、訳注をつけて日本で出版した不思議な辞書の、ひとつずつの項目をよんだ感想をブログにしました。

 「くぎぬき」(ヤットコ)や「めがね」は2つにわけることのできない一体であって、なんで複数形であらわさなければならないのか、日本人にとって理解しにくいことだと以前にかいた

 

 つぎのみだし語には、ごんざは訳語をかけなかった。

 

「ロシア語」(ラテン文字転写)「村山七郎訳」     『ごんざ訳』 

 

「носилки」(nosilki)     「吊台、乗りかご、担架」『   』

 

 ロシア語のことはよくわからないけど、担架は左右2本の棒に布をわたしてつくるから、複数形になっているんだろう。

 

 「担架」とおなじものは江戸時代の日本にはない。

 あるけない人をはこぶ時は、たぶん戸板にのせていただろう。

 

 日本ではみたことがないものだけど、「нос–」(nos-)(はこぶ、もつ、身につける)という動詞から派生したことばだということは、形態素解析マニアのごんざにはわかっていたはずだ。

 

 もし、日本人をまどわす複数形ではなく「носилка」(nosilka)という単数形の形になっていたら、ごんざは『こし』という訳語をかけたかもしれない。

 

「коляска」(kolyaska)  「馬車」    『こし』

「колесница」(kolesnitsa)「美装の馬車」 『こし』

 

日本国語大辞典 「こし(輿) ①乗物の一種。人を乗せる台の下に二本のながえをつけて、肩にかつぎ上げ、または手で腰の辺にさげて行くもの。台の四隅に柱を立て、屋根をつけた四方輿、側面を覆った網代輿、筵輿、板輿、塗輿などの種類がある。」