ごんざの「熟する」と「うたう」 | ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

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1728年、船が難破して半年後にカムチャツカに漂着した11歳の少年ゴンザは、ペテルブルグで21歳でしぬ前に露日辞書をつくりました。それを20世紀に発見した日本の言語学者が、訳注をつけて日本で出版した不思議な辞書の、ひとつずつの項目をよんだ感想をブログにしました。

「ロシア語」(ラテン文字転写)      「村山七郎訳」  『ごんざ訳』

 

A「спЕетъ плодъ」(speet' plod')    「果実が熟する」 『ぢぇくる』

B「спЕю」(speyu)           「熟する」    『ぢぇくる』

 

 おなじ動詞を3人称でだして、1人称でもだしたのはなぜだろう、とおもっていた。

 でも、ちがうことに気づいた。

 

 ロシア語の「спеть」にはふたつの意味があるのだ。

 

岩波ロシア語辞典 

「спеть1 →петь.」

       「петь 1歌う;(歌手として)歌う;(オペラで)-役を演じる。」

「спеть2 1(果実などが)熟する、熟れる。」

 

 Aの方は(うたう)という意味じゃなくて(熟する)の方だよ、とわかるように3人称にした上に「плодъ」(plod')(果実)とそえがきしてある。

 だからごんざは『ぢぇくる』(できる)というただしい訳語をかいた。

 

 そのあとにでてきたBは当然(うたう)という意味だから、ふつうに1人称で、そえがきはない。

 みだし語をえらんだボグダーノフ師匠は当然(うたう)だとおもったけど、ごんざは先にAを訳していたから、当然(熟する)だとおもったのだろう。

 

 紙にかいたみだし語のリストにごんざが訳語をかいていったからこういうまちがいがおこったんだろう。

 ボグダーノフ師匠とごんざが口頭でやりとりしていたら、Bの説明の時ボグダーノフ師匠は歌をうたってみせたかもしれない。