ごんざはペテルブルクでどんな酒をどのようにのんでいたか。
20世紀後半にワインの産地であるブルガリアにいた私と、18世紀前半にワインのつくれないペテルブルクにいたごんざ。
それでも、21世紀の日本にいる今の私よりも、通じあうところがあるかもしれない。
ビールについて
コメニウスの「世界図絵」では「ぶどうの収穫」の項目のつぎに「ビール醸造」の項目があって「ぶどう酒のないところでは、ビールを飲みます。」とかいてある。ヨーロッパを北と南にだいたい半分にわけると、北半分は「ぶどう酒のないところ」になる。ごんざのいたペテルブルクはここにあてはまる。
「ぶどう酒のないところでは、ビールを飲みます。」というのは「ぶどう酒のあるところでは、ビールをのまない」という意味にはならないから、私がいたブルガリアではワインもビールものんだ。
20世紀後半のブルガリアで、人々はビールをかう前に瓶をさかさまにしていた。最初は何をしているのかわからなかったけど、品質がわるいビールがおおいので、オリがないかどうか、かう前にチェックしているのだった。
オリがないものをえらんでかってきても、たとえば5本のうち2本は、炭酸がぬけていたり味が変化したりしていて、のめなかった。
そのころのブルガリアのビールの値段はすごくやすかった上、やすい値段にふくまれる瓶代のデポジットの割合がたかかったので、「ビールは5本かえば2本はすてるもの」という原則でいてもやすいものだった。
「Buy 5, Get 6!」というのの反対だ。
でも、おもいビールをかってかえって、冷蔵庫でキンキンにひやして、冷蔵庫からだして
きて、さあのもうとおもって、栓をぬいて(ブルガリア人はフォークの柄で栓をぬくけど私は栓ぬきで)、グラスにそそいだら、のめない状態であることがわかり、冷蔵庫にもどってつぎのボトルをだしてくる、ということが毎日のようにあるのは、かなりのストレスだ。
結局私はかなりたかくついてもビールはドルショップで西ヨーロッパの缶ビールをかってくる、ということにした。
ロシア語の「пиво」(pivo)(ビール)ということばはブルガリアでも通じるけど、ふつうは「бира」(bira)というゲルマン語起源のことばをつかう。スラヴ語圏でビールを「пиво」(pivo)とよばない地域をブルガリア以外にしらない。
で、5本のうち3本のまともなブルガリアのビールはゲルマン語圏のビールのようだったかというと、ひえていれば大丈夫だけど、ゲルマン語圏のビールとくらべて、あまくておもい、と感じた。
ごんざがのんでいたビールも、21世紀の日本人がのんでいるビールよりもあまかったかもしれない。
でも18世紀のペテルブルクでごんざがのんでいたビール、ワイン、ウォッカ、蜜酒、クワスなどのなかで、ビールの特徴としてあまいことをあげるのは不自然だとおもう。