ごんざの「かいぇ」と「運」 | ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

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1728年、船が難破して半年後にカムチャツカに漂着した11歳の少年ゴンザは、ペテルブルグで21歳でしぬ前に露日辞書をつくりました。それを20世紀に発見した日本の言語学者が、訳注をつけて日本で出版した不思議な辞書の、ひとつずつの項目をよんだ感想をブログにしました。

「ロシア語」(ラテン文字転写 「村山七郎訳」 『ごんざ訳』

「фортуна」(fortuna)   「運命、幸運」 『かいぇ』
「щастiе」(shchastie)   「幸福、幸運」 『かいぇ』
「счастiе」(schastie)   「幸福、僥倖」 『かいぇ』
               村山七郎注 cf. カ 報、運。山口県大島・高地。TZH.

 村山七郎注の「カ」はわかったけど『いぇ』はどうなるんだろう。

 『漂流からの生還』橋口満 高城書房 2010 という、ごんざに関する本の238ページにつぎのような記述がある。

◎カイェ(かえ。運。幸福。僥倖。運命)
分布地:いちき串木野市羽島。
 最重要語の一つ。極めて稀なる方言でゴンザの出身地を特定する決め手ともなる語。カレイ(嘉例)の転訛したもの。原義は吉例。文献には古く『玉葉・嘉応三年(1171)正月三日』に「寛治、曽祖師信朝臣、為内蔵頭、勤此役、為逐彼佳例、去追儺之次被任之」とある。『さつまのことわざ』(昭和五二年・北山易実・いさな書房)に「かれんよか船」ということわざが所収してあるが「『かれ』とは運のことで大漁をする船を『かれんよか船』という。進水祝の場合、関係先から貰った大漁旗を船上に掲げると『旗をづばっ、かるた、幸先がよい』と喜ぶが『かる、かれ』は幸運を背負うことだろう」とある。この「かれ」もカレイ(嘉例)の転訛した語で、カイェ、カレともに漁村語彙である。

 (嘉例)→『かいぇ』という音の対応はよくわかるけれど、本当に『かいぇ』は(嘉例)なんだろうか。

日本国語大辞典 「かれい(嘉例・佳例)めでたい先例。よい定め。吉例。」

 (例)というのは(運)とはかなりちがうとおもう。

 『かれんよか船』でネット検索してみたら、北山易実さんのかいた別のものがヒットした。

◎かれんよか船
 漁業は水ものといわれているが、事実同じ大きな船で同時に漁場に着いても運のよい船はよく釣る。ついていない船はどこへ行っても釣れない。このようなついている即ち運のよい船を「かれのよか船」という。
 不漁が続いて経営困難となった船を買取って漁業をしてもついていない船はどこまでもついていない。仕込みをして出漁しても毎航海漁運に恵まれない。こんなとき「かれの悪い船はやっぱり釣れない」という。
 進水のときに大漁旗を掲げると「旗を多くかるた」というが、かるたと言うのは背負うということであるから「かれんよか」は、幸運を背負っているという意味ではないだろうか。

「漁村のことわざ(その3)」『うしお』鹿児島県水産試験場 110号 昭和40年7月

 この説明はよくわかる。
 ごんざも「背負う」ことを『かる』という。

「бременю」(bremenyu)         「重荷を負わせる」『たくせかるわする』
「бременюся」(bremenyusya)      「重荷を負う」  『たくせかる』
「бременоносецъ」(bremenonosets')  「重荷を負う人」 『かるふと』
「яремъ」(yarem')            「重荷、軛」   『かるもん』

『かいぇ』=(嘉例) 橋口説
「かれ」=薩摩方言の動詞『かる』(せおう)と同根のことば 北山説

 私は『かいぇ』は北山説の「かれ」とおなじだとおもう。
 『かる』(=せおう)という動詞からできた名詞が(かれ)(=せおい)ということだ。
 ごんざのことばの語中語尾の(り)と(れ)は(い)と(いぇ)になることがおおいので、(かれ)は(かいぇ)になる。
ひとりひとりがせおっている、自分ではコントロールできないものが『かいぇ』なんじゃないか。
 (運)という漢字も(はこぶ)という意味だし。

 ごんざがのっていた船が難破してしまったのは『かいぇ』がわるいけれど、補給なしに半年も漂流できたことは『かいぇ』がいいといえるんじゃないかな。