ごんざの辞書の「動詞の人称」8 人の感覚 | ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

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1728年、船が難破して半年後にカムチャツカに漂着した11歳の少年ゴンザは、ペテルブルグで21歳でしぬ前に露日辞書をつくりました。それを20世紀に発見した日本の言語学者が、訳注をつけて日本で出版した不思議な辞書の、ひとつずつの項目をよんだ感想をブログにしました。

 3人称単数現在形がみだし語になっている例 人の感覚

 「人がみる」「人がきく」というのは自分の意志による自分の行為なので、1人称形になるが、「物がみえる」「音がきこえる」というのは、物が主体なので3人称形がみだしになる。

「ロシア語」(ラテン文字転写)   「村山七郎訳」   『ごんざ訳』

「видится」(viditsya)       「見える」       『みゆる』
「показуется」(pokazuetsya)   「見える、思われる」  『みゆる』
「слышится」(slyshitsya)     「聞こえる」      『きこゆる』
「запахиваетъ」(zapakhivaet')  「匂いがする」     『にうぇがする』
「претитъ」(pretit')       「食うのにいやけがする」『くをごとね』
「тошнится」(toshnitsya)    「不快になる」     『くつんなる』
「перситъ」(persit')       「咳が出る」      『いきふかる』
「братолюбити」(bratolyubiti)   「兄弟を好く」     『きょですく』

 「はきけがする」とか「さむけがする」というのも自分の意志による行為ではないので、動詞の中で特別あつかいされる、というのはなんとなくわかる。
 兄弟愛というのも自分の意志ではコントロールできないらしい。
 「感覚」といっても、微妙にちがうものもある。

「возъпоминается」(voz'pominaetsya)「回想される」『たぬることがある』
「мечтается」(mechtaetsya)     「夢想する」 『ゆめみる』

 これは「自分がおもう」という意味ではなくて、「自分ではない人や物が空想や夢の中にあらわれる」ということだから3人称が主語になる、ということのようだ。村山七郎訳の「夢想する」は意志的な感じがするのでよくない訳語だ。(夢枕にたつ)とかにすべきだ。

「спЕсится」(spesitsya)        「横柄である」『けんきょする』

 これはなんだかよくわからない。第三者が自分に対してえらそうにする、という意味なのか。自分は絶対にえらそうにしないのだろうか。

 最後にのこったのが、つぎのふたつだ。

「щастится」(shchastitsya)       「幸運になる」『かいぇがゆなる』
「нещастлится」(neshchastlitsya)   「不幸である」『ふがわるぃ』

 自分の意志で幸福になったり不幸になったりすることは、ロシア語の動詞の世界ではできないらしい。ごんざが『かいぇ』とか『ふ』とよんでいるのも、自分ではコントロールできない運命のようなものだろう。そのことは、ごんざがだれよりも一番よくしっているのだ。