Gon のあれこれ -25ページ目

Gon のあれこれ

読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

都市の深層は

人間のあらゆる欲望

食欲・性欲・愛欲・権力欲・知識欲・承認欲・自己実現欲etc)の

代謝(消化・吸収・排泄・再生・創生)装置であることだ。

人間の欲望をリアルに見つめ、タブーの侵犯を辞さなかった芸術家会田誠が、都市に対してどんなアプローチをするのか、

と言う期待で鑑賞。

 

その期待は簡単に裏切られたが、それは私の期待が的外れだった事によるのだろうか。

新宿御苑の改造案を出したことがきっかけで会田に大林財団からのプレゼン要請があったらしい。

その案も会場で拝見したが、会田らしいエッジの利いたものではなく、

目を見張らせるようなものは感じられなかった。

 

雑駁な言い方をすれば、現代の東京は江戸開幕に当たって江戸城を中心に旗本、譜代、外様の各大名の武家屋敷や岡場所などのゾーニングを下敷きにして、交通機関の変遷、その一部は水上輸送の堀からそれを埋め立てた自動車道路への変遷と言ってもよいが、それと、人口や首都機能の拡大に伴う海上の埋め立てや西部への拡大が、それらに適応の過程として生まれたものであった。

 

象徴天皇制の今日、天皇は必ずしも首都東京に住まわれる必然的理由はなく、東京奠都以前の、1000年以上住まわれた京都にお帰りになり、その跡地をどのように活用するのか、が最もインパクトのある東京改造論になるだろう。

その意味でいえば、会田の主張する札幌首都移転案も一つのアイデアだが、私なら国会を那覇に移転する案を提案する。

戦後レジームの、日米安保日米地位協定の問題点が集約されている沖縄にこそ国会を移転して、安倍首相言うところの「戦後レジームの脱却」を文字通り果たしてもらいたい。

 

鉄とガラスとコンクリートで都市を無味乾燥にした、その一翼を担った大林組が、その過程で失った、言わばヴィヴィッドな人間の生の営みを回復しようとして設けた制度、と最大限好意的に解釈するが、自民党一党支配の政治構造ー何しろ大林を含む大手五社を中心とする市町村の土建屋までのピラミッド構造(下請け孫請けダミー受け)は同時に自民党の選挙運動と集票の装置であったことから、政権批判的な、と言うことはかなりの現状批判が余儀なくされるが、そこの批判を避けては、本当にヴィヴィッドなプレゼンが出来ない、と言うことは自明であろう。

念のために言うが大林のこの企図を批判しているのではない。

泥の中にも蓮の花を咲かせよう、という試みは尊いものだ。

 

美術家の会田誠は2012年の六本木ヒルズ展覧会以来注目している。

「天才」を自称したり、自分の立ちしょんをしている映像を展示したり、スクール水着の少女を臆面もなく描いたりして好んで乱を起こすところがある。

 

一方ニューヨークの摩天楼の上を飛ぶゼロ戦の絵、

は いろいろな解釈が可能だが、それ自体とても美しい絵だ。

芸術と侵犯。 

魅力的な組み合わせだ。

 

その彼が大林組の組成した財団の助成を受けて「都市のヴィジョン」というテーマの展覧会である。

設立趣意書と助成事業について以下のように謳われている。

機能中心のオフィスの建設など「経済性」のみを追求する都市づくりではなく、景観の重視や、文化的な施設を取り込んだ生き生きとした人間の生活する場(コミュニティ)を中心とした「都市づくり」が必要と考えられます。 

当財団は、今年度から《都市のヴィジョン-Obayashi Foundation Research Program》という助成制度を開始しました。これは、2年に1度、豊かで自由な発想を持ち、さらに都市のあり方に強い興味を持つ国内外のアーティストを5人の推薦選考委員の推薦に基づいて決定し、従来の都市計画とは異なる視点から都市におけるさまざまな問題を研究・考察し、住んでみたい都市、新しい、あるいは、理想の都市のあり方を提案・提言していただくというものです。     

 

都市の欲望は、整然とした区画整理への侵犯への闘いだ。  

その侵犯無くして、「生き生きとした人間の生活」の場づくりは出来ない。  

  

人間の愚行は、地球上の人口の数ほどあるが、

人類最大の愚行は戦争だ。

 

第二次大戦後、敗戦国はもとより戦勝国の植民地の独立が相次ぐが、冷戦下で、米国でいわゆるドミノ理論が跋扈し、選挙による統一(1954年ジュネーブ協定)を阻んで強引にベトナムに介入(南に傀儡政権樹立)した。

 

ジョンソン政権下の1964年のトンキン湾事件は現在では米側の自作自演と言うのが定説であるが、以後北爆を開始して本格的な米越戦争になる。

 

ホーチミンのベトナムは1975年のサイゴン陥落をもって米国に勝利し、次いで1979年、国境紛争から始まった中国の侵入を阻止した。

世界最大の強国、米国と、文化大革命1966-1976)後でやや疲弊していたとはいえ世界最大の人口を擁する隣の中国との戦いに負けなかったベトナム人には正直尊敬の念を覚える。

 

我々の学生時代はベトナム反戦が盛り上がりつつあった頃。

安保に遅れてやってきた世代には学内外の論議の中心であった。

学友会の機関誌に、ハンス・モーゲンソーを手掛かりに、民族自決的な立場からドミノ理論を批判した論文を書いた事もある。

(法学との関係如何、との批判もあったが)

開高健やベトナムに平和を(通称べ平連)の小田実らが活躍した時代でもあった。

 

去年の暮、連れ合いが旅行代理店の冊子を見せて同行を求めたので、ベトナム人への尊敬の念や戦争の傷跡に触れることも出来るのでは、と思いから承諾した。

連れ合いは狭い自宅の庭をお花畑にしているが、その世話つまり水やりや除草の手間を比較的必要としない時期が旅行のベストシーズン。

と言う事で昨年のアンコールワット旅行 も同じ頃であった。

一度付き合っておけば、一人で自分で行きたいところに行ける、という秘かな思惑もある。

 

旅行の支度はいつも通りの事なので、しかも今回は隣のカンボジアに同時期に行っているので造作ないが、やはり自分なりにベントナムの近現代史や現在の社会主義体制について予習をして置きたい、と考えた。

以下はそのメモである。

 

まず最初に言いたいのは、戦後のある時期、特にアジアアフリカ諸国を席巻した民族自決である。

民族自決は同じ言語や習俗を持つ、いわば気心の知れた同一民族が、他国による支配や従属を脱して自立する、と言う点では異論を挟むような問題ではないが、今特に考えなければならないのは、多民族国家における共生ー日本も多民族国家であることをお忘れなくーである。

 

思いつくままに列挙してみると、ミャンマーにおけるロジンギャ問題、ルワンダのフツ・ツチ虐殺、中国におけるウイグル、チベット、内モンゴルなどに対する漢民族化、つまり独自文化破壊、スペインにおけるバスクやカタルーニャ独立問題、未だに頭にすんなり入っていかない複雑怪奇なボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、と枚挙にいとまないぐらい民族問題が多発し、少数民族が難民化し虐殺されている。人道上看過できない事態だ。

今国際社会が取り組まなければならないのは、民族自決 ではなく民族共生による平和、である。

欧州諸国のリーダーがこのような問題意識の中にある時、日本のリーダーはネトウヨレベルの民族観、そのはしたない表れが、「美しい日本」という自己陶酔的な回帰であり、同じ自国民に対して「こんな人たちに負けるわけにはいかない」とわめく分断思想、とそれに感応して、事あるごとに反日、非国民 とレッテルを貼る中韓ヘイトの安倍応援団である。

これでは世界のリーダーシップが取れるわけもなく、地球儀を俯瞰した外交等は中身のない空虚な絵空事である。

 

ベトナム戦争を既に「歴史」として反芻するとき、いろいろと知らなかった事に遭遇する。

米国との圧倒的な軍事、経済力の格差を前に、ベトナムがとった戦略は

1、戦場では軍事的に耐えきること。そのために犠牲を恐れず団結する。

2、国際社会からの支持を得ること。東側の中ソや東欧諸国キューバなどからの軍事支援を得るだけではなくアジア・アフリカ諸国や日米欧の先進国の国民の支持を得る。そのために著名な作家やジャーナリストを招待して戦争現場をリポートしてもらう。

3、米国に軍事的に勝利することはあり得ない、と判断し交渉による米軍撤退のシナリオを構築したこと。交渉の余地を残すために「鬼畜米英」(戦時中の日本)などと感情的に対立せず、米国人民に友好的な態度で通したこと。 (以上「ヴェトナム新時代」岩波新書坪井義明著)

であった。

米国の北部ベトナムに対する過酷な北爆、ゲリラ対策で枯葉剤の使用、ソンミ村を始めとして数々の村民虐殺事件など何がモラルリーダーシップか!と反米の気運が高まるのは必然であった。

隣の韓国は米軍に要請されて参戦し、米軍と同じような虐殺事件や村民のレイプ事件を多数起こしている。

日本は憲法9条の盾があって参戦せずに、愚行に加わることなく済んだ事は幸いであったけれども、戦争は人間の最悪の部分を露呈するが故にあらゆる努力を払って阻止するのが霊長類の頂点に立つ我々人類の責務だ。

我々の首の上に乗っているのはカボチャではないのだ。

 

このベトナム戦争の後遺症は今もベトナム人を苦しめている。

枯葉剤の影響は奇形児を今も生み出している。

戦争で夫や妻を、そして子供たちを失った結果、高齢の独り身の人が多いという介護の問題。戦争の後遺症で精神を病んだ人たちの問題。

 

ソ連の崩壊や中越戦争などで東側の援助が細る一方、ペレストロイカや改革開放の波を追い風にベトナム共産党も1986年ドイモイ(刷新)に着手。

ベトナム戦争終結(1975)後ポルポトと戦ったカンボジアベトナム戦争(1978)の勝利でカンボジアを占領。これが国際社会からの経済制裁を受けたためこれを脱するために撤退(1989)。中国とは中越紛争後冷戦状態であったが1991年関係正常化。1995年には米国とも和解してアセアンに加盟。1998年APEC加盟。2003年日越投資協定。2007年WTO加盟、、、等々と過去の怨念を乗り越えて国際社会への復帰と経済発展を果たしつつある。

 

地政学的に見てベトナムの最大の問題は対中国関係であろう。

北に国境を接する中国から前一世紀からおよそ1000年の間支配を受けてきた。その後およそ1000年の間自前の王朝が盛衰したが、1887年のフランス支配、1940年の日本軍進駐、1945年のフランス進駐、ディエンビエンフーの戦いに勝利(1954)したものの平和は続かず米国が介入してきてベトナム戦争が始まった。

しかも戦争のさなかの1972年、ニクソンが訪中し米中の関係改善が始まった。ベトナムとしては自分の頭越しに友好国中国の和解は疑心暗鬼を呼び、必ずしも気持ちの良いものではなかったであろう。

こうした戦争に次ぐ戦争の疲弊の中、かつての友好国中国の侵攻(1979)である。

当然中国に対する感情が良かろう筈がない。

経済大国 軍事大国 中国のプレゼンスが強まる中、ベトナムとしては対米関係を改善して米国に中国のカウンターパワーになってもらいたい、との心中は察するに余りある。

しかしながら、安倍首相が夢想する対中包囲網に簡単に応ずるわけにはいかない。対中関係を悪化させることは何の得にもならないからだ。

このあたりのバランスを取りながら国の進路を決めて行かなければならない「半島」の地政学的」宿命である。

 

今回の旅行は、出来れば戦跡に立って戦争の爪痕を観望したいが、「観行」ではそれも叶わず、せいぜいホーチミン市の「戦争証跡博物館」の見学機会があるかないかだろう。同博物館にはピュリツアー賞を受賞したフォトジャーナリスト沢田教一の「安全への逃避」が掲示されてある。

その機会に恵まれなければ、彼や開高健が好んだ「コニャックソーダー」でも飲んで当時を偲ぶより他ないのだろうか。

 

 

 

 

パリには 描くべき風景も 顔もない

 

と述べたゴーギャンの第一次タヒチ時代、1891年渡航から1893年本国に送還されるまでの間を映画化した作品。

 

出発に際して妻子に同行を懇願するも断られ、

画家仲間を誘うも体よく追い出された彼は、

 

芸術家として我が道を行き 終着点を見つけたい

 

と、ひたすら自己の個性を信じる姿は一種狂気に似たものがある。

ところでゴーギャンをタヒチに駆り立てたものは何だろうか。

ゴーギャンのタヒチ行には、「ロティの結婚」が一役買っているのは間違いなく、そのゴーギャンにこの小説を読ませたのはロティの愛読者(ゴーギャンと一時同居した)ゴッホだと考えられている。

 「ピエル・ロティの館」岡谷公二作品社 (  )内は補足。

ロティ(1850-1923)は二か月余のタヒチ滞在中若いタヒチ女性と暮らした経験を「ロティの結婚」1880年に著しベストセラー小説になって広く読まれたらしい。

これに味を占め、長崎で女性を現地妻とした「お菊さん」(1887)を著作したロティは、未開人や後進国の人間に対する優越感、口当たり良く言えばエキゾティスムを売りにした流行作家であった。

パペエテを遠く離れてみたまえ、そこには文明の波も届かない。

そこは丈高いココヤシが珊瑚礁の海辺を縁取るように生い茂り、その前に寂寥とした大海原が広がっている。

多分、このロティの文に刺激されたのであろう。人工的なもの、型通りで陳腐なものに絵を描く意欲を感じなかったゴーギャンはタヒチ行きを決行する。

 

タヒチの首都パピーテは既にフランスの植民地化が進み、彼が求めたタヒチはそこにはない。

彼は1848年の生まれだからまだ壮年の43歳。

あるポリネシア人の家族と遭遇してその13歳の娘テフラと感応。母親に

月が満ち欠けする間、あなたが娘を幸せにしなかったら、娘は去るだろう

と了解を得、二人で奥地に入って小屋を建て自活を始める。

絵の題材はもっぱらテフラ。

 

ゴーギャンはテフラの中に原始の、文明化以前の人間的自然を見たかったようでもあり、見たようでもある。

 

人間の自然状態は 性善か性悪か

あるいはホッブスの万人の万人に対する闘争か、

あるいはルソーの道徳や理性以前の自由で平等な世界か。

ルソーはそこに戻ることは出来ない、としたゆえにその願望は満たされないままに潜在意識に抑圧されて進歩主義や革命の温床になる。

あるいは、邪悪な蛇に唆されて楽園を追放されたアダムとイヴ

 

ゴーギャンがタヒチに求めたのはロティのエキゾチズムではない。

テフラがゴーギャンの弟子と駆け落ちした時、彼は銃を持って夜中中探しまわる。そして二人が小屋の中で眠っているのを発見したとき、撃とうとするが引き金は引けなかった。

二人を引き離すためにパピーテに日雇いの仕事を見つけてテフラを幽閉する。そして玄関が開け放たれ、テフラが逃げた、と思ったときゴーギャンはこの一連のテフラの行動の中に、タヒチの、あるいは原始の野生ー束縛されざる,原罪など無関係の野生ーを感じたに違いない。

 

困窮して彫刻や絵を大道で売ろうとするが30フラン、と言って10フランに値切られる。一方弟子の作った観光土産品、それはつまり観光客がエキゾチズムを感じる対象としての商品だが、それは30フランでよく売れる。

お前に教えたのはそんなものを作る為ではない。

と弟子を張り飛ばすが、そこにゴーギャンのエキゾチズムという

客に媚びる商品に対する嫌悪が露わにされている。

 

このように考える時、

ゴーギャンがタヒチに求めたのは決して楽園ではなかった。

と断言できる。

 

Gauguin-Voyage de Tahiti

と原題にも楽園の文字はない。

 

 

冒頭述べたようにこの映画はゴーギャンのタヒチ第一次滞在を描いたもの。

そこで少しその前後を補足してみようと思う。

 

ゴーギャンは印象派の絵

冬の風景1879年

から浮世絵の影響を受けて奥行きの無い平坦な画面と明確な輪郭を持った絵に移行。

黄色いキリスト1889

作風が変り、絵画の題材もパリの風景では得られない、未だ名付けられない何かを求め、そこから原始の人間的自然、あるいは「生命力」に魅せられて行き、それが冒頭の「パリには、、」の言に繋がってタヒチ行きを決行することになった。

 

テフラを演じたツイー・アダムスを現地で”発見”した、とパンフにあるが混血が進んだタヒチで、モンゴロイドのポリネシア人らしい女性をよくぞ「発見」出来たと思う。

(実際のテフラはクック島の出身。当時パピーテにはポリネシア諸島からいろいろな人が集まっていた。ポリネシア諸島の現地人はニューギニアから渡ってきたモンゴロイドであるから蒙古斑が出る)

ゴーギャンが病と金欠で本国に送還される時、見送る人垣の中にテフラの姿は見えなかった。

帰国後、ゴーギャンも一時はパリで絵が売れるものの孤立し1895年逃げるように再度タヒチに向かった。その際にテフラと再び会うことも、会おうとすることも無かったらしい。

この時も現地で別の少女と同居し子供も設けた

この絵は1897年の作で死(1903)の6年前。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

明らかに作風が変り、セザンヌ(1839-1906)の晩年の作風に共通のものを感じるがどうであろうか。

この傑作は、20世紀のキュビスムなどの先駆けとされることもある。左側に両手を開いた立像があり、「超越者」と解釈されている。

 

余談だが1978年4月パピーテからボラボラ島に飛び1週間ほど滞在した。日中ハンモックで揺られながら本を読んだり昼寝をしたり、ある時はジープ・サファリを借りて独りで島内を、路上のカニと追いかけっこしながら巡った。確か二度ほど借りたと思う。

二回目の時ある森の中で何かのイベントをやっている風で車を降りて近寄ってみると若い女性の3人が座っていて、そのうちの一人がこちらを向いて微笑み、立って奥の方に小走りして再度こちらを向いて微笑んだ。

誘われたような気がしたが、ついて行く勇気はなかった。

その時から私のミューズはジーナ・ロロブリジーダからその女性に変わってしまった。

ロロなんて今の人は知らないだろうなぁ。

私のロマンも通じない。

今はもう遠くの昔。

あるいはファンタジーであったのだろうか。

 

追記:映画は6日(火曜日)に鑑賞。既にヒューマントラスト有楽町では午後の部のみとなっており、鑑賞後ビールを飲みながら余韻に浸りたいのでシネマカリテまで出かける。

観客は5人前後。「楽園」にはもう多くの人を惹きつけるオーラは無いと見える。

予告編はトランスジェンダーの愛を描いた「ナチュラルウーマン」に、少年同士の三角関係を描いた「彼の見つめる先に」と最後の一遍もゲイの映画。

もう男と女の愛にはフロンティアー新しい発見、わくわくさせるものーが無いのであろうか、と寡聞ながら考えてしまった。

 

ルドルフ2世の都 プラハ。

 

何といっても強烈な思い出は、共和国広場辺りでデジカメをVestのポケットから盗られ、それまで撮った写真も思い出も持っていかれたこと。

これがプラハ3泊目の夕方で、翌朝は9時34分発ベルリン行の行程。

気が付いた時は情けないやら残念やらの気持ちで一杯であったが、考えてみると旅行保険の携帯品の補償範囲になる、と言う事に思い当たり、翌早朝プラハの警察署に行くが担当窓口は別な場所、と言われて何とかたどり着くがその事務所には夜勤の人しか居らず、連絡を取ってもらってチェコ語で内容がさっぱりわからない証明書を書いてもらってホテルに取って返し、無事乗車出来た。

 

この旅行はそもそも、今から12年前の2006年、ワールドカップサッカードイツ大会の対ブラジル戦のチケットを上の娘が抽選でゲットして、そのついでにミュンヘンやドレスデン、ベルリンと巡るほかプラハまで足を延ばす、と言うものであった。

 

ハプスブルグ家最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ皇妃エリザベートの時代は19世紀末。帝国は黄昏だが文化的中心都市はウイーン、ブダペスト、プラハと別れそれぞれの都市が、例えばウイーンではクリムトエゴン・シーレ等の分離派を、ブダペストにはバルトークを、プラハにはカフカを生んだ豊穣の時代であった。

 

99年の3週間の旅行でウイーンとブダペストここで皇妃エリザベートはシシーの愛称で熱狂的な人気があったらしい)は訪問したので、残るプラハを行程に加えた次第。(文末にスケジュール添付

 

当時の関心は建築物やカフカや反共産主義体制の指導者ヴァーツラフ・ハベル後に民主化後最初のチェコ共和国大統領)にあった。

建築物ではユニークな「ダンスをするビル

今はホテルになっているらしいが、当時ビルの管理人の方に用途を聞いたら「オフィス」であった。クラシックな建物にくっついているところがとりわけ面白い。

アールヌーボでは市民会館が有名だが、ガイド付きの内覧ツアーに参加した。

内部にあるスメタナ・ホール

ホテルが近くで昼飯を食べたりお茶を飲んだりしたその中のカフェ

プラハ城の一角にある「黄金小路」にあったカフカの仕事場

ブルーに見える建物がそれだが、部屋は小さくて質素であった。

ユダヤ人街にある現存するヨーロッパ最古のシナゴーグ

入り口でキッパと言うらしいが小さな黒い帽子を借りて内部を見学。

案内の老婆にユダヤ教とキリスト教の違いについての見解を聞く。

「同じ」との答え。イエスキリストは予言者の一人、と言う事。

 

劇作家、詩人のヴァーツラフ・ハヴェル(1936-2011)は獄中からビロード革命を指導し、1989年の革命後最後のチェコスロバキア大統領、

連邦解体後の1993年初代チェコ共和国大統領で2003年任期満了で退任。

「あり余る自由を前に今何をなすべきか、正直定かではありません。韻文の世界が終わり、散文の世界が始まるのです。祝祭が終わり、日常が始まるのです。」

1990年こう述べた深い思索の人ハヴェルのチェコが、獲得した自由を、

ヨーロッパ共同体の移民政策などの反感から自ら拘束しようとしているかのような最近のポピュリズムの流れは残念な思いがする。

 

クリントン米大統領がチェコを1994年訪問した際、ハヴェルが案内した
ビヤホール U Fleku 【ウ フレクー】

 

ダンスをするビルを見た後、ビールとカツレツの様なものをいただいた記憶がある。
チェコはビールの国。地ビールが盛んでそのそれぞれの味を楽しむ。
ドイツチェコ旅行の行程
娘とは20日ミュンヘンで合流。22日観戦後娘はケルン泊で翌日アムスから帰国。我々は洗面トイレ付のコンパートメント、車両後部にシャワー付きの寝台車でドレスデンへ。尚プラハのホテルは現在 Hotel Century Old Town Plague-MGallery by Sofitel と同系列だが名前が変っている。
またベルリンも Hotel Berlin と名称変更したようだ。
6月19日  成田(12:05)LH 715 Munich(17:30)   Munich
6月22日  Munich Hbf (9:26) ICE  Koeln (14:04)
              Koeln (17:12)  ICE   Dortmund (18:20)
              Dortmunt (23:59) Nacht Zug                Nacht Zug
6月23日   Dresden  (7:53)                                 Dresden
6月24日  Dresden  (9:55) EC   Praha  (12:27)           Praha
6月27日   Praha  (9:34)  EC  Berlin Ost bf (14:18)      Berlin
6月30日  Berlin  (17:50) LH 193  Frankfurt (18:55)
           Frankfurt (20:45)  LH 9790 (ANA)
7月1日  成田 (14:50)

 
宿泊先
 Munich    Hotel Koeningswache  Steinheilstrasse 7  
  Dresden   Am Terrassenufer Terrassenufer12
 Praha    Mercure Centre  Na Porici7
  Berlin      Clarion Berlin  Luetzowplatz17 
 

神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世1552-1612)は信長1534-1582)や

家康1543-1616)と同時代人だが、天下人を目指した彼らと違い、

24歳の時、内憂外患のローマ皇帝を父親のマクシミリアン2世から継承した。

神聖ローマ帝国の版図は今でいうドイツ、オーストリア、チェコとハンガリーの一部を含むが、理念的にはローマ教皇の守護者、つまりキリスト教国の世俗の帝王であった。

 

キリスト教国の帝王、と言っても西のフランスにライバルでもあり、名君の誉れ高きアンリ4世1553-1610)が、スペインには同国黄金時代を築いた大叔父のフェリペ2世1527-1610)、海峡を挟んで英国にはプロテスタントのエリザベス1世が、そして遠い東にはロシア正教徒でタタール人の血を引くイワン雷帝1530-1584)の治世であった。

しかし時は封建時代。

自前の領地や宮廷、それに軍隊を持つものの、帝国領内にはローマ皇帝の選挙権を持つ選帝侯、貴族(公爵、侯爵、伯爵)の領地、教会領などがあり、それぞれが自領の拡大や裁量権、特権を争っており、半ば独立国の様相を呈し、神聖ローマ帝国皇帝はそれらに乗っかるシャッポ(帽子)の様な物でもあった。

 

参考:アルチンボルド展のブログより

盛期ルネッサンスに在った1492年コロンブスは西インド諸島に出発し、1497年バスコ・ダガマは喜望峰を回ってインドに到達した。地中海交易から疎外されたポルトガルとスペインが先鞭をつけ、ハプスブルグ家フェリペのスペインがアフリカや東洋の異国の産物をヨーロッパに流入させた。

アルチンボルドが仕えたプラハのハプスブルグ家には世界の異物を集めた博物館があったという。

彼の絵の中の草花、動植物にはそれらが描き込まれ、それを見つける謎解きの面白さも見る側にあったのかもしれない。

一方足元では宗教改革の嵐が吹き荒れ、ロヨラのイエズス会のカトリック対抗改革も公認されてヨーロッパが分断され、帝国の統一と安定を脅かす事態があった。

 1665年ニュートンの万有引力の発見まで50~100年あるが、ポーランドのカトリック司祭コペルニクス(1473-1543)の地動説、「それでも地球は回っている」と異端審問に掛けられたガリレオ・ガリレイ(1564-1642)等によって天文学としての占星術、化学としての錬金術から出発した科学がキリスト教的自然観宇宙観を揺るがし始めた時代でもあった。

自然の秘密を知るものは、自然を支配するものである、という秘教的、魔術的世界観はルドルフ二世を魅了し、アルチンボルドの絵画の中に「不統一の統一」を見て取ったホッケは、その統一を求める心性が揺れ動くルドルフ二世の神聖ローマ帝国の希求と重なった、と見ている。

自分の座る皇帝の座が、理念ー全キリスト教国の王、と現実ー不安定な帝国、の狭間で揺れるとき、儀式は帝国の威信を示すために一層、象徴ルネッサンスから受け継いだ人文主義と神秘主義の象徴に加え、ハプスブルグ家やボヘミア王の象徴などに満ちたものになる。

 

アルチンボルドが描くルドルフ二世像は、ローマ神話の四季の移り変わりを司る神ウェルトゥムヌスに擬して描かれている。

四季とは花と果実、豊穣であり、それはギリシャ哲学の風・土・水・火の四大元素からなり、錬金術の構成要素でもあった。

 

一方、彼の収集した「驚異の部屋」に至る情熱の源泉は何か。

神は人間と自然を創造した。

大航海時代で世界は拡張するとともに異界の文物も流入した。

それらもまた神の創造物であってみれば、好奇心に満ちた者には確かめずには居られないだろう。

 

帝国宮廷の威信は、現在の中国やロシア、あるいは北朝鮮では軍事パレードで示そうとされるが、当時はお祭りであり葬儀や戴冠式であった。

ハプスブルグ家の宝冠ー今回の展示にはない。

そしてもう一つの威信は、最先端の知識人や芸術家を抱える事により示される。知識人としてはヨハネスケプラーがそうだ。

宮廷画家としてはアルチンボルドの他、サーフェリーやハンス・フォン・アーヘンなどの絵画が展示されている。

 

サーフェリーの風景画は新プラトン主義の象徴体系が織り込まれている、と言われるが、その背景にある景色は、ルドルフが好んだチロルの風景が書き込まれている。ルドルフはサーフェリーをチロルに派遣したらしい。

 

アーヘンの絵はマニエリスム的特徴を持つエロチックな絵画である。

婚姻の関係で繁栄を築いてきたハプスブルグ家にとっては、他の王家との婚姻が死活的重大事だが、相手について廷臣の意見はなかなか纏まらなかったらしく結婚は出来ないままであったが、愛人が居て子供も何人か設けたらしい。

その彼はエロチックな絵を好んだが、最も有名なのはアルチンボルドと並ぶルドルフお気に入りの宮廷画家スプランヘルである。

しかしエロチックな絵画を好んだのはルドルフに限った事ではない。

ルネッサンスのギリシャ文化復興はギリシャ文化自体の異教性、エキゾチズムが紛れ込んだ性格のものでもあって、インドやペルシャなどの東方のエロチックアートの混入がルネッサンス絵画に新鮮な息吹をもたらした。

そうした観点からすると取り立てて言うほどのことはないだろう。

ボッチチェルリティツイアーノも クラナハだって十分に官能的だ。

エロチックアートは洋の東西を問わず普遍的だ。

我が日本の誇る春画を見よ。春画は浮世絵の鬼っ子ではないのだ。

 

展覧会のパンフレットに

ヨーロッパ史上最強のオタク 

という表現があったが、彼は「オタク」と形容される存在ではない。

冒頭、神聖ローマ帝国の「内憂外患」と述べたが、外患はオスマントルコのハンガリーへの侵入であり、ライバルフランスの動向であった。

一方内憂とはカトリックとプロテスタントの、あるいはルターとカルヴァンとの宗教戦争がキリスト教国全体を覆い、全キリスト教国の王としてのルドルフを悩ませた。

また統治機構もハプスブルグ家の廷臣と、帝国内の有力貴族の官僚との二重構造で複雑で、意思決定は必ず何らかのハレーションを起こさずには出来なかったし、「何もしない」事のハプスブルグ家の過去の成功体験もあったりして後世の歴史家の評価はさんざんである。

それに加えハプスブルグ家の血筋の中にメランコリーの気質があるらしい。まさに「内憂」である。

歴史と言うのは、例えば宗教戦争を解決するには、それなりの気運が必要だ。気運とは例えば「えん戦気分」であり、戦いの犠牲と疲弊がそれをもたらす。

ルドルフは歴史の、いわば「踊り場」に居たのであり、彼の行動を「奇人、変人」とするのは公正な評価とは思えない

と言う事を強調しておきたい。

参考:

 

 

 

 

追記:このブログは主に以下の資料を参考にした。

「魔術の帝国 ルドルフ二世とその世界」平凡社

「ルネッサンスの神秘思想」講談社学術文庫

「図説ハプスブルグ帝国」河出書房新社

など。

 

 

 

 

男の浮気の蜜は、一盗 二卑、と言われる古い時代があった。

盗は他人の女を、卑は使用人といたす事である。

と先のブログに書いた。

 

盗は他人の妻を、扶養の責任を持たずに密かに性的関係だけを持つゆえに「盗」と言う。甘い蜜には代償が伴う。露見したら不倫当事者双方の離婚が最も明快な選択肢。もし女性が「私は夫の所有物ではない」と言うなら自立した人間として自ら離婚を選択すべきであろう。

しかし、実際には子供の問題を考えて即離婚とはいかないケースもあるだろう。

男性が仕事を持ちながら子育てする環境に乏しく、一方シングルマザーの子育ては経済的にも苦しく、子供に十分な教育を受けさせることが出来ない可能性が多いから、現状を継続するという選択肢を已む無く取らざるを得ないのはよく理解できる事だ。

加えて不倫された妻の方は夫が子供の養育責任を果たすか否かの不安もあるだろう。

これらは社会保障の問題とも関連する。

 

「二卑」は今でいう「セクハラ」である。

相手の異性に対する何らかの権力、経済的社会的影響力を使って関係を強要することは「対価型セクハラ」と分類される。

今米国で#MeTooが大きな話題になっている。

 ハリウッドの大物プロデューサー、ハーベイ・ワインスタイン氏のセクハラ疑惑報道をきっかけに、セクハラ被害に声を上げる人たちの輪が世界中に広がっている。ツイッターなどでは「Me too(私も)」が合言葉になっている。

 きっかけは米国の俳優アリッサ・ミラノさんが15日に書き込んだツイッターの投稿だった。「セクハラを受けたことのある女性たちが『Me too』と書けば、この問題の大きさをわかってもらえるのではないか」

 これがツイッターなどで一気に広がった。ソーシャルメディアの分析会社「トークウォーカー」によると、ミラノさんの呼びかけに応じた「Me too」ツイートは、17日までに約140万回に達した。

「みな仕事を失うことを恐れて声が上げられないでいる」「いままで忘れようとしてきた」という女性の訴えのほか、「女性だけ(が被害者)ではない」といった男性の反応もある。

 ワインスタイン氏からセクハラを受けたという俳優の告発は、グウィネス・パルトローさんやアンジェリーナ・ジョリーさんの他に、ケイト・ベッキンセールさん、アシュレイ・ジャッドさん、ヘザー・グラハムさん、ミラ・ソルビーノさんら続々と続いている。バニティー・フェア誌によると、これまでに47人の俳優らが実名で同氏からのセクハラ被害を訴えているという。

(朝日デジタルよりコピペ)

日本でも女性が声を上げ始めた。

日本でも広がる「#metoo」 しかし、勘違いしないでほしい

どれも酷いケースだが、電通の「鬼十則」など、モーレツ社員の気風があるところ、あるいは成果主義の会社ほど、実績を上げている社員が増長するから、周りのコントロールが効かなくなる危険性がある。

 

伊藤詩織さんのケースはセクハラどころではない。

これはレイプであり、それを安倍官邸が逮捕を差し止めた事件であるから腐敗した政権を打倒すべき事件である。

報道によると加害者の山口敬之元TBSワシントン支局長は、実の姉が安倍首相夫人と同窓で、山口本人も安倍首相の「ヨイショ」本を出している。

逮捕される危険を察知した山口は、官邸の警察官僚に泣きついて事件をもみ消してしまった、と言われている。

法の下の平等」「法の支配」がないがしろにされている。

米国やフランス、ドイツの大手メディアがこぞって取り上げるのも当然だ。

安倍首相は汚職が蔓延し、法の支配が蔑ろにされる後進国や、今回のバルト三国のような、日本に大使館がないような、つまり日本国内の政情に疎い国を選んで遊んで歩いている。

表向きは北朝鮮に対する制裁強化を呼びかける、と言う事だそうだ。

フランス、ドイツ、イギリスなど欧州の中核国は、そんな国の指導者とにこやかにポーズをとる写真を残したくないだろう。

そうした事がなぜ日本の大手メディアに取り上げられていないのか。

日本の大手メディアに対する不信感がますます募ってきている。

 

最近フランスの女優カトリーヌ・ドヌーブさんが行き過ぎた#MeTooを戒めた。彼女はレイプを完全に否定した上で、女性に言い寄る事までセクハラとして「清教徒」的に告発するのは行き過ぎた「魔女狩り」だ、というものだ。そして#MeTooに加わらないものを「裏切り者」とすることにも反対だ。

米国とフランスの男女の「関係」の違いばかりではなく、どのような相手にも「No」と言える主体が尊重され、男にちょっと褒められた位ではなびかない自我の確立された女性が「大人の女」としてもてる国であって初めて言える事だろう。

随分とフランス贔屓、と揶揄されそうだが、高校の授業が「成人教育」として明確に意識され、レベルの高い哲学書が教科書になり、文学の授業で「ボヴァリー夫人」を読解のテキストにする国は贔屓したくなる。

 

 

参考 Wikipedia より

対価型セクハラ

職場や学校などにおける立場・同調圧力・階級の上下関係と自身の権限を利用し、下位にある者に対する性的な言動や行為を行う(強要する)こと。

  • 酒席で、異性に酌を強要すること。
  • 学校で、教師としての立場を利用して、教師が学生(または学生側の者)に、猥褻行為・性行為・愛人契約の強要すること。
  • 就職活動で、利害関係を利用して、求人側の担当者(または求人側の関係者)が求職者(または求職者の関係者)に、性行為や猥褻行為の強要すること。
  • 職場で、職務上の立場を利用して、上司(または上司側の関係者)が部下(または部下側の者)に、猥褻行為・性行為愛人契約を強要すること。[10]
  • 商取引で、利害関係を利用して、買い手側の関係者が売り手側の関係者に、猥褻行為・性行為・愛人契約を強要すること。

環境型セクハラ

性的な嫌がらせ

  • 女性従業員による、女子トイレや休憩室、男性従業員の前などにおける本人及び他人を含めた男性の容姿や恋人関係などに関する噂話。
  • 男性従業員による、男子トイレや休憩室、女性従業員の前などにおける本人及び他人を含めた女性の容姿や恋人関係などに関する噂話。
  • 職場や学校、商業施設などで、ヌードカレンダー、水着ポスター、ポルノ雑誌、お色気漫画など、人によっては不快感を起こすものの掲示や陳列、性的な冗談、容姿、身体などについての会話。
    • 男女問わず、恋愛経験や貞操ついて執拗に尋ねる。
    • バストや性器のサイズなどについて聞く。
    • 性的な表現を含む番組を地上波放送する。
    • 性的な表現を含む物品の区分陳列を怠る。
    • 性的な表現を含む物品を子供に見せたり、提供したりする。
    • 男女問わず、猥談への参加を強要したり、勧めたりする。
  • その他性的なネタへの強制参加
    • 男性をソープランドなどの風俗店にむりやり誘う[11]
    • 慰安旅行での旅館・ホテルなどでの女性への浴衣などの着用の強要。酌の強要。
    • 性的魅力をアピールするような服装やふるまいを要求する。
    • 女性上司から男性部下への誘い[9]
    • 男性への裸踊りの強要[12]
  • 結婚ネタ
    • 女性に対して結婚出産のことを尋ねる[13]
    • 男性に対して結婚のことを尋ねる。
  • いわゆる「(性別)のくせに・・・」と言うフレーズ
    • 男性に対して「男のくせに根性がない」という[11]
  • 職場における男性・女性ランキングを作って公開する。

「男性から男性」「女性から男性」へのセクハラ(および性犯罪一般)は、いまの日本では殆ど問題にされておらず、被害者男性が「男らしくない」「男のくせにそれぐらいで」などと二次被害に遭う事例も多い。

例えば部下から上司の異性に性的誘いをした場合はどうなるか。

疑似恋愛セクハラと腹いせセクハラの訴え

なお、「疑似恋愛セクハラ」と「腹いせセクハラ訴え」の区別は難しい。前者は部下の好意があると誤解した上司が起こすセクハラ、後者は、上司から叱られたり振られたり上司が他の部下とも仲よくしていることを知って不愉快になってから、腹いせとして親しかった当時の合意の上でのことを一方的なセクハラであるとでっちあげる訴え[14]

疑似恋愛型セクハラについては、相手(上司)に好意があると誤解したことにつき過失がない場合(部下がちやほやする積極的発言を行い上司を誤解させた場合)はセクハラは成立しない。腹いせセクハラでっち上げは名誉棄損になる可能性があるばかりか、部下から上司を誘っておいて後に嫌だったと罠にはめる「ハニートラップ」の可能性もある。疑似恋愛型セクハラでは、うまくいっていると上司が思い込んで部下にアプローチをしている当初から部下の不平不満が聞かれる。腹いせセクハラでは、仲の良い当時においては、部下からの積極的な言動(アプローチ)があるのみで不満は聞かれず、不仲になった後に「実は初めから嫌だった、断れなかった」と訴え(讒訴)が出される。腹いせの場合は、あら捜しのように軽微なことを針小棒大に訴える傾向があり、判例でもさして悪意のない言動をセクハラだと訴えた場合、部下から好意をほのめかしておいて後になってから合意がなかった・セクハラだと訴えた場合にセクハラの成立が否定されている[15]。。セクハラは被害者の主観が重要だと人事院が述べてはいるが、判例では客観性が重要だとされ、一般通常人の判断が基準とされている。最低でもセクハラ認定に際し、当事者双方が親しい間柄にあったかどうかの「経緯」を調べる必要がある。厚生労働省の事業所に対する指針措置では、被害者加害者の主張が異なった場合には、第三者への聞き取り調査などさらなる事実確認が必要である。経緯を調べずに処罰をした場合、会社と訴えた部下の側が、逆に提訴されることもある。[16]

その他恋愛破綻型セクハラと言うのがあり、真実の恋愛関係が破たんしたのちの上司による交際継続申し出のことをセクハラだと言われるケースである。

原題は「ある人生」(Une Vie)

言わずと知れたモーパッサン(1850-1893)の自然主義小説(1883年)の映画化。

横顔とうなじがとりわけ綺麗な女優ジュディット・シュムラがフランス北部ノルマンディの海べりの美しく、時には厳しい自然を背景に、妻としては夫の度重なる不倫に悩まされ、別居して実家に帰り、シングルマザーとして男の子を育てるが、その子の浪費の後始末に追われて家屋敷を売り払い、最後に残ったのは幼き頃からの乳姉妹と孫である乳児、という惨憺たる人生を演じる。

この19世紀末の貴族制度も崩壊して、男女同権が普通の事とされるこの21世紀に再度の映画化をする「商業的目論見」はあるのだろうか。

という疑問が湧くのであるが、これに対し

恋愛、結婚、出産、子育て。親を看取ること------.

置かれる立場や状況は違えど”女の本質”は、そうは変わらない。こと世間知らずなお嬢様ジャンヌは諸所のつまずきを真っ正直にかぶってしまう。だから濃いドラマが生まれる。

一方ジャンヌの夫ジュリアンを始め他の登場人物も、この現代でたやすく見いだせるほど、滑稽なくらいにリアルで人間臭い。

また、現代社会をもにぎわせる”不倫”についても、どれほど多くの人が”道ならぬ恋”に陥るか、、、

と、この映画で語られる女の人生の「普遍性」を強調する。

カトリックの神父の介入はあるが、その内容も欺瞞的だから介入が無い現代でも、それを「世間」と安易に言い換えてもそうは違った結論にならないだろう。

しかし、俗な言い方をお許し願うが、「女性が強くなった」この時代、女性が今なお担う役割の共通性ーそれを本質、と言い切ってしまう事には疑問を感じるがーから、感情移入をし易いテーマであるから、一方ではなお一層「歯がゆさ」をこの主人公に感じるのではないか。

そのようになれば、それはそれで「商業的成功」に繋がるのであろう。

 

最後に、ジャンヌの人生に対する慰めが用意されている。

それはUne Vie 一つの小さな命であった。

 

男の浮気の蜜は、一盗 二卑、と言われる古い時代があった。

盗は他人の女を、卑は使用人といたす事である。

ジュリアンは正にそれを地で行っているのであるが、その相手方の女性も「不倫」と「裏切り」でジャンヌに対する加害者共犯である。

彼女たちの心情は語られていないし、それが主題ではないが,現代の「三角関係」ならば当然言及されているだろう。

 

正直に言ってこの映画、19世紀パリの画家や詩人や小説家に対する関心の一部で観た為か、少し斜めから見ているきらいはあるかもしれない事をお断りしておく。

当日は、取り置きをお願いしてあった古書「狂気の歴史」を受け取る傍ら古書街をすこし見て回ったが、意外と収穫があった。

ピアズレーの挿絵のある「サロメ

水野和夫氏の「資本主義の終焉と歴史の危機

海野弘著「ハプスブルグ美の帝国

林秀彦著「みだらの構造

等である。

この映画の前売り券を買ったとき、古書探しに来るときついでに見よう、と考えて買ったのがうまくはまった気がする。

 

 

 

 

 

 

 

今朝、いつもの3Wに出て、ウオーキングの後、小公園でウオームアップ、楊氏太極拳五行拳の練習。

練習は6時20分前後になるのだが、いつもこの時間に出勤する人が6時過ぎに。仕事始めで早めに出勤されるのであろう。

まだ暗く月明かりも星も散見される時間。心の中でご苦労様と声をかける。

 

今年の元旦は初詣、初日の出、初稽古で開けたが朝酒、昼酒、夜酒と一日中飲んでると体がすっきりしない。

そこで2日目から午前中にジムに行くことにする。

二日は同じ市内の次女夫婦が来てすき焼きをふるまい、

三日の昨日は長女夫婦が来て寿司をふるまう。

酒は二日は上の娘婿がお土産にくれた麦焼酎「尾鈴山 山猿」。

昨日は上の娘婿に獺祭をふるまい、少し残して車の運転で飲めない娘に持たせてやる。「だっさい」とすぐ読んでこの銘柄を知っているようだから酒の付き合いもあるのだろう。

 

実は今日4日もジムに行き少し体を動かして温泉に浸かってきた。

今年から始めたのは、10年日記を書くこと。

10年日記だと記入欄も少なく、天気など煩わしいスペースもないので長続きしそうな気がする。

始めたばかりで言うのはちと気が早いが。

 

同時に、昨年の記録を整理する。

3W310日。2016年より33日少ない。これは16年は連れ合いが蕁麻疹が出て過労気味と言う事で旅行は断念したが、昨年は連れ合いとアンコールワットへ、エルミタージュのツアーには単独で参加、に加えて釜山・ソウル6泊のひとり旅をしたこと。

10月は雨が多く11日も休んだことが例年より少なかった理由。

 

他に運動ではジム141日。16年より11日少ない。旅行中では移動日はジムを利用しづらい所為だと思う。

ジムにも外出もしない日は自宅で「易筋経」や「練功十八法」という気功の動功をやるが、これが82日。

 

ついでにヴィ・パッサーナという瞑想法は327日。通常は35分の瞑想だが20分でも時間を見つけてスイッチを切り替える貴重な時間をとっている。

休肝日45日。

以前は週二日設けていたが、ある医者に「まあ気休めみたいなもの」と言われてモチベーションが下がり、休肝日が減っても健康診断の数値は変わらないので、「気休め」程度にやっている。

 

早朝1時半に神社に到着。

それでもまだ参詣客が列をなして15分ほど待って参拝。

二人の娘夫婦共々の健康と平和を願う。

お札はこの神社の神璽と御守護、それに交通安全のお守りなど。

天照皇大神の札は神社本庁ー日本会議の極右団体の資金源になるので最近は買っていない。

神棚の中央にこの札を祭るのは明治の国家神道以来のもの。

皇紀も同じだし、二拝二拍手一礼も同じだから、「伝統」として重んじる必要はないのだ。自己流でちっとも構わない。

 

二時過ぎに自宅に帰って再度床に就いたのち7時少し前に起きて、いつもの3W.つまりウオーキング・ウオームアップ・武術(Wu Shu)に出る。

7時過ぎに初日の出を拝し、ウオームアップで背を弓なりにして空を見上げると抜けるような、雲一つない蒼空。

日を身体いっぱいに吸い込むと芯から温まった気がする。

 

帰宅して風呂に入り沐浴。

普段は朝のシャワーにジムの温泉入浴で、自宅の湯船に浸かるのは一年ぶり。

一週間ほど前に清掃をしたので気持ちよく身体を浸す。

お札を神棚にセットし、お供えー普段自分が食しているものーを上げて神酒を頂く。神人同食。

近くのコンビニで買ってきた毎日と東京新聞をざっと眺めて朝食。

穏やかで良い日和。

例年と変わりないが、その変わりの無さに感謝しつつ御酒をいただく。

 

何度見ても、その図象の意味がよくわからないボスの「快楽の園」。

その解を探して、手元には「ボス 光と闇の中世 」W.S・ギブソン美術公論社

や、TASCHENのBOSCHあるいは今年9月刊行の「快楽の園」を読む 中央公論社 神原正明著 があるのだけれど、読解は一向に捗らない。

ボスだけではない。

来年一月から始まる「ルドルフ2世の驚異の世界」展のためにも、当時の先端科学であった占星術や錬金術の知識も必要、と言う事で揃えていくとウイングが広すぎて飛ぶことが出来なくなりそうだ。

いや、正直に言うと、もう既に失速気味である。

と言う事で暗闇に光を求めて渋谷に出かける。

この三面画(トリプテーク)、扉絵は創世記、天地創造の三日目の陸と海を分ける様子、と言われるが、それを観音開きに開けると、左側にはアダムとイヴの間にキリストが描かれている。

 

しかしアダムとイヴは楽園追放前であろうか、追放後であろうか。

かじられたリンゴらしきものが転がっている。

右側の扉は地獄の絵であろう。

最上段には火柱が立っている。これはまあ理解できるとしてわれわれの想像にある地獄絵とは随分と違っている。

仏教の地獄は、生前の罪を裁く閻魔様の評定で地獄に落ちたものは火責め、水攻め、串刺し等にさらされるが、ボスの地獄は一見して漫画チックであまり怖さを感じない。

そして真ん中の、裸の男女がいろんな性的快楽に耽っている絵。

無邪気な様子で、そこに邪悪さや淫靡さは殆ど感じられない。

一体ボスはこの快楽を否定的に描いたのだろうか、という疑問がわく。

映画は美術史家のボスとその時代背景(中世)を専門とするファルケンブルグの見解を中心に据え、同じ美術史家や作家(なんとサルマン・ラシュディ氏は健在であった)、哲学者、漫画家、作曲家、指揮者、歌手、画家、写真家など多士済々の人たちが感想を述べる。

 

この絵は今その前に立っている私たちの幻影なのだと気づけば、

その内側を見るや否や私たちは夢を見始める」(ファルケンブルグ)

というわけだ。

 

さすれば、ダリやミロの先駆的存在。

シュールレアリズム宣言ではないか。

 

残された絵画は24点ほど。

生まれた年は1450年とされるが推定の域を出ない。

この絵が誰の依頼で、いつ、何を描こうとしたのかも不明だ。

一説では、この絵の依頼者はオレンジ・ナッソウのアンリ三世。これを欲しがったスペインのアルバ公がオレンジ公より戦闘の結果没収。後の1593年フェリペ二世が競売で買い取った(神原)。

ボスの没年は1516年。

恐らくは教会の祭壇画ではなく、貴族の館に所蔵され、例えばパーティーの時などに公開されたのだろう。

そしてこの絵画のイコノグラフィー(図像)をめぐって見る人の間に喧々諤々の議論が巻き起こったに違いなく、それが絵を見せる側の大いなる満足感をもたらしたに違ない。

 

その議論は、神原が指摘する

1、最後の審判ー1500年の節目の終末思想との関連。

2、占星術や錬金術ー1504年はホロスコープ上重要な年であった。

3、旧約創世記や詩編や神秘主義ーボスは大変な知識人でもあったらしい

4、言葉遊びー中世オランダの言葉遊びからくる

などがあるから、話のタネは尽きることがないし、現代の我々がそれを完全に理解することは不可能だ。

(ファルケンブルグはボスがブリュッセル旅行で装飾写本を豊富に見てそこから多くの暗示を得て描いたとするが神原は定説としていない)

よってファルケンブルグの言うように、見る我々の内的自己を投影せざるを得ないし、それがまたこの絵が我々を捉えて離さない所以でもある。

 

更に、映画では触れられていないが、この絵の解釈について研究者の誰もが言及するフレンガーの異説がある。

 

当時、多くの人が宗教団体(結社)に加入する習わしであったが、ボスは敬虔なカトリックの団体である「聖母マリア兄弟会」に所属、そこでの記録もいくつか残されているのであるが、フレンガーは異端の秘密結社「自由心霊派」(アダム派もその一部か?)に属していた、とする。

自由心霊派は「堕落するアダムと同じ無垢な状態に帰りたい、という望みから宗教儀礼の一つとして性的乱行を行った人々」であるらしい。そして中央の画は「放逸な肉欲を非難するものではなく、会の秘儀の実践を描いたものだ」とする(ギブソン)

 

余談だが澁澤龍彦もまたこの説を採用し、「この裸体の男女たちを決して否定したり、風刺したりしているのではなく、明らかに共感をこめて描き出しているのである。この15世紀のアダム派のヌーディズム運動が、何となく現代のアメリカのヒッピーたちの、フリーセックスやロックフェスティヴァルを思わせる」(幻想の肖像)としている。

 

そういえばこの映画で1969年のウッドストックの映像をバックに、

Lana Del Rey「Gods and Monsters」が流れる。

 

 

「快楽は甘美であればある程、地獄で業火に焼かれるであろう」

という解釈が妥当なところだろうが、フレンガーの解釈もまた捨てがたい。

そしてこの論争は今もホットだ。

今日2017年の12月31日、折しもボス研究家のファンデンブルック(Vandenbrock)のUtopia's Doom が刊行される。

また新たな議論が巻き起こるのだろう。

そしてボスのこの絵の謎は、その題名を含めてますます深まっていく。

なんと影響の射程が長く、その衝撃波の広いことか、、、

 

もうひたすらに感嘆するしかない。

 

参考:

 

 

 

この映画のもう一つの魅力は音楽。

 

伊藤なつみ:「ラナ・デル・レイの歌で最高潮に達する」

ニューヨークの名門フォーダムで哲学を専攻したラナ。

グザビエ・ドランの映画「マミー」で使われた「Born to Die」も素晴らしい曲。