都市の深層は
人間のあらゆる欲望
(食欲・性欲・愛欲・権力欲・知識欲・承認欲・自己実現欲etc)の
代謝(消化・吸収・排泄・再生・創生)装置であることだ。
人間の欲望をリアルに見つめ、タブーの侵犯を辞さなかった芸術家会田誠が、都市に対してどんなアプローチをするのか、
と言う期待で鑑賞。
その期待は簡単に裏切られたが、それは私の期待が的外れだった事によるのだろうか。
新宿御苑の改造案を出したことがきっかけで会田に大林財団からのプレゼン要請があったらしい。
その案も会場で拝見したが、会田らしいエッジの利いたものではなく、
目を見張らせるようなものは感じられなかった。
雑駁な言い方をすれば、現代の東京は江戸開幕に当たって江戸城を中心に旗本、譜代、外様の各大名の武家屋敷や岡場所などのゾーニングを下敷きにして、交通機関の変遷、その一部は水上輸送の堀からそれを埋め立てた自動車道路への変遷と言ってもよいが、それと、人口や首都機能の拡大に伴う海上の埋め立てや西部への拡大が、それらに適応の過程として生まれたものであった。
象徴天皇制の今日、天皇は必ずしも首都東京に住まわれる必然的理由はなく、東京奠都以前の、1000年以上住まわれた京都にお帰りになり、その跡地をどのように活用するのか、が最もインパクトのある東京改造論になるだろう。
その意味でいえば、会田の主張する札幌首都移転案も一つのアイデアだが、私なら国会を那覇に移転する案を提案する。
戦後レジームの、日米安保や日米地位協定の問題点が集約されている沖縄にこそ国会を移転して、安倍首相言うところの「戦後レジームの脱却」を文字通り果たしてもらいたい。
鉄とガラスとコンクリートで都市を無味乾燥にした、その一翼を担った大林組が、その過程で失った、言わばヴィヴィッドな人間の生の営みを回復しようとして設けた制度、と最大限好意的に解釈するが、自民党一党支配の政治構造ー何しろ大林を含む大手五社を中心とする市町村の土建屋までのピラミッド構造(下請け孫請けダミー受け)は同時に自民党の選挙運動と集票の装置であったことから、政権批判的な、と言うことはかなりの現状批判が余儀なくされるが、そこの批判を避けては、本当にヴィヴィッドなプレゼンが出来ない、と言うことは自明であろう。
念のために言うが大林のこの企図を批判しているのではない。
泥の中にも蓮の花を咲かせよう、という試みは尊いものだ。
美術家の会田誠は2012年の六本木ヒルズ展覧会以来注目している。
「天才」を自称したり、自分の立ちしょんをしている映像を展示したり、スクール水着の少女を臆面もなく描いたりして好んで乱を起こすところがある。
一方ニューヨークの摩天楼の上を飛ぶゼロ戦の絵、
は いろいろな解釈が可能だが、それ自体とても美しい絵だ。
芸術と侵犯。
魅力的な組み合わせだ。
その彼が大林組の組成した財団の助成を受けて「都市のヴィジョン」というテーマの展覧会である。
設立趣意書と助成事業について以下のように謳われている。
機能中心のオフィスの建設など「経済性」のみを追求する都市づくりではなく、景観の重視や、文化的な施設を取り込んだ生き生きとした人間の生活する場(コミュニティ)を中心とした「都市づくり」が必要と考えられます。
当財団は、今年度から《都市のヴィジョン-Obayashi Foundation Research Program》という助成制度を開始しました。これは、2年に1度、豊かで自由な発想を持ち、さらに都市のあり方に強い興味を持つ国内外のアーティストを5人の推薦選考委員の推薦に基づいて決定し、従来の都市計画とは異なる視点から都市におけるさまざまな問題を研究・考察し、住んでみたい都市、新しい、あるいは、理想の都市のあり方を提案・提言していただくというものです。
都市の欲望は、整然とした区画整理への侵犯への闘いだ。
その侵犯無くして、「生き生きとした人間の生活」の場づくりは出来ない。



























