Gon のあれこれ -26ページ目

Gon のあれこれ

読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

 人生の目的は何なのか

自分の魂を昇華させること。

私にとって映画とは芸術だ、ビジネスである前に。

絵画、小説、詩と同じく、人間の魂を深く追及する。

それが映画だ。

 

というホドロフスキー監督のマニフェストで始まる、

「ホドロフスキーのデューン」

 

魂、とは何だろうか?

 

それは究極のところ人間の生命力、と言い換えていいだろう。

 

インドならそれは「ブラフマン」。  宇宙の根源的原理。

中国ならそれは「気」。  生きとし生けるものの生命力。

フロイトはそれを、「エロス」 生の本能 と名付けた。

 

魂に導かれて我々は 行為の中にその都度新しい意識や情動を経験し、そのプロセスの中で新しい自己を統合しつつ 変成し成長を遂げていく。

 

1929年南米のチリに生まれ、サンチアゴ大学で心理学と哲学を学んでパントマイムにのめりこんでドロップアウト。 パリへ。

1970年「エル・トポ」でブレーク。

ジョン・レノンミック・ジャガーなどに絶賛され、続く73年の「ホーリー・マウンテン」もヒットし、75年勇躍ハリウッドに進出してSF映画「デューン」の製作に取り掛かる。

 

この映画の基本コンセプトや製作のために動員したスタッフや製作のための絵コンテ、配役などのプロジェクトファイルをハリウッドに持ち込むも、配給元が決まらず結局製作中止となった顛末のドキュメンタリーである。

 

スタッフの中には建築物デザインのH・R・ギーガー、宇宙船デザインのクリス・フォス(エイリアン)、音楽ではピンク・フロイドやミックジャガー、出演者ではサルヴァドール・ダリやその愛人アマンダ・リアオーソン・ウェルズ、ミックジャガーなど目の眩むような顔ぶれである。(但しSF映画に疎いのでクリス・フォスは不案内である

ギーガーはダリの紹介で起用した。

 

製作中止の理由は、SFの標準的な一時間半をはるかに超えるという長編が観客に受け入れられるかという不安、豪華なメンバーで製作期間の見通しも、コストも不確実であることやカルト的という評判のホドロスキー監督に対する不安感もその理由に挙げられるだろう。

 

基本コンセプトや絵コンテを盛り込んだプロジェクトファイルを、売り込みのためにハリウッドの各映画会社に持ち込んだために、そのアイデアは以後のSF映画に盗用されることになった。

スターウオーズターミネーターなどがこの映画の中で言及されている。

 

この挫折によってホドロフスキーは屈辱を味わい、しばらく映画製作から遠ざかっていたが、1989年の「サンタサングレー聖なる血」以後、2013年のリアリティのダンス」、2016年の「エンドレス・ポエトリー」などの自伝的作品によって再び評価される。

2013年のこの映画は彼がおそらくは自己の挫折の体験を「再定義」することで乗り越えた痕跡のドキュメンタリーでもあるだろう。

 

砂漠の惑星アキラス、通称「デューン」で香料「メランジ」が見つかる。

意識を拡張する薬物で宇宙でもっとも価値の高い交易品となったためにデューンは戦略的に重要な星となり、ハルコンネンなどに征服されるが、その戦火で生き延びたポールはアキラスの先住民フレーメンの革命を率いて奪還する。

勝利ののち、ポールは頸動脈を切られて死ぬが、死ぬことで救世主になる。

そしてデューンは緑で覆われるようになる。

目覚めた惑星デューンは救世主の惑星だ。

他の惑星を目覚めさせるために宇宙を進みやがて銀河を去る。

 

この結末は原作とは違う。

 

映画を作る時は原作から自由にならなければならない。

結婚と同じだ。

花嫁は純白のドレスを着ている。

純白のドレスのままでは子供は作れない。

こうして脱がさなければダメだ。

花嫁を犯すために。

そうすれば自分の映画を作れる。

(ホドロフスキー)

 

この映画のストーリーは断片的に語られるだけだが、直感的に創世記や

イエスキリスト(ポール)を連想させる。

エル・トポ」は、

創世記

予言者たち

詩編

啓示

と旧約の物語を連想させつつ、ホドロススキー自身の物語を創造した。

その中で、ユダヤの民からすればイエスキリストも予言者の一人に過ぎないことが明確にわかる。

 

選ばれた民ユダヤの旧約。

そういう「血」の意識が彼の中にあるのだろうか。

ホロコースト否定論者を否定した映画 Denial の主人公もユダヤ人女性で子供のころから「選ばれた」意識を持っていた、と語る。

選ばれたものの苦難とそれを乗り越える強烈な使命感。

 

自我と知性を解き放つ映画を作りたい。

84歳になっても創作を続け、体も弱っていない。

一生創造を続ける。

人間の精神は宇宙のように無限に広がり続ける。

志を持たずに生きるなんて無理だ。

挑戦するんだ。

 

こう語るホドロススキーはカルト的な魅力がある。

この映画も「エル・トポ」も「リアリティのダンス」もレンタルで鑑賞。

もう既に彼の魅力に取りつかれつつあるのかもしれない。

その魅力が、異能の人たちが彼に協力する所以だろう。

 

 

参考:ギーガーについては以下のZELDAさんのブログをどうぞ。

『DARK STAR H・R・ギーガーの世界』エイリアンは胎児の悪夢だったのか?

 

 

この映画は、実際にあったイギリスの法廷闘争を記した

History on Trial: My Day in Court with a Holocaust Denier

の映画化である。

原題も Denial 「否定」であって、歴史的事実の「否定か肯定か」ではない。

邦題の「否定と肯定」はホロコーストの否定論を肯定論と両論併記するもので、映画の趣旨を全く外れた知的怠惰の産物である。

厳密にいえば、裁判で争われたのは、ホロコースト否定論者アーヴィングのユダヤ人歴史学者に対する名誉棄損であって、ホロコースト否定論全般が争われたわけではない。

よって、原題の「否定」とは「ホロコースト否定論者」を「否定」と言う事になるだろう。

英国の「被告側が立証責任を負う」という点や

「事務弁護士」と「法廷弁護士」の役割分担はなかなか理解が難しい。

事務弁護士が裁判全体の方針を決め、弁護団の人選を行っているようであり、一方の法廷弁護士もまた法廷での原告に対する反論や批判を自らの責任ー裁量に於いて行っているようである。

米国の裁判モノ映画だと、弁護士の弁論の巧みさを含めた法廷技術や感情を揺さぶる証人などが、「陪審員制度」ゆえに重要なファクターになるのだが、この裁判では原告アーヴィングの了承を得て「裁判官裁判」に持ち込み、被告のホロコースト学者リップシュタットやアウシュヴィッツに収容され奇跡的に生き延びた生存者を証言台に立たせない、という弁護団の判断が最終的に奏功する。

そのためドラマチックな場面は乏しく、多分米国法廷映画に慣れた観客は物足りなさを感じるに違いない。

 

 

裁判に負けたアーヴィングは敗訴後のテレビインタビューで、「今後も持論を述べる」と答える。

それは彼の著作を買い、彼を講演に呼び、彼に雑誌などの稿料を払う、いわば「ホロコースト否定論」を買う一定の勢力が居て、その、現在では「欧州のポピュリズムの隆盛」から利益を得る存在があるからだろう。

 

「卑怯者は自分が安全だと思う時だけ、居丈高になる」 

というゲーテの言が出てくるが、自民や維新系の政治家などの言動によくそれを感じる。

 

裁判終盤で、裁判官から「言論の自由」という観点が持ち出されるが、判決文でそれに直接の言及がなかったものの、判決後リップシュタットの記者会見で質問に答えて次のように回答する。

Now some people fear that the only effect of this trial will be to close down free speech.

 I don’t accept that.

 I’m not attacking free speech. 

On the contrary.

 I’ve been defending it against someone who wanted to abuse it. 

People can be as sceptical as they lik e. 

What they can’t be is dishonest.

 Freedom of speech doesn’t include freedom to get away with lying. 

Not all * opinions are equal. Some things do * happen, just like we’re told they do.

 Slavery happened.

 The black death happened. 

The world is round. 

The ice-caps are melting. 

Elvis is dead. 

 

英国の欧州離脱国民投票の際の議論や米国のトランプ大統領やマードックの右翼メディアFOXなどの 「POST TRUTH」や「Alternative Facts」は

「脱真実」とか「もう一つの事実」と訳されて流通しているが、いずれもその本態は「嘘」であり、この言いかえの中に「欺瞞」「瞞着」が含まれている。

こうしたことを放置していけば、歴史修正主義者の思う壺の世の中になるだろう。

 

欧州のホロコースト否定論は、日本の「従軍慰安婦問題」と「南京事件」に連なるだろう。

これについては過去

(従軍慰安婦)https://ameblo.jp/gonsun/entry-12030145699.html

(南京事件)https://ameblo.jp/gonsun/entry-12204792272.html

において記述した。

歴史修正主義者は、今も活発に活動している。

第一次安倍内閣下の2006年、共産党吉井議員の質問に答えて、安倍首相は「全電源喪失は起こりえない」と回答した。

その回答を、こっそりと議事録から削除したのである。https://matome.naver.jp/odai/2139169016828098101

 

国際法違反であるがゆえに従軍慰安婦の軍記録を償却して「軍主導の施設でなかった」ことにしようとしたり、

南京事件で中国人捕虜を皆殺しにせよ、と隷下各部隊に命令を下した長勇大佐が、命令の原文を直ちに焼却して証拠隠滅を図っている。

(裁かれる歴史ー田中隆吉著45P)

 

同様のことがホロコーストでもドイツ軍が関係書類の償却や施設の爆破によって証拠隠滅を図ったことはこの映画の中でも語られている。

かくして、戦争の記憶が薄れてきたとき、嘘が流通しやすい環境が整う訳である。

 

ポーランド映画祭での上映。

 

ポーランドの生んだアヴァンギャルド(前衛)の画家ヴワディスワ・スツシェミンスキ(1893-1952)が共産主義体制によって表現活動の自由を奪われて抵抗した軌跡を描いたアンジェイ・ワイダ監督の作品「残像」はとても印象深い映画であった。

 

そのワイダ監督(1926-2016)が32歳の時、一歳下のツイブルスキを主演に起用した「灰とダイヤモンド」。

「世代」(1954)、「地下水道」(1956)とともにワイダ監督の抵抗三部作、と言われるが、三作とも今見ることは至難であり稀有な機会であるので出かけることにした。

 

1939年、ヒトラーのポーランド侵攻によって始まり、独ソ不可侵条約の裏でポーランド分割を約したスターリンが呼応して侵攻。両国との戦線で敗退したポーランドは同盟国のイギリスに亡命政府を設立した。

この間、ナチスドイツとの戦争で約600万人の犠牲者を出し、ソ連占領下では180万人のポーランド市民が殺害されたか国外追放された、と言われる。ソ連によって将校が虐殺されて埋められた「カチンの森事件」はその一つである。

ポーランド国内では国軍の兵士や市民が武装抵抗運動(レジスタンス)を組織、その主な敵はナチスドイツであったが、1945年5月戦争が終結し、ソヴィエト支配下の共産主義政権成立した後は同政権と敵対したが1950年には潰えた。

戦争末期の1944年6月、ポーランド国軍と市民からなるレジスタンスがソヴィエト軍の支援を受けてナチスドイツ軍と戦う予定であった「ワルシャワ蜂起」は、ソ連が静観を決め込んだ為もあって、8月には敗北、一部は地下水道を伝って逃亡したが9月にはほぼ壊滅した。

以後ナチスドイツは報復として約22万人を殺害した、と言われる。

ソヴィエトは終戦後の占領を容易にするため、直前まで呼応を約しながらポーランド軍を見殺しにした、と言うのが定説だ。

 

「灰とダイヤモンド」はソ連の傀儡、ポーランド統一労働者党支配下の制作である。

戦争が終結した時点で亡命政府と共産主義政党が権力闘争のつばぜり合いを繰り広げていた時期。

ワルシャワ蜂起に参加し地下水道を使って逃れた、今は亡命政府のテロリスト、マチェク(ツイブルスキ)は命を受けてある町に、ソヴィエト帰りの共産党書記シチューシカを殺害すべく送り込まれる。

車を待ち伏せして殺害は成功。

意気揚々とホテルのバーで酒を飲み、バーのウエイトレス、クリスチーナに一夜の愛を求めて口説く。

祖国ポーランドは廃墟となって明日知れぬ若い二人の愛は、刹那的ではあるが「生きている」証の相互確証でもあった。

愛を交わした後、街を彷徨って二人は雨宿りした地下墓地の墓銘碑を見つける。

 

松明のごと、なれの身より火花の飛び散る時

なれ知らずや、わが身を焦がしつつ自由の身となれるを

持てるものは失われる定めにあるを

残るはただ灰と、嵐のごと深淵に落ち行く混迷のみなるを

永遠の勝利の暁に、灰の底深く

燦然たるダイヤモンドの残らんことを

(灰とダイヤモンド下巻269-270p岩波文庫)

碑文がかすれクリスチーナが先を読めなくなった時、マチェクが暗唱する。

 

マチェクがホテルのフロントで、党書記シチューシカがチェックインするのに遭遇して、暗殺が失敗であったことを知る。

隣室を予約したマチェクはシチューシカが囚われた実の息子を救い出そうと一人で外出した時、正面から数発撃って殺害。

逃走中誰何されて拳銃の所持がバレ、撃たれ、追われて最後

巨大なゴミ捨て場の中で息絶える。

 

ソ連の傀儡政権は、英雄シチューシカを殺したテロリストが無残な死に方をしたことを是として検閲、公開を許可した。

しかし、これを観たポーランド市民は、マチェクの口にする「ワルシャワ蜂起」「地下水道」によって、市民的自由を弾圧する共産党政権に対する反感を心中で喚起したに違いない。

そしてマチェクとクリスチーナの絶望的な愛の中にも、生きる一筋の光明を見出し、生きる糧としたのだろうと思う。

 

白黒の4:3のアスペクト比の中で、クリスチーナとマチェクが先の知れない不確実な戦後の荒廃の中で、確実なものを得ようともがきつつ少しづつ出会っていくシーンは、余計なものをそぎ落として二人の表情だけが画面を占める。

深く沁みる情景だ。

ワイダ監督の映画術の片りんを窺わせていただいた。

 

ポーランドは1980年ワレサの自主管理労組の連帯の発足から9年後の1989年6月18日の第三共和国で民主化を達成した。

したがって、ポーランド映画を見るとき1989年以前と以後とは明確に意識して置くべきだろう。

 

ワイダ監督の作品の中で「コルチャク先生」や「カチンの森」そして遺作となった「残像」は「以後」の作であり、「抵抗三部作」は勿論「以前」の作である。

残像の主人公の前衛画家スツシェミンスキに比べて、ワイダ監督の作品が検閲や弾圧を何とか免れたのは、映画という映像芸術が絵画という映像芸術に比べて多くの要素がストーリーに加えて、視線の移動、声や音や音楽を含めて)従ってまた「両義的」「多義的」な要素を盛り込むことができることがその一因ではなかったか、と思う。

 

なお、ワイダ監督の「地下水道」を観たような記憶があったが、それは比較的最近の「ソハの地下水道」との混同であった。

この映画はホドロフスキー監督の自伝的作品で、前作の「リアリティのダンス」に次ぐもの。

よって、監督の経歴を「リアリティのダンス」オフィシャルサイトよりコピペする。

 

1929年2月17日、チリのボリビア国境近くの町トコピージャで、ロシア系ユダヤ人の子として生まれる。12歳の時に首都サンティアゴへ移住。サンティアゴ大学で心理学・哲学を学んでいたがマルセル・カルネの『天井桟敷の人々』に感動し、パントマイムにのめり込んだ後大学を中退。

1953年に渡仏し放浪生活を送る中でマルセル・マルソーと出会い、『The Mask』『The Cage』という戯曲を共著、モーリス・シュバリエの芝居を演出した。パリでの学生時代にはトーマス・マン原作で実験映画を一本撮り、ジャン・コクトーに絶賛されたこともある。

1960年代中頃に、パリで作家フェルナンド・アラバールを知り、1967年、メキシコに移り、アラバールの原作で処女作『ファンド・アンド・リス』(FANDO Y LIS)を完成。続く1970年に代表作『エル・トポ』(EL TOPO)を発表する。「エル・ジン」というスペイン語圏の映画を扱うミニシアター系映画館での深夜上映で、噂が噂を呼び大ヒット、映画を観たジョン・レノンが虜になり、『エル・トポ』と次作の『ホーリー・マウンテン』(THE HOLY MOUNTAIN)の配給権を45万ドルで買い取ったという逸話もある。1973年に『ホーリー・マウンテン』を発表。1975年4月まで続くロングランを達成する。

 

「リアリティのダンス」はレンタルで鑑賞したが、その粗筋は

 

人生は絶え間ない奇跡の連続。
世界に耳を澄ますことで、日々は魔法のようなダンスに変わる。
ホドロフスキー23年ぶりの新作は、残酷で美しい人間賛歌。

軍事政権下のチリで生きる少年はどんな夢を見るのか?
息子の死を乗り越え、ホドロフスキー監督が自身の少年時代と家族の絆の再生を描いた、魂を癒す物語。

1920年代、幼少のアレハンドロ・ホドロフスキーは、ウクライナから移民してきた両親と軍事政権下のチリ、トコピージャで暮らしていた。権威的で暴力的な共産主義者の父と、アレハンドロを自身の父の生まれ変わりと信じる母に愛されたいと願いつつも 大きなプレッシャーを感じ、また、ロシア系ユダヤ人であるアレハンドロは肌が白く鼻が高かったため、学校でも「ピノキオ」といじめられ、世界と自分のはざまで苦しんでいた…。

青い空と黒い砂浜、サーカス、波が運んだ魚の群れ、青い服に赤い靴。ホドロフスキー監督は映画の中で家族を再生させ、自身の少年時代と家族への思いを、チリの鮮やかな景色の中で、現実と空想を瑞々しく交差させファンタスティックに描く。

1995年に事故で息子を亡くして以降、アートを作る理由を考え続けてきたというホドロフスキー監督はこう語る。「これは人々の魂を癒す映画であり、映画の中で家族を再生することで、私の魂を癒す映画でもあった」(以上「リアリティのダンス」オフィシャルサイトより)

 

今回見た映画「エンドレス・ポエトリー」のオフィシャルサイトはこちら。

 

 

長々と紹介したのは、この映画を観賞するために必要な事前の情報提供の意味合いから。

 

少年が大人に脱皮するには、それを導く「賢人」が必要だ。

その賢人役は「今現在」の88歳のホドロフスキー自身である。

 

「生きろ、生きろ、生きるんだ!」と若いホドロフスキーの背中を押す。

これは、「夢をもってあきらめずに追いかければ、その夢は必ず実現する」

というような流行りの安手のサクセスストーリーでは勿論無い。

 

「詩人になる夢」と言うよりは「詩人の魂を持ち続ける」一個の生の物語だ。

大人への脱皮には心からの友と、悔恨を伴う心の傷と、性的体験が必須だ。

 

父の懇願を振り切ってパリに旅立つ決意をする。

埠頭で賢人に、父との互いに人間としての対峙を促されて、

「父さん。何も与えないことですべてをくれた。

愛さないことで愛の必要を教えてくれた。

無神論で人生の価値を教えてくれた」

と父を認めて旅立つ。

これはおそらくはホドロフスキーの過去の父親との葛藤に対する「再定義」

つまり、その経験を追体験することで、その経験の意味を違う視点で捉え直したであろう。

 

「老いはなんら屈辱ではない。

すべてを手放せる。

セックス、財産、名声、

自身をも手放せる」

と賢者は言うが、それは、はしなくも88歳のホドロススキー自身が生身で露呈する瞬間だ。

しかし、既に手放した者が、いまだ老いていない者にその境地を語って何の意味があろう。

人生には、何事にも、それを知る時がある。

それが「時熟」というものだ。

「時来たらば、それを味わえ、楽しめ、味わいつくすまで手放すな!」

と、わたくしなら、若い人にはこう言って見守るであろう。

 

前作「リアリティのダンス」で

 

 

「未来の君は、すでに君自身だ。

探し物は自分の中にある。」

とあった。

自分探し、と称して生きる時間を無駄に浪費する若者に言いたい。

「探すべき自分は常に君自身とともにある。探しに出かける必要はない」

と。

 

余談だが、11月30日「リュミエール」を観た後、東口から駅ビルの正面をぐるっと回って地下道をくぐり、「思い出横丁」の「岐阜屋」でビールを飲みながら余韻を楽しんだ後、「エンドレス・ポエトリー」を観賞。

一日で二本も映画を見る、などということは池袋の「新文芸坐」でもやらないのであるが、12月はあれこれと忙しく、節を曲げて連チャンした。

11月30日はペソア忌。最近詩集とはご無沙汰だ。

 

 

 

 

前文科次官の前川喜平氏が「加計学園問題」における異常な安倍官邸の介入を述べる、というので購入したサンデー毎日12月3日号。

氏の国民に奉仕する官僚としての志の高さを事件発覚以来応援しているのだけれど、その応援の気持ちを表すには、氏はツイッターもブログも書いていないので、このインタビュー記事を掲載した週刊誌を買うしかない、と購入。

前川氏と対照的なのが、あるものを無いと強弁して安倍を守り、国税庁長官に栄達した佐川元大蔵省理財局長。

われわれ国民が望む「官僚像」はどちらかを世論調査すれば、結果は明らかだろう。

世論調査を基に選挙予想など余計なことをするくせに、「権力の監視」が使命でそれが故の「報道の自由」である筈が、安倍官邸と親しく飲食し、その意向を「忖度」して恬として恥じない大手新聞、テレビは前川ー佐川の世論調査をする矜持は全くないだろう。

 

見るともなくサンデー毎日をパラパラめくってると、伊藤智永氏の「映画評を越えた現代論」と言う記事があり、そこで出会った「リュミエール」の記事。

他に「ヒエロニムス・ボス」と「ゴッホ最後の手紙」を加えてなかなかの映画論。

バルト・蓮実流の密教的映画論には飽き飽きしているのでとても新鮮。

毎日新聞の政治部出身の記者らしい。

バルト・蓮見流に飽き飽き、と書いたが両者を貶める気持ちは全くない。

現に両氏の著作、とりわけバルトは「モードの体系」や「零度のエクリチュール」など門外漢としてはある程度読んでいる方だと思うが、その亜流的な映画評の多さに、にうんざりしているのだ。

と慌てて付け加えて置く。

 

嫌味はこれぐらいにして、上映日の期限をシネマカリテに確認すると、12月第二週で終わりそうなニュアンス。あわてて予定を変更して昨29日新宿へ。

 

 

「驚くことに、動画の基本であるフレーミングや人物動線、遠近法や構図といった『映画の文法』がはじめから殆ど完成していて、今日までほとんど変わっていない。登場人物の演出も初めから当たり前にあった」と簡潔に紹介されている伊藤氏の評に付け加える事はほとんどない。

ルミエールに関しては「フランス映画史の誘惑」」が手元にあるけれど、彼らが行った世界最初の、有料の映画の公開は1895年のこと。

1895年と言えば、セザンヌが初めてパリで個展を開いた年。絵画では印象派のモネ、ルノワール、ゴーギャンやゴッホの時代。

一方では1889年のエッフェル塔完成の第4回パリ万博と1900年のアールヌーボーの第五回パリ万博のちょうど中ごろ。

大航海時代の王や貴族の「世界の広がり」とは異なって、大衆が「世界」に「好奇心の対象」を求めた」時代、リュミエール兄弟は世界に、日本にも映写技師を派遣して映像を取り、パリっ子に見せた。

当時のフイルムの長さは17メートル、時間は50秒。その中に伝えたい内容を盛り込むには「演出」も当然必要であった。

最初の公開からわずか2年後の1897年、日本でも上映。リュミエール兄と在学中机を並べた人が持ち込んだ、と言うけれど、その速さに驚く。

1897年にはスタジオ撮影やトリック撮影、オーバーラップ、スローモーション、カラー(1902年)などの映像技術を開発したメリエスの「月世界旅行」が上映。

 

 

そして1927年にはアメリカで史上初のトーキー映画「ジャズシンガー」が公開。

1930年にはルネ・クレールが「巴里の屋根の下」で本格的トーキー映画が公開。

と続くのだが、ルミエール兄弟のシネマトグラフィーから僅か10年の間に撮影技術はほとんど完成してしまう、という速さに先ずは驚く。それだけ大衆が映画を求め、大衆の好奇心を満たすために大量生産されるとともに新奇の内容や手法が求められた、と言う事だろうと思う。

 

余談だが、1895年リュミエールの最初の映画の公開は、パリのグラン・カフェの地下で料金は1フランであったらしい。

グラン・カフェはヘミングウェイやロバート・キャパ等が通ったところ、と言う事で30年ぐらい前に旅行した時、仕事の合間に生牡蠣をレモンで食べたが、20年位前に連れ合いを連れて再訪、やはり生ガキを食べた。2015年にも連れ合いと共にパリを訪れたがその時はパリでノロウイルスが話題になりパスした。

尤もリュミエールが利用した当時はホテルと一体であったが、現在は同じカプシーヌ通りでもオペラの反対側に移っているから同じとは言い難いだろう。

ハイデガー研究会主催「存在と時間」刊行90周年記念シンポジウム

 

去る11月25日、幸い好天に恵まれ9時半からの開会記念公演に間に合うように出発。

これは研究会だが何十年ぶりかで「学会」の雰囲気に少しだけ浸ることが出来た。

ハイデガーは20世紀を代表する哲学者だが、私も20世紀人として彼の哲学に無関心でいられない。

現在、「現象学の根本問題」 をなんとか時間をやりくりして週一度くらいのペースで読んでいるところだが、このシンポジウムまでの読了を目指したけれど残念ながら80ページは未読に。

言うなら独学で読んでいるが、この難解な哲学者の書を理解できているか、などの不安はない。

なぜなら、ハイデガーについては木田元先生の「現象学」(岩波新書)や「『存在と時間』の構築」(岩波現代文庫)やとっつき易い「ハイデガー拾い読み」(新潮文庫)など理解の手掛かりになる書がたくさんあるからだ。

 

それに、学生時代、拙い「自己了解」の認識論で生松敬三先生に何度かお話しする機会を得、その御縁で木田先生にお目にかかったこともあるので、多少の素地(馴染み)はあるような気がする。

仮に誤読、があったとしても大した問題ではない。

著者の問題意識と読む側の問題意識は違うのが当然だ。

ましてやハイデガー以後、サルトルやミシェル・フーコやデリダなどを経てからハイデガーを読むわれわれ、或いは福島第一原発の事故や地球環境問題を抱えたわれわれは視点や視野が当時とは違うし、違うべきだ。

会場の質疑応答で若い研究者に、「読み」について厳しく質問していた壮年の研究者が居られたが、それはそれで大事な事ではあるけれど、「自分の読みで進んでみたら」と心の中で応援したくなった。

第一、当のハイデガーだって、師フッサールを誤解なく理解していたか否かについてはフッサールの研究者には異論があるだろうし、「ハイデガーは悪い言葉で言いますと、田舎者の夜郎自大みたいなものを持っている人で、けっこう大雑把に考えてバンバン言いかえていく。彼の哲学を読んでみると、ほとんど言いかえです。」「そうだったのか現代思想」小坂修平(講談社)などと辛辣なことを言う人もいるぐらいだ。

読みの誤解が新しい思想を育んでいくこともあるだろう。

自分の問題意識をベースに、正解か誤解か、気にせず理解する、と言う姿勢が自分の思想を形成していく。それが最も大切だと思う。

 

そうした視点で言えば、「現代技術は、不安を惹起するのか」と題してハイデガーの技術論を足掛かりに考究した発表があったけれど、先に述べた原発に加え、遺伝子操作や人工知能の問題など21世紀技術の或いは科学あるいは倫理の問題群が眼前にある。

そうした問題を考える時に、ハイデガーの「解釈」を巡って議論を戦わせるよりも、どのように技術に対処していくのか、という大きな課題に飛躍して議論を進めるべきではないか。

ましてや技術を「ブラックボックス化」するのではなく、今求められているのは技術の「可視化」とその限界や問題点の「可視化」ではないか。

と言う事を強く感じた。

 

当日の参加者は用意された教室を十分に埋める程の参加者があった。

事前に次のシンポジウムのテーマを決めて研究者の発表を待てば、更に実りある議論が出来るだろう。若い参加者の発表を中心に老荘青が入り混じって闊達に議論する場が大切だ。

毎年開催が無理なら、隔年で開催するとか一度きりに終わらせず継続してもらいたいものだ。

 

余談だが、カール・シュミットを読んでいて、生松先生の翻訳「陸と海と」(福村出版)に出会った。

畑違いの先生であったが、教えられた事も多く、私事で心配をおかけした事もあって、私の心の中では今尚恩師である。

ハイデガーの高弟、と言う言い方が適切かどうか知らないがカール・レヴィットはナチスの追及を逃れて東北大学に5~6年教鞭を取った(「ヘーゲルからニーチェへ」あとがきより)。1936年から41年の間だから、今から80年ほど前の事になる。その縁もあってか東北大学の研究者が日本におけるハイデガー研究の拠点のような状況(「現象学の根本問題」あとがきより)であったことが伺える。

木田元先生も東北大学のご出身である。今回の記念講演をされた森一郎氏も東北大学であり、その伝統は今尚息づいているのだろうか。

 

 

 

 

 

去る11月16日、渋谷駅新南口から、徒歩10分。だらだらした坂を上って10時過ぎに博物館へ。

入場料無料ではあるけれど、展示品の目録もあり、展示室も小さいながらも整然として気持ちの良い博物館である。

 

最近 映像で沖ノ島の、巨木や巨岩の陰などで神を祀った場所を見る機会が在った。

これは神社以前の、最も始原的な祈りの場であり、その祈り方はどのようなものであったのだろうか。

663年、倭・百済連合軍が白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に完敗して政権が揺らぎ、後継者争いで壬申の乱がおき、政権の正統性を内外に知ろ示すために編んだ古事記や日本書紀の中では、その祭祀がどのように変化していったのだろうか。そしてそれは沖ノ島の祭祀とどのような違いが、その祭壇や祭具や祝詞などにおいてあるのだろうか。

 

という興味からこの展覧会に足を運んだのであるが、結論から言うとその解は何も得られなかった。

頂いたパンフレットによれば、Museum Talk が10月から12月まで4回にわたって開催されるが、あるいはその博物館講座で私の知りたい内容が話されるかもしれないが。

残念なことに会場では過去開講された講座の内容を知る手掛かりは全くなかった。

 

古代の祭祀については、五穀豊穣を祈る、部族の安全と繁栄を祈る、それらを脅かす天災をもたらす神を慰撫する、何が起こるかわからない前途に対して幸運を祈るなどなどいろいろな契機があったであろうし、祭祀の主催者としての権力者や執行役としての祭祀階級も卑弥呼の時代から律令国家まではかなりの変遷があったに違いない。

またそれらの変遷を辿ろうとする為には祭場や祭具などから、大陸や半島の祭祀との関連性を研究する必要もあるだろう。

つまり東アジア全体の視野が必要になると思われる。

そうした観点はあまり感じられなかった。

例えば先に述べた白村江の敗戦で逃げ帰ったルートは釜山と筑紫を結ぶ宗像・沖の島であるだろうし、そのルートは同時に唐・新羅連合軍が倭に進攻する際のルート上でもあった筈だ。

となれば、宗像の神に祈る内容は航海の安全ではなく、国の安全、敵の呪詛であったかもしれない。

それらの痕跡は祭場や祭具の変遷の中には見られないのだろうか。

 

また、『「日本書紀」は、唐における三教(道・仏・儒)関係のうち、道教に相当する存在として「神道」を位置付けた。唐の道教は、唐の帝室と同姓の老子を祖と仰ぐ。一方、日本の神道は、天皇の祖を天神とし、易姓革命を回避することに成功した。』

とあった。これが学会の主流となっている見解かどうかは知らないが、言いすぎ、というかちょっと違和感があった。

そもそも記紀の編纂の経緯から、祭祀の主権者としての天皇も祭祀階級も何の変更も無かったし、「易姓革命」の余地はどの流れからも無かったと思う。

 

尤も、古代史の論争は邪馬台国は何処か、とか邪馬壱国が正しい、に始まって古事記、日本書紀の記述の信憑性に対する疑問などがあって、これを知りたい興味はあれど、蟻地獄に陥る恐怖もあって、いろいろと読んではいるが深入りは避けたいのが本音だ。

 

この展覧会の展示の突っ込み不足の記述も歴史の未決着な問題の影響があるのかもしれない。

 

古代史を読んで感じるのは、その権力闘争が、内外の課題に対処するための「理ー戦略」を求めて争うよりは、権力欲、権力闘争やそれにまつわる個人的な感情のマグマで動いているようなところがあって、卑小すぎてあまり面白くない。

戦前の軍部の無謀も、軍閥や声がでかくて口数が多い者の意見が通るとか、負けて当然の情けない有様だ。

日本のテレビは「政局」ばかりに関心が向いて「政策」は一向に報道されない欠点をよく指摘されるが、あるいはこれが日本の権力闘争の伝統、いやレベルかも知れない。

そう思うと誠にやりきれないが、、、

 

 

 

 

昨6日、新橋に所用があって、その帰りにSL広場の古書市に寄る。

先月31日神田の年一回の古本市で堪能したので、欲求水準は低かったのだけれど、

せっかくの機会で、所用も早く済んだので足は自然と西口に。

 

取り付くときは、全体を見まわしてどんな順路で回るかを考えてから始めるのがコツ。

グッと食指が動いたのは、背に図書館の請求番号が並んでいる棚。

通常、図書館の本は管理が行き届いていて、線引きや書き込みも少なく、傷みは修復されている。

よって、読むことを第一に考えればなかなかの掘り出し物になる。

「レトリック辞典」国書刊行会 500円

「ドゥルーズの思想」大修館書店 500円

「フーコー講義」河出ブックス 300円

以上3冊をゲット。

裏表紙の手前に某女子短大図書館蔵書印がある。

勘定の際、書店名を聞くと、神田の澤口書店。

よく文庫本を探しに行く店だ。三店舗あり、コーヒーを飲める店もある。

パパママストアを脱し、若い人を採用しているらしい店だが、企業化を目指して頑張ってほしい。

 

次に違う店で、新書、文庫本一冊100円のワゴンセールで

「イスラム教入門」岩波新書

「日本の税金」同

「武士道とエロス」講談社現代新書

いずれも読んだ形跡無く美本。つい手が出てしまう。

「そうだったのか現代思想」小坂修平講談社+α文庫 400円

最後は

「フーコー」ジル・ドウルーズ著河出書房新社 500円

表紙が傷みシミもある。フーコー本はちと買いすぎ、と思うのだが、「差異と反復」のドウルーズつながりで購入。

 

実は、書くのが躊躇されるのだが、この後紀伊国屋で取り置きしてもらっていた本を取りに行く。

「反脆弱性」タレブ著ダイヤモンド社

「快楽の園を読む」講談社学術文庫

こんなに買って、読むひまあるの? と突っ込みが入りそうだ。

 

勿論このほかに、アマゾンでも、日本の古本屋でも本を買っているので、積ん読も出てくる。

しかし、レファレンス的に買い置いてある本、目次を読んでとりあえず最初と最後を読む本、

ジムに行くとき駐車場で読む本、コーヒー店で「現象学の根本問題」作品社 を読む傍ら、気分転換に読む本、

あるいは昼飯前のビールを飲むときに読む本、、、寝る前に枕頭で読む本

などなど、といろんな機会にいろんな読み方をしているのでそこそこ読んではいる。

が、それでもこのペースなので、積ん読の本は溜まってしまう。

まあ、興味があってそれなりに真剣に読んでいるので、罪悪感は全くない。

と 思う(笑)

 

 

毎年秋に靖国通りで開催されるこの古本市は、古書店の集積に加え、歩道沿いに店舗を構えている店も無い店も本棚を出すので、最も陳列書籍数が多い、間違いなく日本一の古本市だ。

 

今回は30日から始まったが昨31日、現地到着10時を目指して勇躍出かける。

数年前、神保町界隈に太極拳の教室があった所為もあって、例えば岩波の本が多い店、ちくまや学術文庫の多い店など、個性のある書店の所在なども知っているので、いわば土地勘のある市でもある。

 

いつも通りお茶の水で降りて、三省堂から靖国通りを専大前の方に移動して古書を漁り、水道橋から乗車するコースを取る。

 

古本市で

1、蔵書に無いと思って買って、帰宅後確認したら実は持っていた。

  逆にある筈、と思って買わなかったら、実は無かった。

  つまり処分してしまったケース。

2、古書はアマゾンや「日本の古本屋」 のネットで買う事が殆どであるが、

  買う心算が無かった本に巡り合って、多分ネット上にある筈、

  と思ったが、無かった。

3、ちょっと割高、と思って買い控えして、見て回ったが他店にその本は

  なく、戻ってみたら売り切れてしまっていた。これはこの古書市ならでは

  のケース。新橋SL広場や池袋西口広場の古書市では滅多にない。

などなどいろいろな経験をしているので、!のケースには小型ノートに備忘的なメモ、忘れがちな本や欲しい本を書いて出かける事で対処。

2のケースはタブレットをWifiとSIMカード両用に買い替えたものの、このためにSIMを買う程の決断はしなかった。

3のケースでは、自分の「欲しさ」の度合いを自問自答して買うか買わないか、を決めている。

 

先の池袋西口では、ミシェル・フーコーが「振り子」ならぬ空振りであったので、先ずはフーコーを優先的に購入。

「自己のテクノロジー」岩波現代文庫

「ミシェル・フーコー考古学と系譜学」新評論社

「ミシェル・フーコー思考集成1」筑摩書房

余談だが、ちくま学芸文庫の「フーコー・ガイドブック」は、「言葉と物」など随分以前に読んで、内容をあらかた忘れてしまった本などの解説があって、とても重宝している。

「フェルナン・ブローデル歴史入門」中公文庫

ブローデルの「地中海」は綺麗に書棚を飾っているが、通読はしていない。第一巻の地形から始まる章と最終10巻の「結論」だけなので彼の方法論やウオーラスティンに触れているので購入。今はこれを読んでいる。

「アウグスティヌス 告白」岩波文庫

買う気は無かったのだが、上下で400円、という安さに惹かれて購入。

「トーマス・クーン コペルニクス革命」講談社学術文庫

「科学革命の構造」で「パラダイム」という、今ではなじみ深い言葉を使った著者の本。

 

何しろ、高速で本の背表紙をスキャンしているので、とても疲れる。

すっずらん通りのコーヒー店でしばし休憩。

 

「古代朝鮮と日本仏教」講談社学術文庫

先の韓国旅行のモチーフは今なお続いている。

 

昼食は午後一時半過ぎになり、旧信山社の奥の餃子屋で。

 

「カール・シュミット 政治神学再論」福村出版

水道橋駅近くの古書店で、「日本の古本屋」に掲載されていたので購入の為に立ち寄る。店員は最初「無い」というのでその旨言うと、今度は「売り切れた」と言う。「こまめに管理していないのか」と文句を言うと、どうやら真剣に探したようで「あります」と言う。文句を言う事も時に必要なのだ。

以上8冊で、ショルダーバッグはとても重い。

 

フーコーの本を露天で買ったらよく知っている本屋であった。

スズラン通りの店で割引セールをやっている、というので立ち寄ったが、どうやらしっかりした後継者が見つかったらしく、陳列も整理されているように感じる。他人事ながら嬉しいものだ。

それと、以前は線引きなどがある本を結構な値段で売っていた本屋が、しっかりした値付けをするようになった。これも嬉しかった事の一つ。

最後に主催者の画像を貼って参考に供する。

 

 

 

 

仏師、と言えば運慶、快慶、円空くらいしか思い浮かばない門外漢にとって運慶の仏像30点余のうち22体が一度に拝見できる、と言うのであるから有難く鑑賞に出かけた。

 

26日は秋の長雨のつかの間の晴れで、10時少し前に到着して30分の入場待ちであったが幸い10分余りで入場できた。

 

運慶の生年は定かでなく長男の誕生から類推して1150年とされ、1223年72歳くらいで没した。

時は平家から源氏、貴族政治から武家政治への転換期で1185年壇ノ浦の闘いで平家は滅亡。政権は東国の鎌倉に移った。

 

こうした背景を考えると、如来を護る脇侍のリアルで力強い仏像を見て、このような時代背景が運慶を含む慶派の隆盛をもたらした、と結論付けたくなるのであるが、もっと大きな理由があるらしい。

 

大雑把に言って、前5世紀に仏陀が入滅して1500年。

正法500年、像法1000年で、法も教えも無くなる末法の時代で、支配階級も民衆も救いを切望していた時代。

京都の清凉寺にあるこの中国由来の釈迦如来立像はいろいろな胎内納入物に加えて絹で作った内蔵まで入っている、と言うので生身の釈迦と言われて民衆が熱狂的に支持してお参りしたらしい。

 

運慶の同時代人の、後に浄土宗の開祖と仰がれた法然は専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、この法然に帰依して「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と過激な悪人正機説を唱えた親鸞は、寺を建立し仏像を作って功徳を積み来世に救いを求める事の出来る支配階級だけでなく衆生一切を救わんとする、いわば日本の「宗教改革」の時代でもあった。

戦乱相次ぐ騒擾の時代、阿弥陀如来の慈悲にすがって有難いお名前を唱えて救われたい、という民衆の切ないエネルギーは清凉寺の釈迦如来に対する信仰にはけ口を見出し、運慶もまたそのエネルギーを感じ取って、如来や菩薩、明王や童子の像に、民衆が身近に感じ取れるようなリアルな造形を付与して、慈愛や救済や守護を顕したのではないか。

運慶の水晶を使った玉眼や胎内納入物などの入魂もすべて慈悲や守護をリアルなものとして現前させようとした中から出でたものではないか。

と思うのである。

大乗仏教唯識派(日本では法相宗の源)の無着、世親兄弟の兄の無着の立像。

インド人ではなく東洋人の顔である。が玉眼は異国的だ。

焼失した像の再興であるから独自性の発揮には限界があったかもしれないが、運慶の父「法相六祖座像」に比べて一段と内面的な深みを感じさせる。しかし弟子にやらせた作品であるらしい。(「運慶 仏像彫刻の革命。新潮社 西村公朝著p77)

神奈川にある浄土宗の浄楽寺所蔵の阿弥陀如来坐像、脇侍立像。

横から見ると驚くほど肉感的だ。

頭を真直ぐに挙げて首筋を緩め、肩の力を抜いて胸は自然に開く、太極拳で言うところの 放鬆 が出来ている。

伊豆 願成就院の「毘沙門天立像」

シンプルで力強い。武(拳)理に適っている。

これは私の中国武術の目標でもある。最も気に入った作品。

頼朝の義父北条時政の依頼で伊豆まで彫りに行った際の作品。平家滅亡の翌年1186年運慶35歳。

平家が慶派のライバル円派や院派に仕事を依頼していた事もあって源氏は慶派を重用した。

武家に囲まれた環境で、シンプルさと力強さは彼らの好みもあったかもしれない。

加えて不動明王も四天王立像も、重心はどちらかの足に掛かっている。

これを太極拳では虚実分明と言う。

一方、重心が両足にある事を双重と言って、居ついて動き出しが機敏でないことを嫌うが、まさにこれは分明の形である。

 

今回の展覧会で運慶の父康慶や湛慶や康弁など息子たちの作品も鑑賞することが出来た。

来年1月16日から3月11日まで、同じ国立博物館で「仁和寺と御室派のみほとけ」と題するひと世代前の,あるいは同時代の円派の仏像などが展示されるらしい。

少しは仏像の事がわかったので興味が湧いてきた。