人間の愚行は、地球上の人口の数ほどあるが、
人類最大の愚行は戦争だ。
第二次大戦後、敗戦国はもとより戦勝国の植民地の独立が相次ぐが、冷戦下で、米国でいわゆるドミノ理論が跋扈し、選挙による統一(1954年ジュネーブ協定)を阻んで強引にベトナムに介入(南に傀儡政権樹立)した。
ジョンソン政権下の1964年のトンキン湾事件は現在では米側の自作自演と言うのが定説であるが、以後北爆を開始して本格的な米越戦争になる。
ホーチミンのベトナムは1975年のサイゴン陥落をもって米国に勝利し、次いで1979年、国境紛争から始まった中国の侵入を阻止した。
世界最大の強国、米国と、文化大革命(1966-1976)後でやや疲弊していたとはいえ世界最大の人口を擁する隣の中国との戦いに負けなかったベトナム人には正直尊敬の念を覚える。
我々の学生時代はベトナム反戦が盛り上がりつつあった頃。
安保に遅れてやってきた世代には学内外の論議の中心であった。
学友会の機関誌に、ハンス・モーゲンソーを手掛かりに、民族自決的な立場からドミノ理論を批判した論文を書いた事もある。
(法学との関係如何、との批判もあったが)
開高健やベトナムに平和を(通称べ平連)の小田実らが活躍した時代でもあった。
去年の暮、連れ合いが旅行代理店の冊子を見せて同行を求めたので、ベトナム人への尊敬の念や戦争の傷跡に触れることも出来るのでは、と思いから承諾した。
連れ合いは狭い自宅の庭をお花畑にしているが、その世話つまり水やりや除草の手間を比較的必要としない時期が旅行のベストシーズン。
と言う事で昨年のアンコールワット旅行 も同じ頃であった。
一度付き合っておけば、一人で自分で行きたいところに行ける、という秘かな思惑もある。
旅行の支度はいつも通りの事なので、しかも今回は隣のカンボジアに同時期に行っているので造作ないが、やはり自分なりにベントナムの近現代史や現在の社会主義体制について予習をして置きたい、と考えた。
以下はそのメモである。
まず最初に言いたいのは、戦後のある時期、特にアジアアフリカ諸国を席巻した民族自決である。
民族自決は同じ言語や習俗を持つ、いわば気心の知れた同一民族が、他国による支配や従属を脱して自立する、と言う点では異論を挟むような問題ではないが、今特に考えなければならないのは、多民族国家における共生ー日本も多民族国家であることをお忘れなくーである。
思いつくままに列挙してみると、ミャンマーにおけるロジンギャ問題、ルワンダのフツ・ツチ虐殺、中国におけるウイグル、チベット、内モンゴルなどに対する漢民族化、つまり独自文化破壊、スペインにおけるバスクやカタルーニャ独立問題、未だに頭にすんなり入っていかない複雑怪奇なボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、と枚挙にいとまないぐらい民族問題が多発し、少数民族が難民化し虐殺されている。人道上看過できない事態だ。
今国際社会が取り組まなければならないのは、民族自決 ではなく民族共生による平和、である。
欧州諸国のリーダーがこのような問題意識の中にある時、日本のリーダーはネトウヨレベルの民族観、そのはしたない表れが、「美しい日本」という自己陶酔的な回帰であり、同じ自国民に対して「こんな人たちに負けるわけにはいかない」とわめく分断思想、とそれに感応して、事あるごとに反日、非国民 とレッテルを貼る中韓ヘイトの安倍応援団である。
これでは世界のリーダーシップが取れるわけもなく、地球儀を俯瞰した外交等は中身のない空虚な絵空事である。
ベトナム戦争を既に「歴史」として反芻するとき、いろいろと知らなかった事に遭遇する。
米国との圧倒的な軍事、経済力の格差を前に、ベトナムがとった戦略は
1、戦場では軍事的に耐えきること。そのために犠牲を恐れず団結する。
2、国際社会からの支持を得ること。東側の中ソや東欧諸国キューバなどからの軍事支援を得るだけではなくアジア・アフリカ諸国や日米欧の先進国の国民の支持を得る。そのために著名な作家やジャーナリストを招待して戦争現場をリポートしてもらう。
3、米国に軍事的に勝利することはあり得ない、と判断し交渉による米軍撤退のシナリオを構築したこと。交渉の余地を残すために「鬼畜米英」(戦時中の日本)などと感情的に対立せず、米国人民に友好的な態度で通したこと。 (以上「ヴェトナム新時代」岩波新書坪井義明著)
であった。
米国の北部ベトナムに対する過酷な北爆、ゲリラ対策で枯葉剤の使用、ソンミ村を始めとして数々の村民虐殺事件など何がモラルリーダーシップか!と反米の気運が高まるのは必然であった。
隣の韓国は米軍に要請されて参戦し、米軍と同じような虐殺事件や村民のレイプ事件を多数起こしている。
日本は憲法9条の盾があって参戦せずに、愚行に加わることなく済んだ事は幸いであったけれども、戦争は人間の最悪の部分を露呈するが故にあらゆる努力を払って阻止するのが霊長類の頂点に立つ我々人類の責務だ。
我々の首の上に乗っているのはカボチャではないのだ。
このベトナム戦争の後遺症は今もベトナム人を苦しめている。
枯葉剤の影響は奇形児を今も生み出している。
戦争で夫や妻を、そして子供たちを失った結果、高齢の独り身の人が多いという介護の問題。戦争の後遺症で精神を病んだ人たちの問題。
ソ連の崩壊や中越戦争などで東側の援助が細る一方、ペレストロイカや改革開放の波を追い風にベトナム共産党も1986年ドイモイ(刷新)に着手。
ベトナム戦争終結(1975)後ポルポトと戦ったカンボジアベトナム戦争(1978)の勝利でカンボジアを占領。これが国際社会からの経済制裁を受けたためこれを脱するために撤退(1989)。中国とは中越紛争後冷戦状態であったが1991年関係正常化。1995年には米国とも和解してアセアンに加盟。1998年APEC加盟。2003年日越投資協定。2007年WTO加盟、、、等々と過去の怨念を乗り越えて国際社会への復帰と経済発展を果たしつつある。
地政学的に見てベトナムの最大の問題は対中国関係であろう。
北に国境を接する中国から前一世紀からおよそ1000年の間支配を受けてきた。その後およそ1000年の間自前の王朝が盛衰したが、1887年のフランス支配、1940年の日本軍進駐、1945年のフランス進駐、ディエンビエンフーの戦いに勝利(1954)したものの平和は続かず米国が介入してきてベトナム戦争が始まった。
しかも戦争のさなかの1972年、ニクソンが訪中し米中の関係改善が始まった。ベトナムとしては自分の頭越しに友好国中国の和解は疑心暗鬼を呼び、必ずしも気持ちの良いものではなかったであろう。
こうした戦争に次ぐ戦争の疲弊の中、かつての友好国中国の侵攻(1979)である。
当然中国に対する感情が良かろう筈がない。
経済大国 軍事大国 中国のプレゼンスが強まる中、ベトナムとしては対米関係を改善して米国に中国のカウンターパワーになってもらいたい、との心中は察するに余りある。
しかしながら、安倍首相が夢想する対中包囲網に簡単に応ずるわけにはいかない。対中関係を悪化させることは何の得にもならないからだ。
このあたりのバランスを取りながら国の進路を決めて行かなければならない「半島」の地政学的」宿命である。
今回の旅行は、出来れば戦跡に立って戦争の爪痕を観望したいが、「観行」ではそれも叶わず、せいぜいホーチミン市の「戦争証跡博物館」の見学機会があるかないかだろう。同博物館にはピュリツアー賞を受賞したフォトジャーナリスト沢田教一の「安全への逃避」が掲示されてある。
その機会に恵まれなければ、彼や開高健が好んだ「コニャックソーダー」でも飲んで当時を偲ぶより他ないのだろうか。