とにかくその当時の私はメスと薬以外はどんな治療法でも用いて治療することがカイロプラクターの仕事だと思っていた。アジャストも機能不全を起こした関節の治療程度に思っていたため、それを補完する治療法を学ぶことも当然の義務だと思っていた。
しかし大きな疑問があった。カイロプラクティックの専門学校に行く前からも整体的に、専門学校に通うようになってからはミキサー的にずっと臨床はしていたし、カイロの大学に入学してからもこの道20年以上の大ベテランといえる先生の元でもお世話になっていた。さて、その疑問とは「なぜこんなにも治療しているのに毎週毎週同じ症状でやってくるのだろう・・・」その場はスッキリと満足して帰ってくれるのに、少し時間が経てば同じことの繰り返し。問題なのは自分のようなペーペーならともかく、とてつもないほどの医学知識と治療技術と臨床経験を持っている先生でもそういった患者さんがたくさんいることであった。ひどい人は1週間に2、3回のペースで1回2時間の治療を受け続けている患者さんもいた。。。
「人を治すために治療をしているのに何かおかしくないか?」
当然のごとく疑問を感じることになる。
そんな時(大学1年の夏ごろ)初めてカイロプラクティック哲学に出会うことになる。それは偶然見つけた日本上部頚椎カイロプラクティック協会の発起人であり、協会の代表である賀来史同先生が書かれた「カイロプラクティック哲学にみる東西思想」であった。
つづく