「なんでミキサーだったのにストレートになったのか?」このテーマはずっと後になって書こうと思っていたのだが、リクエストがあったので希望に応えることにする。
たしかにカイロプラクティックとの最初の出会いや、周囲の環境、受けてきた教育はまったくストレートとは関係がないので不思議な話かもしれない。自分の歩いてきた過程を思い返せば何の疑問も持たずにミキサーになっていくことが普通なのだろう。
では何故こうなったのかと云えば、カイロプラクティックが大好きだったからとしかいいようがない。例えば多くの人がそうだと思うが、好きな人ができればその人と仲良くなりたいと思うだろうし、その人のことを深く知りたいと思うはずだ。
最初にカイロプラクティックを学びはじめた専門学校では、当然まだ知識0の白紙状態なために何がカイロプラクティックかもわからず教えられたままをカイロプラクティックと思うことになる。もちろんカイロプラクティックの業界に身を置いていればストレートの話を避けて通ることはできないために学長から簡単に説明を受けたが、半分馬鹿にしたような非常に否定的なものだった。結局ここの専門学校は教育のレベルが低いと感じ、こんなものでは人を診断し治療するには不十分だと思い一年で辞めることになる。日本にもカイロプラクティックの大学が存在することを在学中に知ったからだ。「カイロプラクティックは医療なのだから大学で学ばなくては治療を提供する患者さんに申し訳ないし、こんな浅い知識では治療する資格もない!!」と思っていた。
これはその当時の私の考えなわけだが、まさにミキサーそのものだったわけだ。
結局「大学に行くぞ!!」と思っても資金はないので、カイロの大学に入学することを夢見ながら数年間は違う職で働くことになる。その間に出会うカイロ関係者の方々も優れた治療家であったために、入学したらとにかく誰よりも勉強し努力し、様々な治療法を学んでどんな人でも治せるような立派な治療家になるぞと意気込み、ようやく入学することになる。
様々な治療法と書いたがその当時の私は「アジャストだけで人を治せるわけがない。関節の治療であるアジャスト以外にもっとたくさんの治療法を学んで、どんな症状を抱えている人でも対応できるようにならなくては!」と本気で思っていた。肉体面だけでなく精神的な面での治療も必要とも思っていた。
つづく