不安と不信と絶望が安心と信頼と希望に変わる時 | 囚われの人生からの脱出!もっと自由に生きる心理学〜命のちから心理セラピー講座〜インナーチャイルドセラピー

囚われの人生からの脱出!もっと自由に生きる心理学〜命のちから心理セラピー講座〜インナーチャイルドセラピー

東京池袋の隠れ家的一軒家セラピールーム。公認心理師常駐。インナーチャイルドカードを使って心と対話をする技術を教える活動を通じて、多くの人が幼少期の体験の影響を無自覚に今も受けていると知りました。。それに気づいてもっと自由に生きられるようサポートしています。

先週は東大病院への通院日でした。

2021年11月と2022年3月に緑内障の手術を受けた後、これまで、定期的に経過観察で受診していました。

この2年半くらいの間

経過はすこぶる順調で、眼圧は低め安定しています。

それでついにドクターから

「順調だし安定しているので、地元のかかりつけに戻って大丈夫」

と言われ、東大病院への定期通院を終わりにしました。


 

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今日はこの時に感じた、自分の心の変化について語りたいと思います。

 

この日の診察で、地元のかかりつけに戻るように言われた時、私はとてもすんなり

「分かりました」と言うことが出来ました。

実は術後三か月くらいで一度そのように言われたことがあります。
今から2年前になりますね。

でもその時には

「はい」とはとても言えない状況でした。

とてつもない不安と不信と怖れがわたしのなかに山盛りあったのです。

それは、私にとっての緑内障治療が、
それまで困難を極める道のりだったがゆえです。

私の緑内障は

一般的な加齢による緑内障ではありません。
 

33歳で診断が下りた時には

すでに左眼の視野は半分欠けていました。
 

点眼治療が始まってからも、
最初の病院では適切な治療が受けられないまま8年が過ぎ、たまたまその不適切さを他の病院で発見され、
不信感でいっぱいのまま転院しました。


転院先では親身にはなって頂いたものの、
やはり信仰は止まるどころか加速の一途をたどりました。

かかりつけ医の

「このままではまずい」という判断で、
2017年と2018年に某大学附属病院にて初めての手術を受けました。


しかし、大変な思いをしたわりには、効果は1年程しか持たず、この時、術後1か月程度でかかりつけに戻されてから、執刀医には一度もあっていない、というのも私の不信感に大きな影響があったように思います。


この手術の少し後に

視覚障碍者手帳を申請しています。



その後も眼圧は上がり

見え方も着実に悪くなり、
かかりつけ医にも再手術を勧められるようになりましたが、私の医療への不信感が、それをすんなり受け入れることを拒否していました。
 

断り切れずに別の某大学附属病院の診察は何度か受けましたが、私の手術への決意は定まりませんでした。

そうこうするうちにコロナ災いに突入し、再手術の話は立ち消えに。

コロナも落ち着いたころ、ようやく私自身の中に

「本当にこのままでいいのか?」

という思いがむくむくと湧き上がり、
 

再度「本当にほかに打つ手はもうないのかを確認したいから、良い医療機関を紹介してほしい」とかかりつけ医に自分からお願いしました。

するとこの時

初めて東大病院を紹介されたのでした。

 

 

2021年6月の初診で、ドクターの判断は

「時すでに遅し。もう少し早ければ。既に手術の適用対象外。」
ということでした。

理由はこの当時で、私の中心視野はほぼ残っていなかったこと。
中心視野と周辺視野があって、
中心視野がないと視力がほとんど出ません。

どうも医療の世界では

視力を残すということが大切なので、
その中心視野がないというのは、手術をする甲斐なしと判断するのだそうです。


この時ばかりは、だいぶショックでしたね。
 

普段ほぼほぼ後悔をしない私でしたが、
この時は、自分の治療への取り組みを後悔し、何日間か泣きました。

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でも何日目かに泣き止んで、私は思ったのです。

 

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医学上の考え方がどうであれ、現に私には見えている世界がまだある。

 

周辺視野でも確かに見える世界があるのです。
 

私にとってはそれが大切。

自分の命が終わるその時まで、この視野を残したい。


そのために眼圧を下げることが役に立つなら、
私にとってそれは意義あることなはず。

眼科医は目のプロフェッショナルではあるけれど、
目は健常者だから、実際には弱視者の見ている世界は知らないのです。

幸いなことに、ドクターからは
「推奨はもはや出来ない段階だけれど、
それでもご本人が望むなら手術はします」
と言われていたのです。

そういうわけで、私は手術をお願いしました。

 



そんな経緯で手術に至ったため、私の中には、術後3か月時点では、かすかな希望と、過去の不振と不安が入り混じったものがありました。


いえ、むしろ、ずっと諦めかけていたことに希望を持ったからこその、より大きな不安と怖れと言った方が正確かもしれません。

かかりつけ医に戻されそうになった時、私は正直に自分の不安と、執刀医にもう少し術後の経過を見てほしい旨を伝えました。



もちろん大学病院の担う役割のことはわかっていました。
「高度医療の提供と医療発展のための研究・教育研修の実施」が
その役割ですから、患者の不安に寄り添うというのは違う話でしょう。

でもドクターは、地元のかかりつけ医と連携しながら半年に1度の経過観察を引き受けてくださいました。

そして2年を経て、終了の運びとなったのです。



この2年間、術後の経過が安定していて

失明の恐怖から解放されたこと
 

点眼からも解放されて

アレルギー症状の辛さが消えたこと
 

同時に行った白内障手術のおかげで

眼内レンズが入って近視が緩和されたこと

これらの良き変化が、
3年前に泣き明かした末に自分が決めた選択の末にもたらされたこと。

それがこの20年以上

緑内障という人生最大の恐怖に対して、
私がずっと抱いてきた無力感を吹き飛ばしてくれました。

何をやってもうまく行かない
何をやっても、悪くなるばかり

という絶望的な無力感は、

医療そのものへの不信感も募らせていたのだと、今なら気づきます。

そしてその不信感もまた、払拭されました。

 


この3年間

私の治療に携わってくださった執刀医や
そこに繋げてくださり、過去もずっと見守っていてくださったかかりつけ医の存在を

いま改めて感じることで、私自身の心が変化したからです。

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

弱視で視覚障害であることに何も変わりがなくても、
私の心は、不安と不信と怖れでいっぱいの状態から、
勇気と信頼と感謝の状態に変化したのです。

なんだかここに、人の心が癒されるプロセスを読み込んでしまいたくなるのは、
私の職業病でしょうか?(笑)

その真偽のほどはさておいたとしても、
そう考える時、この経験すら愛おしく思えるから人の心は奥深いと思います。


最後までおよみくださってありがとうございました。

 

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