どうしたら自分の感覚を信頼できますか? | 囚われの人生からの脱出!もっと自由に生きる心理学〜命のちから心理セラピー講座〜インナーチャイルドセラピー

囚われの人生からの脱出!もっと自由に生きる心理学〜命のちから心理セラピー講座〜インナーチャイルドセラピー

東京池袋の隠れ家的一軒家セラピールーム。公認心理師常駐。インナーチャイルドカードを使って心と対話をする技術を教える活動を通じて、多くの人が幼少期の体験の影響を無自覚に今も受けていると知りました。。それに気づいてもっと自由に生きられるようサポートしています。

 

よく「自分の感覚を信頼しましょう」
と聞くことがあります。
 
感覚とは様々なことを検知し、私たちに知らせてくれるセンサーのような役割を持っています。
 
そのお知らせ事項の中には、危険予知の類も含まれているので、感じた感覚に従い行動することは、危険を回避することにもなり、逆に従わないと危険な目に遭うかもしれません。
 
だからこそ、「自分の感覚を信頼しましょう」と言われるわけですね。
 
 
自分の感覚を信頼しない(=疑う)ということは、
 
例えてみるなら、
 
火災報知器が鳴っているのに、
「これって本当に火事なのかなあ?どこにも火も煙も見えないし、ニオイもしないから、間違いじゃないのかなあ?」
と考えているようなもの。
 
でも火や煙が目に見えるところまで迫ってきて、鼻に吸い込まれてニオイを感じられるようになってからではもう、安全に避難するには遅い、ということもあるわけです。
 
ここで、もちろん、センサー自体の精度の問題は考えなくてはなりません。
 
センサーは過敏すぎても、鈍すぎても誤作動を起こしますから。
 
センサーが過敏過ぎず鈍過ぎず、適切に作動しているかを確かめるにはテストするしかありません。
 
その過程に関心のある方もいらっしゃるかもしれませんが、
今日はその先に進みます。
 
 
自分の感覚センサーはまあまあある程度、ちゃんと働いていて、そんなに誤作動しまくらないだろう、くらいには思えている。
 
でも!
なかなか信じることが難しい、ということがあります。
 
私は結構この状態が長かったと思います。
 
だから自分の感覚が捉えたことに従った行動がすっと取れずに、かなり長い時間考え続けてモヤモヤする、ということがよくありました。
 
何を考えているのか?と言うと、
「自分の感覚が捉えたことを裏付けて証明してくれるような客観的事実や合理的または論理的思考がとこかにないかなあ」と考えていたのだと、今はわかります。
 
私はかなりこれが強かったので、
自分の感覚は鈍くはなく、どちらかと言えばわりと敏感な方だといううっすらとした自覚を持ちながらも、長い間「自分の感覚を信頼する」ということに難しさを感じていました。
 
 
つまり、私の場合、感覚センサーは適切に作動しているのに、私の意識が、それに対して「それを証明するものを出してください。そしたら受理しますよ。」とやっていたわけです。
 
でも、これは証明出来ないのです。
「その時点の私の意識にわかる証明」を求めているわけですが、実は感覚センサーの方が、意識よりも敏感なのです。
 
だってセンサーですよ?
火災報知器は、人間が目や鼻や皮膚で火や煙や熱を完治する前に検出してお知らせしてくれるわけです。
 
その時に、証明を添えてくれないと受理しませんよ、とやっていたら間に合わないわけです。
 
でも通常、火災報知器なら誰もそんなことはしません。
 
とりあえず従います。
 
で、後で、実際その警報が適切だったかどうかを確認して、もし誤作動が続くようなら修理するなりなんなり対処します。
 
 
私自身が自分の感覚にとりあえず従えなかったのはなぜなのか?
と考えてみると、
「根拠や理由を知りたかったから(証明探し)」
 
なのですが、
もう一歩踏み込んで考えると、それは「不安だったから」なのだと思います。
 
 
不安な時って、いろいろなことを分かりたいんです。
 
なんでもかんでも分かって、すべてを解明すれば、安心できる。
そう思っています。
 
だから火災報知器の中の検出のアルゴリズムまで知りたくなるのです(笑)
 
でも私たちの感覚は、火災報知器のアルゴリズムのようには解明できません。
 
 
昔聞いた話です。
全盲のマッサージ師さんが、副業的にラジオの修理をしていたそうです。
目が見えなくて、なぜ機械の修理が出来るのか?
壊れたラジオの中を開けて、手を触れると、不具合の場所が分かるのだと言ったそうです。
 
普通の感覚からするとちょっと信じがたい話ですが、やはり全盲の方が、まるで見えているかのようにスイスイ歩いたりするのを実際に見ることがあります。
 
私自身も弱視になってから、道を歩くときに超えなくてはならない段差などが、数メートル手前から感じらるるような、不思議な感覚を覚えるようになりました。
 
私たちを含め動物には、そういった感覚センサーが与えられているのでしょう。
 
そしてそれは、理性や知性で理解できるものではないのだと、ようやくわかった気がしています。
随分長い年月が必要でしたが(笑)
 
誤解されがちですが、
 
不思議な力を信じよう!
という話ではないのです。
別に信じても信じなくてもどっちでも構いません。
 
なんでもかんでも理解することが出来る!解明出来る!
という思い込みをやめよう、という感じに近いです。
 
なんでもかんでも知性で理解できるはず、それは今や科学にも反するし、何より傲慢というものです。
※私、傲慢だったぬですね。
 
わからないものわかからないままに受け取る。
「なんやようわからんけど」(笑)です。
 
私自身は今、
「自分の感覚を信頼する」ということを、そんな風に捉えています。
 
 
 
今日も最後までお読みくださってありがとうございました。
 
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