誰かのことが可哀想で仕方がない時は | 囚われの人生からの脱出!もっと自由に生きる心理学〜命のちから心理セラピー講座〜インナーチャイルドセラピー

囚われの人生からの脱出!もっと自由に生きる心理学〜命のちから心理セラピー講座〜インナーチャイルドセラピー

東京池袋の隠れ家的一軒家セラピールーム。公認心理師常駐。インナーチャイルドカードを使って心と対話をする技術を教える活動を通じて、多くの人が幼少期の体験の影響を無自覚に今も受けていると知りました。。それに気づいてもっと自由に生きられるようサポートしています。


あのね、
誰かを見ていて、
可哀想で可哀想でたまらない時。

胸がギューっとなるくらい、
可哀想で切なくて、
いてもたってもいられない。

あなたには、そんなこと、あるかな?

もしそんな時、
あなたならどうする?

可哀想なその人を助けてあげる?
どうしたら助けられるか?

一生懸命考える?



あなたに助けられる力が有り余っていて、
その人も助けを望むなら、
助けてあげるのもいいかもしれない。

でも、もしあなたに力がなくて、
どうすることも出来ないとわかって、

それでも
胸が締めつけられるように苦しい程可哀想で仕方がない時。

あなたはどうする?

その人を
「可哀想、可哀想」
と思って見つめ続ける?
心配し続ける?


 

いっそ、無力な自分や、
その人をそんな可哀想な目に合わせている出来事や、人や、環境を嘆いたり、腹を立てたり、憎んだり、恨んだりしてみる?

果ては、世界に絶望してみようか?



それはね、やめた方がいい。

100歩譲って、
あなたがそうするのはあなたの勝手でも、 
あなたがそうすることで
あなたが可哀想がっているその人の力を奪ってしまうから。

あなたは知っているだろうか?
心配の念を送り続けることは、
相手の力を奪うということを。

「可哀想なあの人」
という視線を送り続けることが
可哀想なあの人を継続させているのだということを。



だからあなたがもし、
その人を助けたいのなら、

送るべきは
「可哀想」という眼差しではない。
「心配」ではない。

送るべきは
「それでも大丈夫」という眼差しだ。


それを「信頼」という。

「心配」は力を奪い、
「信頼」は力を与える。

「心配」より「信頼」を。

それを知っても尚、
そうしようと思っても尚、
「あの人が可哀想」
という胸の痛みから逃れようのない時。

あなたに出来るただ一つのことがある。

自分を知ること。

それは、
「そこに可哀想な自分がいる」
ということに気づくこと。

「可哀想なその人」は実は
「可哀想な自分」だったのだと気づくこと。

そして次に、
可哀想な自分を助けること。

あなたの心の中の

「可哀想な自分」が救出された時、

あなたは
「自分は大丈夫」と感じられるあなたになり、
「その人も大丈夫」と感じられる自分になっていることに気づくだろう。

そのときあなたは、
その人に力を与えている。

セラピストのあり方の一番ベースには「それ」がある。
「それでもあなたは大丈夫なのだ。」という眼差しを送り続ける。

 

 

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この記事は2016.10.13に投稿したものです。

よく読んでいただいているので再掲です。