大河ドラマ『光る君へ』第12話「思いの果て」見ましたー。
第9話「遠くの国へ」で青春時代の終わりかと思いきや…。
第10話「月夜の陰謀」で濡れ場の泥沼状態。
第11話「まどう心」で道長がブチギレ。
第12話「思いの果て」で まひろが吹っ切れる。
長い長い青春の後始末が、ようやく片付きました。
「道長の結婚相手は倫子と明子と(以下略)」
「紫式部の結婚相手は宣孝」
という歴史の結末から遡ると、全く必要のない出来事に3週も費やしているのは、大河ドラマだというのを一瞬忘れてしまうシナリオ構成。
道長と紫式部を結びつけるために必要だった?
いいえ、道長と紫式部には、事実の中に接点の可能性はいくつもあるので、恋愛ごっこをさせなくても成立できます。
むしろ、このお話をやるために、貴重な平安大河なのに登場させてもらえなかった人物たちの、なんと多いことか。
冷泉上皇、具平親王、広平親王、昌子内親王、源高明、源時中、源時方、源扶義、藤原兼通、藤原超子、藤原隆光、藤原為雅、藤原有国、藤原道信、藤原実方、和泉式部…書ききれませぬ(苦笑)
今後まだ出てくる可能性もありますが、もう4分の1も進んでいますからね…。
オリジナルストーリーもいいけど、そういう余裕ぶっこいたドラマは、戦国大河みたいに平安大河を5~6回やった後で、やって欲しいな…。こっちは余裕がねぇんだ!
そんな恋愛パートも、道長が結婚したことで、今回で終わりのご様子。
ゆったり描かれているおかげで、実資の満身創痍姿や、詮子が「源高明」の名前を連呼するシーンが見れたから、ヨシとするか(カンタンだねーw)
◆相性はピッタリでも…
宣孝の「ひらめき」で、まひろの婿取り計画の提案が飛び出します。
「正四位下の左中将、実資さまはどうだ?」
まさか、為時邸で実資の名前が出るとは思わず、ワタクシも意表をつかれ「えっ」と声を出してしまいました(笑)
いくら「昨年、北の方が亡くなったそうで、丁度よい」でも、身分が…と思っていたのですが。
宣孝「実資さまは名高い知恵者ゆえ、まひろの賢さに惹かれるやもしれぬ」
た、確かに…。まひろなら、実資の好みオブ好みやもしれぬ…?
宣孝「学識があり、人望があり、何より…財がある!」
本来なら兼家や道長なんて鼻息で吹き飛ばせる藤原氏の嫡流中の嫡流「小野宮流」の御曹司ですからね。財には困らない!
為時「実資さまの素晴らしい所は、権勢に媚びないところだ。筋の通ったお人柄なのだ」
為時の好きそうな人柄…と同時に、まひろも好きそうな人柄!
これ、マジでいいじゃん!!
まひろの婿は、実資で決まりだ!!!!
しかし、実資は赤痢にかかって重病の身…「あれはダメだ。もう半分死んでおる」(笑)
会わず仕舞いで終わって実資も「鼻くそのような女と縁談あり」と日記(『小右記』?)に記し、両者とも「接触無し」のまま終了してしまったのでしたw
(しかし、半死な実資に贈り物として伝奇物の『捜神記』を持って行く宣孝ってどうなの…w 春画が挟まっていて、少し蘇生した実資もどうなのか…まぁ、良かったね…健やかに・何)
◆さわ初登場!
このブログでも度々言及していた、さわが初登場!
放送前、てっきり初回から登場すると思っていたのに、3月下旬でようやく…。
登場してみれば、やんわりのんびりな性格。
まひろを姉と慕い尊重する親密さあふれる関係性。
こんな「癒し系」な彼女を初回から出したら、まひろをあそこまで追い込めてなかったでしょうから、ストーリー上ある程度の落ちる所まで行きついた今あたりが出し所…というか、倫子が婿を取ったことで女子会が終了となるので代わりの友達がやって来た、ということでしょうか。
為時が懸命に看病するも、かなり重体となった なつめ。
彼女には離別した夫のもとに実の娘がいて、最後に会いたい…と懇願します。
それが、さわ。まひろが遣いとして走り、なつめは さわと再会。
最愛の娘と再び会うことができ、なつめは思い残すことなく冥土へ旅立った。
そんな「女の一生の集大成」を見て、まひろは「妾も悪くないか…」と思い至るという流れ。
で、「娘とは誰です…?」という まひろに対する、為時の答えは省かれてしまいましたが。
かねてからの予想通り、さわは「筑紫の君」だったみたい。
どこからその答えを得て来たのか…公式サイトを見ても分からなかったのですが、SNSでは「さわは『筑紫の君』」という答え合わせでいっぱい。
これだけ騒ぎになっていれば、正解ということでいいかな?
ワタクシの予想が当たるなんて、非常に珍しい(笑)
でも、「高倉の女」とは関係ないと思っていたんです。
というのも、「筑紫の君」の母は、藤原雅正の娘だったと言われているから。
紫式部の父・為時は、藤原雅正の息子。
つまり「筑紫の君」は紫式部の従姉妹で、為時の姪なんです。
だから、為時が看病していた なつめが「筑紫の君」の母だとしたら、それは「妾」というより「妹(姉かもしれないけど)」。
為時は明確に「妾だよ」とは言ってないので、「妹を看病していた」のを周囲が勝手に「妾に会いに行っていた」と勘違いしていただけのこと?でも、まひろが同じ平安京に住む伯母/叔母の顔を知らないってあり得るのか…。
いと(惟規の乳母)が「高倉の女」なんて呼んでいるし、為時自身も「身寄りがいないから見捨てられない」と説明しているし(妹なんだからお前が身寄りだよ!ってなりそう)、「筑紫の君の母は為時の姉妹」という説があるのを、ドラマ制作陣が知らないとしか思えない…。
まぁ、それでも別に構わないけれども…「紫式部と為時の姉妹は面識がなかった」「為時は姉妹を妾にしていた」は史実かもしれないし、「『筑紫の君=為時の姪』というのは確証がなさすぎる」ということで却下したのかもしれないし。
でも、「直秀」と同じく、色々意味ありげに出てきながら「ただのオリキャラです」って片付けそうなのが、なんかイヤなんですよね……。
(ちなみに、さわ役の野村麻純さんは、俳優・沢村一樹さんの姪っ子なんだそうな)
◆妾の子・道綱
「東三条第」で酒を呑みかわす道長と道綱(兼家は宿直ですかね?)
道長と道綱の兄が仲が良さげなのは、本当に癒されますねw
ここで、道綱から今回のMVPにしてもいいセリフが。
「男の方は精一杯かわいがっているつもりでも、妾の側から見るとまるで足りぬ。常に辛いのだ」
道長たちの母・時姫が正室だったのに対し、道綱の母(『光る君へ』では寧子)は側室。側室の子が言うと、この言葉の重みも増しますな。
ただ、道綱から改めて言われなくても、それを嘆く和歌はいっぱいあるわけだし、何なら『蜻蛉日記』も完成しているしで、知る機会はたくさんあったんでしょうけども。
ともあれ、これを聞いて自分の口から「妾になってくれ」とは言えなくなってしまった道長。
「一番の妾」なんて、簡単に口にできる言葉ではなかったね。
向こうから言ってくれるのを待つことになり…言えなくなった まひろとすれ違うことに…。
◆源俊賢、初登場!
「四納言」でまだ未登場だった最後の1人・源俊賢が初登場!
しかも、異母妹である明子と同じ画面に映って、おおお…(感激)となりましたw
俊賢と明子は「安和の変」(969年)で失脚した源高明の子。
コウメイの罠(関連)
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12836162032.html
俊賢は天徳4年(960年)生まれなので、第12話時点で26歳(「安和の変」時は9歳)
明子は康保2年(965年)生まれなので、第12話時点で21歳(「安和の変」時は4歳)
父が「大宰権帥」に左遷された時、俊賢は一緒に大宰府へ同行したようなのですが、明子は京に残り、父の14歳年下の同母弟にあたる盛明親王の庇護下で養育されたようです。
なので、源明子は親王の養女という立場から「明子女王」と呼ばれていたという説があり、ドラマではこれを採用したみたいですね(俊賢は親王の養子になってないので「俊賢王」と呼ばれていない…のか?)
ドラマでは「詮子(あきこ)」と「明子(あきこ)」の読みが一緒でややこしくなるから、女王付けを採用した…のような気も、しなくもないですが(笑)
(でもって、今後出るか分かりませんが、宣孝の兄嫁に「明子(あきこ)」という女性がいて『源氏物語』の登場人物のモデルになっている説があるので、もし登場したら、さらにややこしくなりそう。どうするんだろうか)
盛明親王が薨去すると、明子は詮子の庇護下に入ります。
寛和2年5月8日(986年)没なので、「寛和の変」(同年6月23日)の少し前。『光る君へ』では、第9話「遠くの国」あたりになりますかね。
なお、父の高明は天元5年(983年。第2話の前の年)に亡くなっていますが、母の愛宮(あいのみや)はずっと存命だったようで、道長が娘の明子の結婚が決まった直後に倫子とも結婚した、その心変わりの早さを皮肉する和歌が『拾遺和歌集』に収められています。
土御門の左大臣の婿になりて後 したうづの型を取りにをこせて
年をへて たちならしつる あしたづの
いかなるかたに 跡とどむらん
愛宮/拾遺集 雑 498
昔こちらの潟に住み慣れていた鶴は、今はどちらに足跡を留めておられるのでしょうか…のような意味。
「したうづ」というのは足袋(襪=しとうず)。この頃、婿の装束は妻の家が用意することになっていたので、明子の家で道長の足袋用の「足型」を作ってあったのを、倫子と結婚するために(倫子の家でも装束を作るために)借り受けたいと道長が使者を寄越してきた…その時に詠まれたと「詞書」にあります。
「あしたづ」は「葦田鶴」と書いて、鶴のこと。鶴の鳴き声は哀愁を帯びているように昔の人には(今の人にも?)聞こえたようで、悲しい感情を含む和歌によく使われているそうな(たぶん)。鶴本人は「健康長寿」「夫婦円満」「五穀豊穣」と、めでたさを象徴しているのに…日本語って不思議ですね。
(「夫婦円満」でありながら「もの悲しい」という鶴を題材にするのは、この和歌にピッタリ!)
(↑確かに、もの悲しそうに聞こえなくもない?)
倫子と明子、どっちが先に結婚したのかは意見が分かれているようなのですが、この和歌からすると明子の方が先だったのかな…という感じはありますかね(盛明親王の喪の明けはいつ頃だったのだろう)
ともあれ、ドラマでは俊賢はサバサバとして出世街道を進もうという前を向いて意欲に燃えているのに対し、明子は「道長と結婚すれば兼家に接近できる」「髪の毛一本でも持ち帰って呪詛して父の無念を晴らす」と、後ろ向きに執念を燃やしておりました(^^;
しかし、明子は「通われる方」になるわけで…そうすると兼家には接近できませんよね。
ここでも「北の方」と「妾」の差による思惑のズレが生じてくるわけですな…。
(でもって、倫子の縁談話の方に全く顔を出さなくなった詮子…これで明子の方を側室にと、持って行っていいものなの?)
◆倫子の婿取り
摂政様に呼び出されて、「我が三男を左大臣様の婿に…お力添えをお願いしたい」と、「お願い」という形の「命令」をされてしまった左大臣さま。
「土御門第」に帰宅すると、今度は倫子から「道長さまを婿に迎えるのを許可してください!してくれなかったら、一生猫しか愛でません!」と、「お願い」という形の「脅迫」を受けてしまいます(笑)
「不承知とは言っておらぬ…(おろおろ)」左大臣さまお人がいいから、押しに弱いですねw(そしてグイグイ行くかんじが何故か似ている兼家と倫子)
兼家は道長に「土御門第」へのお使いを命じ、これにより雅信と道長が顔合わせ。左大臣さまは中々目を合わせてくれませんでした(^^;
史実では、渋る左大臣に対して、妻の穆子が強引に押し通して結婚となり、道長は生涯、穆子に感謝して頭が上がらなかったと言われているのですが、この経緯だとそういう感情にはならなそう…。
政敵同士でバチバチの緊張関係にあった摂政と左大臣は、突然「婿と嫁の親同士」という親密な関係になってしまい、あまりの急展開に唖然としてしまった…といわれていて、それが楽しみの1つでもあったのですが…ねぇ。
こんなところで、ワタクシと公式で解釈違いが起きてしまうとは思わなかったな…。
公式サイトによると、次回は4年の歳月が過ぎて永祚2年(990年)、一条天皇が11歳で元服するあたりからお話が始まるようです。
(ということは「永祚」改元の理由となったハレー彗星(989年)のことは描かれないのですな…安倍晴明が何か言うかな?と期待していたのですが)
今回見事に道長をゲットした(抱きつくフリして押し倒したw)倫子はもう出産後。長女・彰子(988年生まれ)のご尊顔(まだ稚児ですが)も拝めますね。
(そういえば、こちらも「彰子(あきこ)」だ。「あきこ」だらけ…)
運命の夜となった「庚申の夜」といえば、『光る君へ』には登場しない(涙)道長の同母姉・超子が亡くなったのも「庚申の夜」の突然の出来事でした。
この悲しみから、東三条家は「庚申の夜」をやらなくなった…と言われているのですが、これもスルーされましたね(とことん超子を無視しているな…)
転機の子(関連)
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12837067674.html
で、その庚申の夜。道長に呼び出された まひろは「道長が倫子の婿になる」ことを知ってしまい。
お世話になっている倫子と夫を取り合うなんて、そんなことはできない…「妾でいいから一緒になりたい」と言おうと思って駆け付けたのに…。
愛おしい言葉をぐっと呑み込んで帰宅。弟くんから注がれた酒を飲み干して失恋の辛さを癒しておりました(同じ恋愛で2回も失恋するなんてw)
ところで、「まひろと道長の関係」を倫子は知らず、まひろが勝手に譲って、勝手に苦しんで…となったわけですが、もし倫子が「2人の関係」を知っていたら、まひろに道長を譲ったでしょうか?
もちろん史実的にも譲るわけがないですが(笑)、そこで振り返ってみたいのが、今回2人が言っていた言葉の違い。
倫子は「道長さまがいい。婿にしたい」
まひろは「妾でいいから一緒になりたい」
「~『が』いい」と「~『で』いい」の違い。
どっちが積極的?といったら、倫子さまの『が』のほう。
たぶん倫子さまは譲らないわなぁ…という意思の固さを感じるのは、『が』にあるわけです。
「晩御飯、肉と魚どっちがいい?」と聞いた時の「肉『で』いい」という答え。
ワタクシこれがキライで、自分でも言わないように気を付けているほど。
何なんだよ。『で』って。失礼しちまうわ。
不満なら自分で決めて自分で手に入れて食べて来てどうぞ!
そういうヤツに限って、自分では手に入れねーんだ。
流されるままなんだ。
言葉に気を付けて!
けれども、これが「過去形(?)」になると、意味ががらっと変わってしまうんですよね。
「お肉『が』よかった」
「お肉『で』よかった」
「~が」だと失敗の意味合い。後悔や反省。そっちにすればよかった的な。
「~で」だと成功の意味合い。安心や満足。これにしたの正解だった的な。
どうして過去形にしただけでこうなってしまうんだろう。日本語って不思議ですね。
……何故だか話が明後日の方向に流れてしまった…いかんいかん。
「まひろ『が』よかった」
「倫子『で』よかった」
道長は、今回の選択をどう思うかな。
まひろが手に入れられなくて、倫子が手に入れた。
それは身分差ではなく、意思の固さがなせることだった…。
それが台詞にも反映されていたかな…というかんじがしてしまいますなー。
【関連】
大河ドラマ『光る君へ』放送回まとめ
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12837757226.html