大河ドラマ『光る君へ』第11話「まどう心」見ましたー。

 

 

まどう心…「魔道心」?

とか思ってしまった前回の次回予告。

 

「惑う心」ですよね。

なんで平仮名なんだろう…しかも「まどふ心」ではなくて…?

 

今回、花山院が「魔道心」を出しておりましたが…。

これと掛詞になっている?まさかなw

 

しかし、引きちぎった数珠の玉が「七星」を描いているのを見た時は、「魔道に回向す…」というつぶやきが聞こえてきた気がしましたよw(※もちろん空耳です)

 

 

そして今回は、水辺が多いな…と思いました。

 

池に面した縁側で話す、まひろと宣孝。

川の前で酒宴を催す、兼家・道長の父子。

池に映った自分の顔に石を投げ入れる まひろ。

 

まひろが池で野菜を洗うシーンもありましたね。

家人を返しちゃったから、お嬢様でも雑事をやらなければならないという。

 

水辺…何か意味があったのだろうか?(そこは読み取れていない…演出家の趣味なだけ?)

 

 

◆まひろ、摂政に会う

 

花山天皇の恩顧で式部尉蔵人の地位を得ていた為時は、花山天皇が退位したことで、全ての職を失ってしまいました。

 

まひろは何とかしようと、倫子に「摂政に面会する」斡旋をお願いしようとするのですが、「おやめなさい」と、きっぱり断られてしまいます。

 

「摂政様は貴方がお会いできるような方ではございません」

 

毅然とした倫子に、たじろぐ まひろ。

その次のシーンで…為時の娘が兼家と面会。展開はやっ(笑)

 

まぁ、為時が兼家と顔見知り(兼家仕えのスパイ)だったことを、倫子は知らないから…。

 

そして、肝が据わっている まひろは「父に官職を」と、摂政さまに直談判(ここで「ぇぇ…(困惑)」となるワタクシ)。しかし、必死の懇願も空しく、虫けらの如く追い返されてしまいます。

 

「わしの目の黒い内に、そなたの父が官職を得ることはない。下がれ」

 

為時は一条朝に入って10年、官職を得ることはなかったのですが、この史実はひっくり返さないにしても、「わしに会いに来るなぞ、面白い娘じゃ」とでも言うんじゃないかと、ジト目で見てましたが…さすが兼家さま。下級貴族をどう見るべきか、よく分かってらっしゃる(笑)

 

これはこれで、良かったと思います。主人公であっても、ご都合主義で何でも展開したら白けてしまいますから…(これはこれでテンションが上がることも少なくないですがね)

 

ただ…兼家は「為時の娘」が「左大臣家」の親戚筋で、その家にスパイとして入り込んでいることを知っているはずで…。いつもの兼家だったら、左大臣家のことをアレコレ聞くんじゃないかと思ったんですけど…。もう摂政だし、倫子の顔も見ているから、別にどうでも良かったということなのかな。

 

そして、摂政に会いに行ったことに、ビックリ仰天する宣孝おじさま(そらそうだ)

 

バイト経験もある まひろは働こうとするのですが、「婿を取る」ことを提案します。

 

ここで「北の方にこだわらなければ、いくらでもおろう」と言っていたので、まひろが「北の方」にこだわっていることを、宣孝はよく知っていた…ということなんでしょうか(視聴者は初耳なんですが)

 

「もっと男を信じろ、まひろ」と、まひろが男に不信感を持っていたこともご存知だったようです(これも、視聴者は初耳なんですが)

 

結局、まひろは「書の写し事業」でバイト生活に入ったようで、白居易の「長恨歌」を写しているシーンがありましたね。

 

史実では、為時は村上天皇の第7皇子・具平親王と漢詩を通して親密で、その後ろ盾で糊口を凌いでいたみたい(どうして『光る君へ』に出てこないんだろう…)

 

ほかにも、為時は「菅原学閥」に属していたので、こちらの人脈の世話にもなっていたと思われます(赤染衛門の夫・大江匡衡もその1人だったりします…ドラマ中に赤染衛門は何も言ってくれないけれども…)

 

 

◆倫子の度量

 

本日の和歌の講義は、『古今和歌集』から。

 

君や来む われや行かむの いさよひに
まきの板戸も ささず寝にけり


よみ人しらず/古今集 恋 690

 

貴方が来るか私が行こうかと思っているうちに、十六夜の月が見えてきて、寝床の戸もせずに寝てしまいました…みたいな意味。

 

「おなごはいつも殿方を待つばかりだと。寝て待つのを誤魔化しているのではないでしょうか」と、経験値を積んでレベルアップしているためか、確度の高い深読みを披露してしまう まひろ。

 

参加メンバー、一瞬「ぽかん」としておりましたねw

 

まひろが摂政と会う仲介はお断り&忠告をした倫子ですが、為時のことは気になったようで、いつもの女子会の後、まひろを呼び止めて「お話しましょう」と誘います。

 

(「和歌の深読みで恋をしていることに気がついて呼び止めた」という考察がSNSではありましたけど、その割りには倫子からこの手の話は振っていないので、どうなのかなぁ…。やはり為時のことが気になったのではなかろうか)

 

「大変でしょうけど、ここへは、いらっしてね。息抜きにはなるでしょう?」と、優しい言葉をかけます。本当、よくできた女主人ですねw

 

その後、倫子には、狙っている殿御がいることを知る まひろ…まさかそれが道長だとは知らず…(知った時、どんなドタバタ劇になるんでしょうかw)

 

「絶対、この家の婿にします」と言える倫子。

誰かの妾としての良縁を求めるしかない まひろ。

 

残酷なほどの身分の差が表れておりましたな…。

 

(そして、御方様に浮気疑惑を持たれピンチだった赤染衛門先生の無事を確認w)

 

 

◆君子の交わりは淡きこと水の如し

 

花山天皇が真夜中に突如として退位した。

あまりの衝撃的な出来事に、騒然とする藤原ボーイズ。

 

「道長も一枚噛んでいるらしい…」と噂をしたところに、道長登場。

 

気まずい…とはならず、しかも聞きづらいことをさらっと尋ねる斉信。

 

「どうやって帝を連れ出したんだ?」


「聞かない方がいいよ。終わったことだ…」

これまた、さらっと返事をする道長。

 

政変について、あからさまに隠すでも、妙にうろたえるでもなく、あくまで普通にやり取りする、政治家のたまごたちのクールな態度。

男の子の、ただの仲良しこよしだけではない、でも気心は知れ合っている…というかんじ。


ヘンにベタつかず、でもヘンに突き放したりもしない。絶妙なバランス。

 

こういう君子の交わりっていうのは、親世代の浮き沈みの激しい政争劇を間近で見て来たがゆえの処世術なんでしょうね。

 

世襲政治家の利点なところ、ですかねー。

 

 

◆一条天皇、御即位

 

寛和2年7月22日(986年)。

即位礼が催されて、懐仁親王が6歳にして天皇に即位。

 

これまでの最年少記録は7歳(朱雀天皇。摂政は藤原忠平)でしたが、これを更新。

 

嘉承2年(1107年)に宗仁親王(鳥羽天皇)が5歳で即位するまで、この記録は続きます。

 


一条天皇@高木波瑠さん
2024年大河ドラマ『光る君へ』より

 

当時としては前代未聞で、どうなることかと殿上人たちは不安を抱いたことでしょうけれど、現代の視聴者からすると、母の元に走ったり、何事にも「はい」とはっきりしたお返事の、とても可愛いらしい帝で、当時にタイムスリップして立ち会いたい気持ちでいっぱいになりました(笑)

 

母である詮子は「皇太后」の称号を授与されます。詮子が「皇后」になっていないのは、ご存知の通り。なので「転上」ではなく、滑り込み的なやつですね。

 

「皇后」は、円融上皇が位におわしました頃の中宮「遵子」(関白様の娘で、公任の姉)。

 

 

『光る君へ』では描かれませんでしたが、遵子が「皇后」となり、皇子を産んだ詮子が「皇后」に選ばれなかった時、公任は「詮子さまはいつ皇后になれるんですかね」と、詮子の女房たちに軽口を叩いておりました(さすが失言キング)

 

しかし、息子が即位したことで、詮子は「皇太后」となって、「皇后」遵子を一気に抜き去り、優位に立ちました。

 

公任から受けた屈辱を忘れていなかった詮子サロンは、「素腹(妊娠したことがないお腹)のお后さんは、いつ皇子をお生みになるのでしょうか?」とイヤミを言って、見事やり返した…という、平安貴族らしい微笑ましいエピソードがあったりしますw

 

そして皇太子には、従兄弟の居貞親王(いやさだ。後の三条天皇)が立坊。

 

居貞親王は、道長や詮子の同母姉である超子(とおこ)が冷泉上皇との間に産んだ皇子。

 

超子は初回からずっと存在が伏せられてきて、今回のナレーションも「姉が産んだ皇子」と言うだけで、名前には一切触れず…何故なんだぜ。

 

ワタクシはちゃんと紹介しましたからね!

 

転機の子(関連)
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12837067674.html

 

映像で見ると居貞親王は「少年」一条天皇は「童子」というかんじでしたが、一条天皇は天元3年(980年)生まれの御年7歳で、居貞親王は天延4年(976年)生まれの御年11歳なので、皇太子の方が4歳年上なんですよな。

 

即位式の前日。「高御座」に"子供の生首"が置かれる「いやがらせ」が発生しますが(これは「大鏡」にもあるもので、ドラマオリジナルではありません)、道長が即応でもみ消し。知人の遺体を自らの手で埋葬しただけあって、ケガレなんてモロともいたしません(これはドラマのオリジナルです)

 

兼家も「よくやった」と言ってましたし、この2人の宗教観はどうなってるんでしょうか…(もっとも、兼家は「高御座に生首があった」と報告を受けた時、居眠りして聞かなかったフリをしたそうなので、宗教より政治を優先させる「したたか者」ではあったようです)

 

そして、一条天皇の即位式。

 

じゃらじゃらと珠が繋がった瓔珞を垂らす冠、そして後ろ姿が映った時に、背中に北斗七星。

 

あれは「袞衣(こんえ)」と「冕冠(べんかん)」のワンセットの礼服「袞冕十二章服(こんべんじゅうにしょうふく)」ですね!!

 

「日・月・七星・山・火・龍・華虫(キジ)・宗彝(そうい。虎と猿で、祭祀の象徴)」の「八章」が刺繍された「大袖」と、「藻・粉米・斧(この3つで農林水産の意味?)・黻(ふつ。前掛け)」の「四章」をあしらった「裳(もすそ)」のセットが「袞衣」。

 

「冕冠」は、あのじゃらじゃらとした冠。冕板(べんばん)から旒(りゅう)と呼ばれる玉飾りが垂下する冠のこと。

 

…と思ったら、一条天皇の即位の時は「冕冠」ではなく、「日形天冠」をかぶっておられたとのこと。

 

源高明の『西宮記』によると…

 

天皇即位御服赤 日月七星猿虎形等繍大袖 小袖无繍 赤御褶鉞形 白綬玉佩二旒 烏皮舃 童帝御服 日形天冠 龍繍大袖 別有玉佩

 

「童帝は日形天冠」と書かれていますね。一条天皇が「童形」ということで、「冕冠」は難しいから(髻をまだ結っていないから?旒が重いから?)こっちで…となったんでしょうかね。

 

後世、江戸時代に「114代・中御門天皇」や「119代・光格天皇」が即位の儀(ともに9歳で即位)で用いた冠が、現在にも伝わっているようですよ。

 

ともあれ、幼少の天皇に万機を見ることは不可能なわけで、すると当然…↓

 

 

◆摂政兼家、誕生!

 

寛和2年(986年)。兼家は6月24日に「摂政」となり、7月20日「右大臣」を辞任。翌21日に「従一位」へと進んで、「従一位・摂政」となりました。

 

天皇の外祖父が「摂政」となったのは、貞観8年8月19日(866年) に、清和天皇の外祖父・藤原良房が就任してから、実に120年ぶり。

 

良房の時は、すでに半ば隠居状態だったところを「応天門の変」の複雑な政局に対処するために下されたものでしたが、兼家は現役続行からの「摂政」となりました。

 

藤原の兄弟たち(応天門炎上編)(参考)
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12801612882.html

 

「一の上」宣言をする兼家は、これまでの頼忠や、義懐らとは一線を画する凄味がありましたなー(なんてったって、天皇の外祖父だし、自他ともに認める豪腕だし、実力のともなった地位だもんなぁ)

 

こんなバケモノ政治家に直談判しに行くなんて、まひろも世間知らずを通り越して怖いもの知らずでございましたな。

 

ところで、兼家が「右大臣」を辞任した理由は、実は源雅信がいたから。

 

いくら「摂政」になっても、「右大臣」は「左大臣」の下という序列は、守らなければなりません。

 

そして兼家にとって雅信は、いわば政敵。本当なら排除したいのですが、カタブツゆえにスキャンダルがなく、皇族に娘を入れていないので「謀反」の煙を立たせるための火種もなく、策略で追い落とせない、やっかいな目の上のタンコブでした。

 

そこで考えた苦肉の策が「右大臣を辞めて、ただの摂政になる」こと。こうすれば、「左大臣の下」という序列は脱することができるわけ。

 

しかし、『光る君へ』では兼家と雅信の間に緊張感が全くなかったので、右大臣を辞任する理由を、どうこじつけるのかが見ものだなーと思っていたのですが、まさかの理由なし(苦笑)

 

そのほか除目では、頼忠が「関白」を止められただの「太政大臣」となり、為光が「右大臣」に昇進。道隆が「権大納言」、道兼が「参議」に上がり、「露骨に息子たちを昇進させた(ナレーション)」となりました。

 

道長も「五位蔵人」に。これで実資と絡める!!となるところ、実資は花山帝退位にともなって「蔵人頭」を解かれているので、ここではお預け(チッ)

 

そういえばと、一条天皇即位前(花山朝時代)の道長は何者だったのかなと探ってみたら、円融朝で進んだ「右兵衛権佐」のまんま…。

 

この職掌で「高御座」の異変に対して即座に駆け付けるの、どうなんかな(兵衛府ではなく近衛府の役目ですよね…?)

 

まぁ、摂政の子ということで半年ほど前に昇殿を許されているので、あり得なくはない…としておきますかw

 

 

◆客人安倍晴明

 

兼家邸に安倍晴明が顔を出しておりました。

 

まひろの時とは打って変わって、道隆一家と対峙する形で、畳の上に坐っていて、いかにも客人待遇なのは「寛和の変」が成就したことに対する褒美の一環ですかね。

 

そして、伊周(大人バージョン)が初登場!

 

「私は大人です」と言ってましたが、天延2年(974年)生まれなので、この時12歳です…成長いちじるしい?

 

晴明と初対面なのに、恫喝のような言葉を投げかける伊周。傲慢で器量の狭い、そして相手の人物を見極められない人物として描いていくかんじですかね。

 

晴明の表情が一瞬、「この程度か…」と軽んじたように見えました。言葉に出しては「頼もしい!」でしたが…(この晴明本当に政治家ですね)

 

道隆の兄上は、普段着が前回までの狩衣(かりぎぬ)から直衣(のうし)へ衣替え。

 

「権大納言が狩衣なんて超絶ラフな格好では…」ということなんでしょうかね(狩衣は現在で言うと「オシャレなジャージ」的な…?)

 

狩衣を着ている伊周と並んでいると、違いが分かりますな。肩の部分が…ね。こういうのが直観的に分かるから、映像化っていいですなー。

 

 

そして、少女の定子が可愛いw

(後ろの男の子は隆家ですかね?)

 

 

◆脇を固める道綱母子

 

摂政になっても、ちゃんと寧子のもとに通ってくる兼家。

 

正妻(時姫@三石琴乃さん)が亡くなっているから通いやすい、ってことなんでしょうか…。

 

「あちらの息子さんは出世なさっているのに…」という母に、「よしなよ!」と制止する道綱は、ネジネジしたお菓子をモリモリ食べておりました。

 

あれ「よりより(中国語名:麻花)」かな?

 

 

より合わせたような形から通称「よりより」(たぶん)

 

SNS情報だと「索餅(さくべえ)」も名が挙がってましたが、それって茹でて食べるものでは…(そうめんの先祖ですもんね)

 

あれは油で揚げたような雰囲気してましたよね…と、ワタクシ食物の歴史ほとんど分からんちんなので、あまり反論はせずにおきますか…(よりよりと索餅は同じものという説もあり)

 

そういえば、道長を訪ねて蔵人所に来た時、挨拶して来た「たいへん美味しいお菓子をいただきまして」という蔵人を、道綱は「(誰だっけ…)」という顔で対応しておりました。

 

こんな高級そうなお菓子なのに、誰にあげたのかは全く覚えていないということですか…ほんとイイ人っぽいですなw

 

道長は道綱とは仲が良かったようで、よく『御堂関白記』にも登場していたりします。その一端が垣間見えたようにも思えましたねw

 

それにしても。もし、まひろが道長の妾になっていたら、この兼家と道綱母のような、並んで晩酌して息子の心配をして肩を揉んでいる姿もあったかもしれない…と、そう思わせるための1コマだったのかなぁ…という気がしますねー。

 

 

 

というわけで、気になった&楽しかった箇所の個別列挙は以上。

 

  1. 兼家のもとに まひろが訪ねて来て「虫けら」と呼ばれる→正妻は無理。
  2. 蔵人の詰め所で、為時が職を解かれたことを知る→まひろが来たのは為家の就職活動のためだったと気付く。
  3. まひろが家の池で野菜を洗っている→生活に困って家人を解雇したようだと知る。

 

この積み重ねがあって、道長は彼女の生活を守る意味も込めて、「俺と結婚してくれ」「妾でもお前が一番だ」とプロポーズすることを決意したのかな。

 

でも、まひろの「『北の方』でなければイヤだ」という意外な反応で、上手くは行きませんでした。

 

SNSでは、まひろが「北の方」にこだわったのは、「わざと道長に自分を諦めさせるためだった」と考察する意見も散見されました。

 

これ、どうだったんですかねぇ。

 

確かに、まひろはあの「打毬」があった回で、平安若造たちの女性観(妾は遊び)を盗み聞きしていますから、「妾になるのはイヤ」という気持ちは、あったのかもしれません。

 

でも、同時に「自分の家柄では、道長の『北の方』は無理」というのも、あのボーイズトークで察しています。

 

特に今回、「東三条第」を直接訪ねて「これがあの人の家…」と目を見張った後で、宣孝に「こんなボロ家に婿に来る人はいません」と言っていたシーンがあり、違いを痛感していたはず。父・為時が無官になったことで、現在も未来も、さらに厳しくなりました。

 

それなのに「『北の方』でないとイヤだ」なんて言うか?言わないですよね。

 

そして、まひろは「嘘をつく生き物」(上手か下手かは別としてw)

 

こうやって考えると、あれはフェイクだったんだろうか…というのは、分からんでもないです。

 

でも、道長に求婚されると分かって、あの廃屋に行ったのか?というと…ねぇ?

やっぱり「妾はイヤ」という本音から、飛び出した失言だったような気がしますな。

 


まひろと道長には「身分」という高い高い障壁があって、それを超越して2人の間をぐるぐる動いてずんずんとストーリーを進めてくれているのが直秀…と、以前に『光る君へ』の分析めいたものを語ってみましたが。

 

直秀がいたら、2人の関係は「よりより(麻花)」のように、身分の壁を越えて、もっと絡み合うことができたんでしょうか…?

 

ここ2回、まひろと道長の仲がギグシャグしているのは、直秀を失ったことでなくなった「何か」が、まだ回復していない…ということなんでしょうかねぇ?

 

 

 

【関連】

 

大河ドラマ『光る君へ』放送回まとめ
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12837757226.html