パーティーはそのままに
10分前に原稿終了。そして今、OK連絡が来た。明日から、来月のネタ集めを頑張ろう。
会社に行く途中の道。電信柱が見える。そして、いつも直前まで悩むことがある。それは、電信柱を中心に人が1人通れる程の狭い道と、反対側には広い道が広がり、どっちを通ろうかということだ。無論、広い道を通るのが普通だと思うし、わざわざ狭くて通りにくい道を選択する必要なんてない。と、頭ではわかっていても、いつも直前まで悩む。そして、結局は狭い道を選択してしまう自分にため息が零れる。ただ、そうしないと居心地が悪いのだ。
大袈裟なんかではなく、毎朝人生の岐路に立たされている心情は、とてつもなくハードだ。広い道へ一歩足を踏み出せるようになれた時は、きっと成長したときなんだろうな。
8/15 土曜日
何故かバイトを1時間で上がっていいということで、目的も無く神戸へ向かう。久しぶりの阪神電車に揺られながら、普段活用している阪急電車との空気の違いに気付く。このブルージーさは何だろう。
そういえば、神戸は昔から嫌いだった。神戸という地名を聞くだけで気分が悪くなり、激しい憤りを感じていた。その理由は、神戸の大学に通っていた際に、抱いていた小さな希望を完膚なきまでに砕かれたからだ。
結果、大学を中退し東京に逃げるわけだが、もし今の僕が当時に戻れたとしても、上手く立ち回る自信は無い。それは、孤高を貫き通す覚悟がないからだろう。ただ、そんな気持ちとは裏腹に、ゼミ連中と和歌山に行く車中で、僕はウォークマンで自分の世界に逃げ込み続けるという暴挙に出た。「おい、ゴミ太郎!」という静止の声に耳も傾けず、場の空気に馴染めないまま、一心不乱にウォークマンを握り締め続けた。あの時、僕を慰め続けた曲が何だったかは、今も覚えていない。
この仕事を始めてから神戸に行くことも増え、ええ店や、街のええ部分をたくさん学び、そのアレルギーも薄まりつつある。今では「西宮北口が嫌い」と、ある程度地域を限定することもできるようになってきた。とりあえず、うちの大学で社会学者の鈴木謙介が教授をしているので、一回聴講しにいこうと思う。鈴木謙介が、宮台真治の弟子というのを最近知って、びびった。
鈴木謙介インタビュー
http://www.web-across.com/person/cnsa9a000000cmjv.html
で、話は戻るが三宮に到着。

インディアンプロビジョンストアで、カレー粉を購入。朝の三宮は、人通りもまばらで、大阪とはうってかわって、緩やかな非日常に癒される。駅から山手に向かって街が広がっているため、非常に坂が多いのだが、改めて渋谷に似ていると思う。余談だが、難波駅の高島屋と丸井の間の空間は、新宿駅のマイシティ前を彷彿とさせる。

駅前で、カレーランチを頂く。ビルの4階。店内では、インドの番組がリアルタイムで放映されており、時計の時刻も、時差が三時間半のインド時間に設定されていた。チキンカレーが旨い。
その後、モザイクまで歩き、海を見ながら一服し帰宅。

夕刻。知人のライブへ向かう為、梅田に出向く。ガソリンを入れようと、地下の立ち飲み屋の暖簾を潜ると、カウンターで1人飲むG氏と遭遇。今夜行われるDJイベント前の精神統一中であった。G氏が店を出た後、WEEZERの「The Weight」カバーをリピートしながら一時間程痛飲。黄昏具合も、暴発寸前だ。
そして、ハードレインに到着。あうんさん・すうじぃというバンジョー弾きのワンマンライブを見に来たわけである。彼と知り合ったのは、3年前。梅田のとあるBAR。隣に座り、ふとしたことから話をして、自身の7インチレコードを、その場で貰ったのだ。
それから、たびたびライブに通うようになり、その音楽性というか、歌詞に感銘を受けた。某雑誌に採用されなかったが、何度か企画を出した事がある。この日も、終戦記念日ということで、ヒロヒト三部作を歌い上げていたが「マッカーサーと並んだチビのヒロヒト~、その息子~チビのアキヒト~」と、秀逸な歌詞に、キャッチーなメロディが、酩酊を進めた。
自分が面白いと思ってることを、堂々と楽しそうに歌い上げるその姿には、解放された人間の生き様がある。ライブ最後に演奏された、この曲が大好きだ。
会社に行く途中の道。電信柱が見える。そして、いつも直前まで悩むことがある。それは、電信柱を中心に人が1人通れる程の狭い道と、反対側には広い道が広がり、どっちを通ろうかということだ。無論、広い道を通るのが普通だと思うし、わざわざ狭くて通りにくい道を選択する必要なんてない。と、頭ではわかっていても、いつも直前まで悩む。そして、結局は狭い道を選択してしまう自分にため息が零れる。ただ、そうしないと居心地が悪いのだ。
大袈裟なんかではなく、毎朝人生の岐路に立たされている心情は、とてつもなくハードだ。広い道へ一歩足を踏み出せるようになれた時は、きっと成長したときなんだろうな。
8/15 土曜日
何故かバイトを1時間で上がっていいということで、目的も無く神戸へ向かう。久しぶりの阪神電車に揺られながら、普段活用している阪急電車との空気の違いに気付く。このブルージーさは何だろう。
そういえば、神戸は昔から嫌いだった。神戸という地名を聞くだけで気分が悪くなり、激しい憤りを感じていた。その理由は、神戸の大学に通っていた際に、抱いていた小さな希望を完膚なきまでに砕かれたからだ。
結果、大学を中退し東京に逃げるわけだが、もし今の僕が当時に戻れたとしても、上手く立ち回る自信は無い。それは、孤高を貫き通す覚悟がないからだろう。ただ、そんな気持ちとは裏腹に、ゼミ連中と和歌山に行く車中で、僕はウォークマンで自分の世界に逃げ込み続けるという暴挙に出た。「おい、ゴミ太郎!」という静止の声に耳も傾けず、場の空気に馴染めないまま、一心不乱にウォークマンを握り締め続けた。あの時、僕を慰め続けた曲が何だったかは、今も覚えていない。
この仕事を始めてから神戸に行くことも増え、ええ店や、街のええ部分をたくさん学び、そのアレルギーも薄まりつつある。今では「西宮北口が嫌い」と、ある程度地域を限定することもできるようになってきた。とりあえず、うちの大学で社会学者の鈴木謙介が教授をしているので、一回聴講しにいこうと思う。鈴木謙介が、宮台真治の弟子というのを最近知って、びびった。
鈴木謙介インタビュー
http://www.web-across.com/person/cnsa9a000000cmjv.html
で、話は戻るが三宮に到着。

インディアンプロビジョンストアで、カレー粉を購入。朝の三宮は、人通りもまばらで、大阪とはうってかわって、緩やかな非日常に癒される。駅から山手に向かって街が広がっているため、非常に坂が多いのだが、改めて渋谷に似ていると思う。余談だが、難波駅の高島屋と丸井の間の空間は、新宿駅のマイシティ前を彷彿とさせる。

駅前で、カレーランチを頂く。ビルの4階。店内では、インドの番組がリアルタイムで放映されており、時計の時刻も、時差が三時間半のインド時間に設定されていた。チキンカレーが旨い。
その後、モザイクまで歩き、海を見ながら一服し帰宅。

夕刻。知人のライブへ向かう為、梅田に出向く。ガソリンを入れようと、地下の立ち飲み屋の暖簾を潜ると、カウンターで1人飲むG氏と遭遇。今夜行われるDJイベント前の精神統一中であった。G氏が店を出た後、WEEZERの「The Weight」カバーをリピートしながら一時間程痛飲。黄昏具合も、暴発寸前だ。
そして、ハードレインに到着。あうんさん・すうじぃというバンジョー弾きのワンマンライブを見に来たわけである。彼と知り合ったのは、3年前。梅田のとあるBAR。隣に座り、ふとしたことから話をして、自身の7インチレコードを、その場で貰ったのだ。
それから、たびたびライブに通うようになり、その音楽性というか、歌詞に感銘を受けた。某雑誌に採用されなかったが、何度か企画を出した事がある。この日も、終戦記念日ということで、ヒロヒト三部作を歌い上げていたが「マッカーサーと並んだチビのヒロヒト~、その息子~チビのアキヒト~」と、秀逸な歌詞に、キャッチーなメロディが、酩酊を進めた。
自分が面白いと思ってることを、堂々と楽しそうに歌い上げるその姿には、解放された人間の生き様がある。ライブ最後に演奏された、この曲が大好きだ。
KIWAKIWA
ご期待通り、全く原稿が終わらない。「締め切り過ぎました」メールも、ついに届いた。
そこで、酒を呑むことにした。これは決して逃避してるわけではなくて、脳の眠ってる部分を引き出す為に下された苦渋の決断である。本意ではないことをご理解頂きたい。中島らもも著書で「原稿書きながら酒呑んで朝起きたら、原稿できてた。覚えてない」と、言っているし、限りなく憧れに近い模倣である。
で、コンビニへ向かい缶ビールを6本購入。現在3本目に突入しているが、いい感じで酔っ払っいながらiTunesDJを楽しんでいる。原稿は一切進んでいない。いや、正確には7割出来上がっているが、全く納得のいかない内容である。文体のリズムが死んでいる。これじゃ、二度と仕事もらえない。明日も、朝からバイトなのに、どうしよう。
土下座というテーマについて書いていたのだが、奥が深すぎて、日本の伝統的側面まで調べだす始末。加え、21歳のときに地元の居酒屋でヤンキーに半殺しにされて土下座させられたフラッシュバックが脳裏をかすめる。
ボキャブラリーの貧困さに呆れ果て、ナンバーガールと椎名林檎の歌詞を書き出してみたのだが、実際に見直してみると、意外と普通なことに気付いた。
警告、気丈、修羅場、告発、共振、残像、暗躍、殺風景、ねんごろ
強いて言えば極極(きわきわ)という言葉だけ、痺れるセンスを感じる。

はながさから届いたお歳暮のマンゴー。美味しいが、やはり1人で食べるにはもったいない。
そこで、酒を呑むことにした。これは決して逃避してるわけではなくて、脳の眠ってる部分を引き出す為に下された苦渋の決断である。本意ではないことをご理解頂きたい。中島らもも著書で「原稿書きながら酒呑んで朝起きたら、原稿できてた。覚えてない」と、言っているし、限りなく憧れに近い模倣である。
で、コンビニへ向かい缶ビールを6本購入。現在3本目に突入しているが、いい感じで酔っ払っいながらiTunesDJを楽しんでいる。原稿は一切進んでいない。いや、正確には7割出来上がっているが、全く納得のいかない内容である。文体のリズムが死んでいる。これじゃ、二度と仕事もらえない。明日も、朝からバイトなのに、どうしよう。
土下座というテーマについて書いていたのだが、奥が深すぎて、日本の伝統的側面まで調べだす始末。加え、21歳のときに地元の居酒屋でヤンキーに半殺しにされて土下座させられたフラッシュバックが脳裏をかすめる。
ボキャブラリーの貧困さに呆れ果て、ナンバーガールと椎名林檎の歌詞を書き出してみたのだが、実際に見直してみると、意外と普通なことに気付いた。
警告、気丈、修羅場、告発、共振、残像、暗躍、殺風景、ねんごろ
強いて言えば極極(きわきわ)という言葉だけ、痺れるセンスを感じる。

はながさから届いたお歳暮のマンゴー。美味しいが、やはり1人で食べるにはもったいない。
隣人 解逅
原稿が終わらず逃避。締め切りは明日。しかも追加取材有。怖い。明後日がバイトだから、残された猶予時間は20時間弱。気分転換にblogを記す。

8/8 土曜日
夕方までバイトし、十三まで戻ってくると、信じられない人込み。しょんべん横丁で酒を煽りながら、打ちあがる花火を目撃。ブルージーな街並み入りの目線で見る花火は、まぁまぁ。
というのも、やっぱり前から花火の魅力がわからない。初めの5分は「綺麗だな」と、多少の非日常感に高揚するが、20分も見てたら「はい、見たー。さっきのやつー」と、飽きてくる。
パターンの幅が余りにも狭すぎるが、花火に独創性を持ち込むのは技術的に無理なんだろうか?それならば、打ち上げ方を変えて欲しい。花火会場の周囲を囲むようにして同時に50発打ち上げるとか、上空から地上に向けて花火を発射し危険ではない高さで爆発させるとか、伝統を理由にいつまで今の形態でやり続けるつもりなんだろう。
最後の一発まで、一度もだれることなく感動を維持し続けれる人間の深層心理が知りたい。

8/9 日曜日
夕刻。ケンタッキーで買い物してると「久しぶりです」と、突然声をかけられた。振り向くと、パリスヒルトンに硫酸を浴びせかけたような化け物が立っており、戦慄の悪夢が蘇る。
元隣人だ。幼児虐待に明け暮れる基地外野郎だ。「殺すぞ」と怒鳴り込んだことは数知れず。玄関先にいつも包丁を完備し、刺し違えする覚悟を抱かされたのは記憶に新しい。「私、こういう仕事してるんで~、もし来てくれたら迷惑かけたし~、サービスしますんで~」と、ふざけた事をぬかしやがる。こいつとの確執が行われた長期に渡る二年戦争at地獄アパートの顛末は、機会があれば、また紹介したいと思う。
晩。十三ファンダンゴへ突入。

ライブには間に合わなかったが、似非浪漫のK君と呑み。そのまま我が家へ流れ込み、インドとアポロビルの話を朝まで延々。この後、K君はライブのギャラが入った封筒を酒の勢いで紛失し、朝からバイトの僕とは別に、明け方の十三を1人さ迷い歩くことになるのであった。

8/8 土曜日
夕方までバイトし、十三まで戻ってくると、信じられない人込み。しょんべん横丁で酒を煽りながら、打ちあがる花火を目撃。ブルージーな街並み入りの目線で見る花火は、まぁまぁ。
というのも、やっぱり前から花火の魅力がわからない。初めの5分は「綺麗だな」と、多少の非日常感に高揚するが、20分も見てたら「はい、見たー。さっきのやつー」と、飽きてくる。
パターンの幅が余りにも狭すぎるが、花火に独創性を持ち込むのは技術的に無理なんだろうか?それならば、打ち上げ方を変えて欲しい。花火会場の周囲を囲むようにして同時に50発打ち上げるとか、上空から地上に向けて花火を発射し危険ではない高さで爆発させるとか、伝統を理由にいつまで今の形態でやり続けるつもりなんだろう。
最後の一発まで、一度もだれることなく感動を維持し続けれる人間の深層心理が知りたい。

8/9 日曜日
夕刻。ケンタッキーで買い物してると「久しぶりです」と、突然声をかけられた。振り向くと、パリスヒルトンに硫酸を浴びせかけたような化け物が立っており、戦慄の悪夢が蘇る。
元隣人だ。幼児虐待に明け暮れる基地外野郎だ。「殺すぞ」と怒鳴り込んだことは数知れず。玄関先にいつも包丁を完備し、刺し違えする覚悟を抱かされたのは記憶に新しい。「私、こういう仕事してるんで~、もし来てくれたら迷惑かけたし~、サービスしますんで~」と、ふざけた事をぬかしやがる。こいつとの確執が行われた長期に渡る二年戦争at地獄アパートの顛末は、機会があれば、また紹介したいと思う。
晩。十三ファンダンゴへ突入。

ライブには間に合わなかったが、似非浪漫のK君と呑み。そのまま我が家へ流れ込み、インドとアポロビルの話を朝まで延々。この後、K君はライブのギャラが入った封筒を酒の勢いで紛失し、朝からバイトの僕とは別に、明け方の十三を1人さ迷い歩くことになるのであった。