自動車コラムニスト中込健太郎のブログ『込氏のブログ』 -7ページ目

自動車コラムニスト中込健太郎のブログ『込氏のブログ』

自動車ライターですが、最近はノリで買った積載車が忙しく、レッカー・搬送、搬入搬出、自動車何でも屋みたいになっております。自動車絡みだったりじゃなかったりの日々を綴ります。

最近長距離移動の時、音楽聴くのと、財務経営系のコンテンツのインプットと合わせて、いわゆるスピリチュアル系のチャンネルがちらほら飛んできます。


自分に該当するのを聞いていたりすると、なるほど確かに、と思わされることや、タロットなんかでも、なんか示し合わせてます?というくらい言うこと、出る目が重なったりして不思議だなあと思ったり。


昔は非科学的な!とむしろ一蹴していたようなところがあったけれども、最近では、科学で白黒つくこともあれば、白黒つかないこともあるよね!とか、一旦受け止めて、傾向くらいは少し気に留めておくことにしています。


そうすると物事に感謝できるようになったり、結構おかげさまの連続だよね、と気付かされたり。あまり恐怖を煽るようなものは見なかったり、他のところに乗っかってらなあというようなコンテンツも疎遠になったりもしますが、前向きポジティブな感じになれるモノには耳を傾けるようになり、いろいろ新しい発見や気づきが多い今日この頃です。


ここ一二年でしょうか、この八月の頭くらい、1番高次とのエネルギー的なつながりが強くなる時だそうで、獅子座の時期だからでしょうね、ライオンズゲートが開く時なんだそうですね。今年は8日を挟んでの前後8日間ほど。こういう時に精神的な成長が促されるとか。


まあ、一向に成長の見られないごみしなので🤭そこはなんともアレですが、今年は盛りだくさんでした。



祖母は絵を描くのが好きでしたね。


まず祖母が大往生となりました。祖母の人生の半分くらいはご一緒できたようで。まあ、こういうのもご縁の尊さですね。


から戻って、飛ぶように東北に納車の旅からの、帰りに先の大雨の被害に遭われた地域とあるというので、被災地にクルマをお届けしてきました。




夕方、連休初日ということもあって首都高大渋滞。浦和まで4時間近くかかりました。



順調順調と思ったら岩手県に入ったところでピタッと動かなくなりました。一ノ関から平泉の間が事故で通行止め。平泉野崎も少し走り、金ヶ崎のそばで給油。


国道4号線の444キロポストも発見。まあ、これでよかったかもなあ。


納車は青森、そこから秋田まで7号線で下り、秋田市内で積んだクルマを山形県の戸沢村にお届け。先週酒田に行った時にはまだ通行止めでぐるっと月山越えで迂回した47号線も片側交互通行とはいえ、開通済み、これは助かります。戸沢村に置いてあるトラックを酒田まで移動というのも頼まれてサクッと対応。










帰りは13号でひたすら福島へ。ショートカットだし、割と流れるし、ペースはさほど飛ばし過ぎというのでもなく。昼前に酒田出て、日のあるうちに飯坂温泉まで到着。近くに住む友人のOワダ氏としばし発注状況の確認など笑



板谷峠は通るとほぼ雨。それだけに虹の歓迎も。



東北の道路もまた少し知見が増したし、有意義な数日間でした。


ボランティアとかいうと偉いとか言われますが、まあ、私が1人何かしたからといって、大きく動くことはありません。むしろ、行こうと思って実際に行けた!という「私の満足」の方が強いなと思っています。水害の地域などは鉄道あっても運休になっていたりして、なかなか自走組ボランティアドライバーさんだと日程組みにくいとかもあるかもしれません。でもマイ積載車あればおろしてそのまま自力で帰って来れる。そのくらいのことですね。


もちろん、多少でもお役に立てるのであれば光栄だし、役に立たないよりは役に立てた方がいいとは思います。でも、多少やっても、現地で明らかに大変な人たちから「ありがとうございます」などとお言葉をいただいた日には、多少大幅に尽力したとしても、なおもらい過ぎではないかと思うほどです。


一刻も早く元の生活に戻れることをお祈りせずにはいられません。


今日は都内に戻ってオークション会場に一台搬入。

今週は駆け込みで仕上がったクルマの登録などが続きます。


結構事故も多いようです。安全に、楽しいお休みを送られますように。皆さんの有意義なお盆を期待しております♪



夕方のUSS東京にて。クルマがたくさん、空が綺麗。もう完璧ですね(その理論はよくわかりませんがww)


あ、アヴァンギャルドブロンズのVX、私がオーダーしたのと同じグレード色ですね。なかなかいいじゃない。しかし「転売ダメよ!」と言われてるのに結構出てますね😅怒られるよ!


できるだけ乗りたいですがあとはキンスが持つかなあ🤭こうやって「楽しみ😊」と思える時間一年月と考えたら結構お得よね。



今日もいい一日でした。明日もいい1日になりそうだ!




庄和の道の駅のお蕎麦美味しいじゃない!大盛りで890円だし、また寄りたい。蕎麦粉は先日通った尾花沢なものだそうです!


走れ!東北大陸!積載車以外でも行きたいですね!

令和6年6月30日


午前、川崎の三菱ディーラーからから知人のランエボを引き上げ。その後幕張メッセで今日までやっているアウトドアショウに立ち寄り。


月末はやはりなんとか月内にという案件が重なりますね。タイベルが切れてうんともすんともなランエボ、ずいぶん長いこと放置されていたようで、クラッチかブレーキか固着しておりました。まあ、日曜日の早い時間、マックスタイムで申し訳ないとは思いつつも、どうしても月内に開けて欲しいということのようだったので仕方なく昼前にディーラー。そんな時間だからということもあって、メカニックさんはじめスタッフの皆さんのお手伝いもあり、一瞬で荷台に載る。


二時間ほどで市原に到着。依頼主氏とはもう10年ぶりくらいに会ったかも。とんでもなく遠方でしばしばニアミスする人。元気そうでなにより。


帰りは幕張に行き、アウトドアショウ、招待券ももらっていたので見学。






焚き火をやりたいと思っていたけれど、なんとなく逸していたところに、トルネードソロ。パーツは小さな板状のものを組み立てればよく、風が吹いても消えないどころか、効率的に火を育ててくれる優れもの。こんなのを持ってキャンプにでも行きたいものだなあ。


最終日というので特価にもなっていたので、これを購入。


あと、何度か佐野のイオンモールで購入して、いい香りの虫除けスプレー。売っていたのでこちらもゲット。一緒に買ったハチミツの飴も美味しかった。


ガレージハウス屋さんの展示。長野の富士見にあるらしく。例の、栃木往復が頻繁で拠点が欲しいという話をしたら、土地を用意していただければご提案できますとのこと。田舎の大きなクルマを置ける家は建屋が大きくて、そんなにいらないし、その一階スペースガレージにしたいよとおもうことも。そんな相談には乗ってもらえそう。カタログもいただくなど。



チンクエチェント博物館の伊藤さに遭遇、前から気になっていたこちらをゲット。


日中の明るい時間は光が当たると触媒になって、匂いや菌の元など分解してくれるという優れもの。水道水を入れるとすぐに使えるという代物。すぐにエルフに戻って水を入れてシートにふりかけ。確かに夏場のあのモワッとする感じがだいぶ爽やか。これは良い。使い切ったら、容器は使いまわせて、このスプレーのもとだけも購入できるらしいのでクルマに一本入れておきましょう。別に案件でもなんでもないのでリンク貼っておきます笑ぜひ参考に!触媒だからこれ自体はなんか刺激強かったり、とかはないのもいいですね。





1日置いておけるので、終了後はイオンモールで晩御飯、!しゃぶしゃぶの霧峰さんに。宮崎の豚のコースにしたら美味しかった。牛鶏いらないなあれは。ゴマダレもほかの気軽なしゃぶしゃぶのお店よりも美味しく。またありを見ていきましょう。






令和6年6月29日


新国立劇場のレストランマエストロで、ソプラノ小濱妙美さんのバースデーパーティーでした。


小濱妙美さん、わたしがオペラ聴き始めた頃、日本でもかなり歌われることが増えてきた方。師匠の畑中良輔さんが新国立劇場の芸術監督をされていたこともありましょうが、それでも、最初からのキャストに加えて、ピンチヒッター的に急遽キャスティングされたような公演も多数ありました。そういうところに託される歌手、ただ関係が強かっただけでは務まりませんよね。


なんとなく、目的意識も希薄なまま大学に入学したものだから、なんだか、逃げるように、縋るように、オペラに興じていたあの頃。


終電で初台に来ては、新国立劇場のエントランスの前で寝袋に入り朝を待ち、60席弱の最上階最後列が1500円で観られるZ席がお目当て。やはり同じような人が結構いて、朝6時前には20人ほどが集い。いつもいつも決まったメンツが並んでいるような感じでした。オペラは日本の文化ではないものの、どこの街にもオペラハウスはあり、そんな街では食べるものも切り詰めても、日々の暮らしにオペラがあって、そういう人がいい耳を持っている、そんなことがあるとは言われますが、日本にも確実に、黎明期の、オペラパレスと呼ばれる前の新国立劇場にもそういうことは確かにあったのです。今となってはいい思い出です。明け方まで、この間あれを観た。あの人はよかった、こんな音源を見つけてこれがなかなか、なんて話を眠たくなるまでする。そんな日々。確かに青春の1ページでしたね。でも、あのオペラパレスのエントランスの床、石張りで、冬などあり得ない冷たさなのです。それでも冬山用の寝袋はなんとかわたしに温もりを保証してくれましたし、前を走る甲州街道や、今ほど多重構造ではなかった初台付近の首都高を走るクルマの音もまばらに、深夜の東京の中でのオペラトークは懐かしい思い出です。まあ、乞食と役者は一度やったら云々なんて言われますが、なんだか導かれるようにそんなことをしていましたけれど、あれは尊い経験だったと思っています。


と、そんなふうにしてオペラに興じていた頃に、イタリアの演目のみならず、ロシア語、チェコ語、はたまたコンサートとなれば日本歌曲にアメリカのゴスペルナンバーのような曲、ドイツの作品ワーグナーなんかもこともな気に歌いこなす。


東京のオペラと同時期にびわ湖ホールいだり来たりして、イタリア語と全く別の言語の作品を交互にこなす、などという芸当も目の当たりにしていましたので、この人すげ〜と思ったのは明確に覚えています。


そういう方のファンクラブ主催のバースデーパーティ。ここ数年混ぜていただき、楽しいひと時を過ごさせていただけているのはなんだか「人生、伏線回収は必ずあるのだなあ」などと思ったりしています。


ご本人が場数の人ですから、お弟子さんにもそれの尊さを伝えられているということなのか、小濱さんはお弟子さんも必ず場が与えられていろんな歌を披露してくださいます。


初めて行った頃は正直、小濱さんの歌はさすがだし衰えとは無縁だなあ、しかしという物言いが胸の支えになったようなこともありましたが、しかし毎年のように定点観測のようにいろいろな歌を聞かせていただいているうちに、お弟子さんの皆さんの研鑽の成果に触れることができて、なかなかそれも楽しみだったりもしています。


それこそ聴き始めた頃は一端の評論家気取りか?そんなことであんなにダメ出ししてみたり、偏っていたかも知らないし、たかだか数年聴きかじってきた程度の少ない「聴きレパートリー」からの浅い判断で歪んでいたかもしれないべき論を言ってみたりしていましたが、今からするとそんなあの頃の自分が恥ずかしいとさえ思うのです。作曲家も後世、極東の島国でもオペラハウスができて、そこで間抜けなオペラ好きに聴かれるなんて思ってもみなかったでしょう。わたしが聴くことはそんな奇跡であるという有り難さや感謝が全くなかったと思っています。


そんなことを噛み締めるようになると、デビュー前の歌手の歌は、デビューしたプリマプリモを張るスター歌手の歌に勝るとも劣らない尊さがあると思うのです。みんな親がいて、いろんな経緯で歌手を目指し、もうとうに亡くなった人が書いた、しかしものすごい魅力的な音楽に吸い込まれてそれを勉強して歌い込んでいる「最中」を見せられているということなのではないかと思うのです。


みんながスターにはなれない。舞台人とはそういうものではないかしら。もしかするとデビューはしない人も結構いると思います。音楽の先生になります。実家のご商売を継がなくてはなりません。志半ばで諦めざるをあないこともあるでしょうし、病で床に臥す。悲しいですがそうして歌を諦めるという話も一定数聞いたことがあります。


そんな中、「数百年前の聴きごたえ」を今に紹介してくれている。なんでもそうですが好き嫌いは仕方ないものの、尊さに貴賤はない。むしろ黎明の輝きを放つお弟子さんたちの歌もまた、というよりもその歌がまた楽しみだったりもするわけです。


云々、、、


会の後半でテーブルごとにスピーチをと言われてなんだかわたしにマイクが回ってきたので、こんなようなこと、あの姿にはむしろ励まされるようだという話をしたら、ファンクラブの代表が終了後にわざわざご挨拶に来てかださるようなこともあってむしろ恐縮。



とにかく、我がキャンパスのような新国立劇場で、あの頃の驚きであった小濱さんのお誕生日パーティーに参加できて、そのお弟子さんにもやはり、師匠のパワーが受け継がれている様を見る。


叩き上げオペラファンからすると、こんなにも感慨深いことはない、と思うのです。


二次会は幡ヶ谷の方に少し行ったところの中華料理店、とても美味しかったなあ。名菜館といいましたね。


ここはここでまた行きたいものです。

音楽と共に楽しいひと時。いい時間でした。