色々走り回っていたり、色んなクルマが来たりはしていますが、まだ手元にありますよエグザンティア。
去年はフェリーに乗せて九州まで出かけたりもしました。年末に久しぶりに乗って給油したのですが、
あれ、いつ以来かな?と思ったらおそらくその九州ドライブの時に久留米で入れて以来?カントリーロードは高燃費、にしても乗らなすぎですね。
ということもあって、でもないのですが、今日はエグザンティアでお出かけ。出かけた先は箱根の富士屋ホテル。
日本クラシックホテルの会 のクラシックホテルパスポートコンプリート(去年の九州行きもこれのチェックポイントの一つ雲仙観光ホテルに行くためでした)の特典での宿泊です。
今年は年末年始、ゆっくりさせていただきました。この週末から私もいよいよ始動ですが、その前に「泊まる初詣」のような機会をいただくことができました。何しろ1884年開業のこのホテル、歴史が違います。これまでどれほどの人が泊まったか、どんな時間をここに佇んできたか。それを思うだけで、完全に私のスケールをこえ、歴史を超えた「とても大きな何か」を孕んだ存在であります。確実に記録に残っている、人の作った伝統です。でもだからこその宝強さを感じることができるのです。特にこの箱根の富士屋ホテル、私にとっては今年ますますご縁が強まりそうな雰囲気の栃木ですが、やはり彼の地のパワースポット日光東照宮の前で歴史を紡ぐ金谷ホテルの兄弟が嫁いだ先で開業されたホテル。地元神奈川で深く栃木とのご縁を持つ場所。こういうところで仕事始めに先駆けて過ごせること、繰り返しますがちょっとした初詣のような気がしてならないのです。
ここに来たからご縁が深まる、とかいうよりも、こういうタイミングで、不思議なことに、こういう所を訪れることになっている。なんだか、人生とかってそういうものなのかなあ、最近そういうことが増えてきました。
というところに、久しぶりに引っ張り出したエグザンティア。
たまに乗ると、ホントいいなと思います。それはおそらく毎日乗ってもいいと思いますが、たまにでもひしひし感じるわけです。
私のはハイドロニューマチック、電子制御の入るハイドラクティブではないタイプ。これより後のC5や、これより上位のモデルはみんなハイドラクティブサスペンションのシリーズ。とにかく基礎物理の物性で動いてる感じがするのです。肩の回り方が自由で自然な感じというか、制限するもの、煩さがないのです。(ハイドラクティブがことさらうるさいわけではないですが)
あとベルトーネのボディ、フォルムが個性的でありながら、とても均整が取れていて、大きなキャビン、大きなトランク、停車中の
佇む姿からの走る時のキュッとお尻をあげた「行くぞ!」という勢いと、動的な印象を内包したハイドロニューマチックならではの姿勢の振り幅。ある種の実用車のデザインの極限値ではないか。今でもそう思わせるだけのものを持っていると思うわけです。
これより古いミディアム以上のクラスのシトロエンにありがちな前は幅広ですがリアに行くにつれて細くなるというようなことでの駐車のしにくさもないですし。(あれはあれでシトロエンらしさの部分もあり、あれがもたらす旋回性、直進安定性に寄与するメリットもあることにはあると思うのですが。)
私のは後期型。実用ツインカムはトルクフルで、音もなかなか好ましい。巡航速度も到達時間は流石にややかかるとはいえ、まあ十二分。東北道・常磐道でもペースを乱さないばかりか、ペースメーカーになれるくらいの懐の深さもあり。小林彰太郎さんが最後に選んだマイカーであるとかを差し引いても「BXのその先」であるエグザンティア。クルマとして真っ当であり、とても個人的にも好ましい。そう思える一台だなあ、と。今日も思った次第です。
ただ、久しぶりの路上だけに、車高の乗降がやや渋い、ちょっと走行中もしなやかさが足りない。という感じがありましたが、それは車高調整つまみで上げたり下げたり。そういうことをしているとやがてしなやかになってくる。しかし、やはり乗らないとだめだな。そんな思いは新たにした次第。「乗ってなかったからね、また出かけようね。」こう思わせてくれるエグザンティア、コミュニケーション性におんぶしている自分の不甲斐なさを反省した次第です。
川崎から箱根、休憩するまでもなく到着。晩御飯の時に出されたクラシックな装丁のお品書き。(うちのエグザンティアと同じライトグリーンの自動車、アメ車?イギリス車?)当時のメッセージには「近い!横浜からほんの2時間」が英語で書かれています。箱根の強み近いことはやはり大きなアドバンテージ。
クラシックホテルにエグザンティア。クラスとは何か、クラシックとは何か、古いものを闇雲に綺麗にすればいいのか?腫れ物に触るようでいいのか。そういう距離感・節度ののようなものをクラシックは教えてくれる。そんなシーンにも今のクルマにない矜持のようなものをこのクルマからは今もなお、感じることができる。もうしばらくこのクルマは手元に置いておきたいと思いました。
安全装備のレベル、燃費・環境負荷、と同じようにこうした存在感、クルマ選びクルマ作りには必要なのではないか?
そう思うのです。モビリティはウェポン(強み)になるのだから。クルマは決して安い買い物ではないのだから。クルマはどうしても見られるものなのだから、すなわち拭い去りがたい社会的記号性があるのですから。
そういう意味では今なお、エグザンティアは活きている。富士屋ホテルでそんなことを思った次第です。