人類がいなくても気候は変動する | 金木犀の哲学

金木犀の哲学

秋の澄んだ空気に香る金木犀のような生き方がしたい
花言葉は「謙虚」「気高い人」「真実」
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今年の梅雨は変に感じられる。毎年蒸し暑さが強く感じられ憂鬱になっていたが、今年の梅雨は大半が肌寒く感じられた。また、例年梅雨の合間に晴れが時々見られたが、今年はひたすら悪天候が続いている。気候が変動していると言えばそう感じられるだろう。

私個人の考えとしては、人類が存在しても、存在してなくても気候は決して一定ではなく変化していくものであり、大切なのは温暖化・寒冷化・乾燥化・湿潤化などどのような気候変動であろうと人間社会が柔軟に対応できるようにすることだと考えている。

氷河に閉じ込められた太古の空気や巨樹の年輪などだけではなく、数万年単位で湖に堆積した地層に含まれる化石などを調査することによって、1年単位で過去の気候が正確に分かるようになっている。

それによると気候は常に変動し続け、時には数年から数十年単位で気候が急速に変化することもあった。現在よりもはるかに人間活動の影響が少なかった時代でもそうなのだから、人間が活動を低下させても気候変動を止めることはできないのかもしれない。

ならば必要なのは気候が変動していくことを前提に急激な気候変動に耐えられる社会を構築していくことが必要だと考える。

毎年各地で必ず大規模な水害や土砂災害が発生している日本では治水や土砂災害防止にもっと投資をしなくてはいけない。しかし、現代日本では公共事業は税金のムダ使いとレッテルを張られ削減され続けている。今後も毎年、大規模災害が発生し続けるのは確実なので長期的視点による計画的な投資へと考えを改めなくては、犠牲と被害は防ぐことができない。コロナショックによる恐慌から日本経済を救うためにも国内需要と投資が必ず必要なるので、今すぐ方針を転換するべきだ。