伊勢参宮道で伊勢詣り Day2の15 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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10月3日(火)~6日(金)の伊勢詣での旅、旅程2日目(10/4)の旅の模様その15です。

Day2の旅の記録としてはこれが最終記事です。

ガイドブックは『ちゃんと歩ける伊勢参宮道 善光寺街道』。

 

Day2の歩行ルートは↓。今回は街道遺構が多いので、立ち寄りポイントの記載は殆どしていませんでしたが、少しずつ記事を書きながら書き足しています。

 

その14では、松阪の宿場で、小津安二郎とも血縁のある、松阪三大豪商の一角、小津清左衛門家や三井発祥の地=三井財閥の祖、三井高利の生家などかなりハイレベルな史跡を堪能したところまでをご紹介しました(↓再掲)。

小津家

三井発祥の地

 

上の写真の門の右側の路地には三井家発祥の地の説明板がありました。

下段真ん中の浮世絵は日本橋の現在の三越本店などがある場所のものですね。

 

路地から三井家発祥の地の方を向いて激写したものですが、後方に見えている白いビル的なやつは、「三井家発祥の地に今建ってる豪邸」などではなく、単なる隣の敷地のビルです。

 

GoogleMapの航空写真で見る限り(↓)、敷地内には小さな廟かお堂的なもののみがあるように見えます。

当日は見過ごしてしまいましたが三井家発祥地の右隣、「口」の字状の屋根の旧家も凄まじい建物です。ロの字型の家は、ものすごく真ん中の中庭に入って見たくなる質(たち)です(^^)。

 

さて、それでこの三井家発祥の地の斜向かい=伊勢参宮道と県道24号の交差点の角には「豪商ポケットパーク」という無人の簡易展示館的なものがあり(ギリッギリ地図の記号が見えてます)、敷地には三越の入口などで見覚えのあるライオン像が。。

ご丁寧にその説明版「来遠(らいおん)像について」がありました。

 

この頃にはかなり暗くなり始めていたので、この施設もそこそこに、街道から右に外れて一路目指すは松阪城のプチ観光です。この日は朝も津城を見ていますから、我ながらなかなか贅沢な歩き旅の日です。ちなみにこの頃にはさすがに雨も上がっていて一安心。

 

城にまっすぐ向かう前に、向かって右側の通り=伊勢参宮道の西側一本隣を並行して走る通りをクイックに見物に行きます。なぜならこの通りには、小津家、三井家と並ぶ三大豪商のもう一つ、長谷川家の旧長谷川治郎兵衛宅(こちら↓)があるからです。これで三大豪商コンプリート!。

しかし改めてこういう黒漆喰の土蔵ってとてもカッコいいと思います。2回くらい前の記事で黒塗りの蔵を見た時は珍しい感じでしたが、松阪には意外とみられるスタイルなのかもしれません。

 

母屋部分もバーン!と激写。うだつ上がってますねえ。

 

逆方向からもババーン!!と激写。

 

さらにその隣には見庵(けんあん:旧小泉家住宅)が並んでいて、すごい壮観な通りです。

この見庵、紀州藩御目見医師である小泉見庵さんのお宅だったそうで、この見庵の斜向かいには小泉見庵さんと親交のあった本居宣長旧宅跡があります。

日本史で学んで以来すっかり忘れていましたが、宣長さんそういえばこちらの出身でしたね。

 

敷地内には蔵と離れですかね、小さな建物が残っていました。

 

で、上の写真はカメラが実際よりも明るく撮ってくれてますが、ホントはどんどん暗くなってきているので県道に戻りいそいそと松阪城を目指します。10分弱も歩くと見えてきました!

もう街灯が光ってますね。立派な桝形の入口です。

 

こういう標柱は忘れずに激写しておきたいタイプです。

 

すぐ隣にある案内板。今朝見てきた津城は藤堂高虎による城ですが、こちら松阪城は蒲生氏郷によるものです。

いずれ劣らぬ武将たちの築いたお城を、駆け足とはいえ朝夕尋ねられるなんて、何とステキな旅なんだ今回は(≧∇≦)。

 

遠からず真っ暗になりそうなので、急いで坂を上がっていきます。二日連続で一日中歩いた(しかも一年ぶり)身にはややしんどいですが、それは敢えて1ピコメートルも考えない事にして進みます。

石垣カッコいいなあ(*゚▽゚*)。

 

むっ!月見櫓!! なんか景色良さそうなので高いところ怖いですがちょっと石垣の端近くまで寄ってみましょう。

 

いい眺めですが、高いところ怖い~。この辺りから登った月を愛でていたんですね、きっと。

 

さ、どんどん上に上がっていきましょう。この石垣は打込接(うちこみはぎ)ではないので野面積みでしょうね。いい感じです。

 

あの上が本丸ってとこですね。さらに上がっていきます。

桝形の入口、いかにもお城に入ってる感があっていいなあ。らんまるただ今登城中!!

 

む、さらに数段石段を上がるこの城中でいちばん高いところにあるのは、読者の方もお察しでしょうが、まず間違いなく、、

 

やはり天守閣跡ですね(*´∀`*)。

 

カメラが辺りをどれほど明るく写してくれようとも、肉眼(+老眼)の私の目をもってすればかなり暗くなってしまっているので、脱兎の様に城の石垣の下にある武家屋敷群に向かいます。

 

石垣をダッシュして下りるとすぐその先が「御城番屋敷」と呼ばれる大規模な長屋的武家屋敷群です。

松阪城を警備する役職の武士(「御城番」と呼ばれた)20人とその家族が住んでいた屋敷、というか、今もそのご子孫が住まわれている屋敷で、辺りには「いいかお前ら、人が住んでるんだからな。騒いだり激写したりすんなよ!」的な内容の看板がもう少し丁寧な言葉遣いで注意喚起をしていました。

 

要は現役の武家長屋ですね。

 

これでこの日予定していた、「見るべきほどのことは見つ」ということで街道にそれこそダッシュで戻り、最後に本陣などがあった辺りを通過しますが、、まず現れたのが巨大な高級すき焼き屋の「和田金」。

すっごく高そうなので華麗にスルー!

 

それもいいけど100%闇夜になる前に脇本陣跡、本陣跡を見つけねば、、、あれ?

全然見つからない。。。探し方が悪いのかな、、などと辺りを2,3往復すると、、

 

まず馬問屋跡碑があった!けど 小っさ!!

 

続いて本陣跡。こちらはそもそも石標の表面が車道側を向いているので、非常に捜索難易度が高いです(;・∀・)。歩道側から見るとただの石柱なんですよ、これ。

 

そして背後は工事中の商店!

そして脇本陣跡碑はついに見つかりませんでした。もしかして馬問屋が兼業してたかな?前半が小津家や三井家などすごい遺構が満載でしたが、本陣などのあった中心地が残念な感じ、ではあります。

恐らく空襲で焼失してしまったんでしょうから仕方ないですけどね。

 

こちらの鯛屋旅館は創業220年だそうで、よい雰囲気ですね。知ってたらこちらに宿泊という手もありましたが、松阪駅前のビジネスホテルをじゃらんで予約しちゃってるので、当日ではキャンセル料100%だし、予約通り泊るしかないですねえ。

 

そのすぐ先の日野町交差点で昨日に続き長かった2日目の旅も終了!お疲れ>>俺!

この辺りから見た目の暗さに写真を併せました。

 

そのまま左折して松阪駅方面に向かいます。

 

ホテルのすぐ隣にある願證寺で、この日も無事にゴールできたお礼参りをして、、

 

この日の宿、松阪シティホテルに泊まったのでした。

なお、この日は「松阪牛のステーキを食ってやんぜ!」などと思っていたのですが、徒歩圏にあるところが水曜日だというのにすべて定休日Σ(゚д゚lll)ガーン。やむなく近くのローソンで買った一番高い弁当などをもそもそかき込んで翌日の旅に備え、泥そのものと化して眠ったのでした(^o^)ノ 

 

Day3につづく!